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:Day1(1)

「あ、池田さんだー。ちょっとどうにかしてよー」  暮れも押しせまった十二月半ばの土曜日、行きつけのバーの扉を開けると、カウンタ席に知った顔を見つけて思わず駆け寄った。 「何だよ、やぶからぼうに」  グラスを揺すって氷を鳴らし、琥珀色のウイスキーをひと口含んで、池田さんは持っていた文庫本を片手でぱたりと閉じた。三つ年上の彼は読書が趣味で、いつもそうやって何かしらの書籍を携帯している。 「やぶからぼうなんてリアルに使ってる人初めて見たよ」  運よく池田さんの隣が空いていて、よじのぼるようにして高いスツールに腰かけた。 「やあ。晃一くんいらっしゃい」  カウンタの中を黒ベストのバーテンダーが移動してきた。まだ二十代くらいで、長い髪を後ろで一つに結わえている。彼ともすっかり顔なじみだ。 「柴さん、フローズンストロベリーダイキリちょうだい」 「寒いのに」 「だって中に入ったら暖かいもん」 「若いなあ」  柔和な笑みを浮かべながら、柴さんがおれのオーダーを作り始めてくれる。  細長い店内は手前がカウンタ席で、奥にボックス席と立ち飲み用の丸テーブルが点在している。基本的にこの店はゲイの交流の場としてのバーだけれど、カウンタ席なら一般の客も入ることができた。  だからつまり、出会いを求めるなら奥へ、カウンタでは誘ったり誘われたりしない。それが暗黙のルールだ。照明も手前は明るく、奥にゆくにつれて徐々に落としてある。 「で、何をどうしろって?」  カウンタに頬杖をついて、池田さんがおれのほうへ顔を向けた。  あっさりとした顔立ちの池田さんは高身長でスタイルもよく、人あたりがよくて気安いわりに目立つタイプではなかった。いつもどこか飄々としていてとらえどころがなく、たいてい一人でいる。そのくせ包容力のようなものも兼ね備えていて、おれからするとひどく懐きがいのある人物だった。 「おれ、フラれちゃったんだよね」  大げさにため息をついて打ち明ける。 「え? おまえが? どうしたんだよ、めずらしい。フラれることってめったにないんじゃねえの」 「そうなんだよね。初めてだよ。もうすぐクリスマスだってのにさあ」 「原因は何なんだよ」  あくまで優しく、池田さんは訊ねてくれる。この優しさにおれは、常々癒されるのである。 「原因かあ」  はっきりとした原因は実のところ、よくわからない。  別れよう、と言われたとき、おれは彼氏の部屋でソファに並んで座ってクリスマスのディナー用レストランをスマホで検索するのに夢中だった。 「は? え? なんで?」  あんまりいきなりで驚くより混乱して、ちょっと言い方がきつくなった。だいぶ年上の腹まわりがぽってりとした丸顔の彼氏は、申しわけなさそうに眉を八の字にする。 「だって晃一くんさ、本当のところ、ぼくのこと好きじゃないよね」 「……なんで。そんなことないよ」 「前からそんな気はしてたんだけどさ。最近なんだか急にそれが強くなった。もう完全にぼくから興味が無くなった、みたいな。とりあえず一緒にいるんだよね? 一人じゃ寂しいから。でもそういうので一緒にクリスマス過ごすの、なんだか嫌だなあって思ってさ。ぼくにだって感情はあるからね。やっぱりちょっとね、しんどいよ。だから、今のうちに別れよう。晃一くんならまたきっとすぐに、いい相手が見つかるよ」  短いつき合いではあったけれど、彼がふざけてるわけでもはったりでもなく、本気でそう言っていることはおれだってさすがにちゃんと理解できた。だから、わかった、と答えた。それで、じゃあねと部屋を出てきた。それが二週間ほど前のことだ。

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