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:Day1(6)

「ここ、よく来んの? 会ったことないよな」 「うん」  彼氏と来るときはいつも奥のカップルシートだから、カウンタに座ることはめったにない。奥は暗いし、それに相手を探すのでなければ他の客の顔を見ることもあまりない。 「まあおれ、普段来るのはもっと遅い時間だからな」 「今日は、池田さんと待ち合わせだったんでしょ?」 「そう。あいつに会うのは久しぶりなんだけどな。なかなか忙しくてさ。ゆっくり飲もうっつってたのに、おれよりハニーを優先しやがって」 「池田さんの相手の人、知ってるんだ?」 「まあな」 「ふうん」  池田さんの恋人がどういう人なのか気にならないでもなかったけれど、それをこの初対面の男から聞こうとするのは気がすすまなかった。できれば池田さん本人か、あるいはもっと近しい人から聞きたい。  でも、この男のことはもう少し、知りたいようにも思う。 「……池田さんはくされ縁って言ってたけど、どういう知り合いなの?」 「あー、そうだなあ。もともとは幼なじみっつうのかな。あいつが小六でおれが中一で、おれのが一コ上なんだけど」 「え、学生じゃないの?」  てっきり、会話の気安さから池田さんと同い年だと思っていた。 「学生ではあるよ。院だけど」 「……ふうん」  こんな見てくれで院生なんて、かっこよすぎるでしょ。ざわつく胸を両手で丸めるように押し殺して、おれはそ知らぬふりをする。  話を聞けば聞くほど、おれの中で青の存在が大きくなってくる。 「なあ水谷くん。名前、教えてよ」  なおも、青は言いすがった。 「どうしてそんなに知りたいんだよ」 「だってさ、名前のほうが親近感増すじゃん」 「増さなくていいよ」 「つれないなあ」  普段は、こんなに冷たくはしない。誰かに声をかけられたら適度に愛想をふりまいて、でも簡単だと思われないくらいには手強く、小悪魔ってやつを演じる。おれがこれだと決めた相手ならチョロいものだ。最後にひょいと釣り上げる。  でも、今回はそういうわけにはいかない。おれにはきっと、大きすぎる獲物だ。  いや、でもこの場合、釣り上げられるのはおれのほうかもしれない。だって。  どうにかごまかそうとしているけれど、しまりきらないフタの隙間から願望が覗いている。本当は。  釣り上げられたい。  どこかで、それを期待している。  そして青は、それに気づいている気がする。隠しきれないおれの本当のところを、見透かされているように思う。  だってこんなにそっけなくしているというのに、青のおれに向けるまなざしは最初からずっと変わらない。変わらず、優しい。  これだから。モテる男は嫌なのだ。経験値の浅いおれなんかより何枚も何枚も上手だ。  残り少なくなったワイングラスのノンアルカクテルを一気に飲み干した。今はこの、チョコバナナ味の甘さが心地いい。 「ついてるぜ」  横から、視線とともに指先がおれの口元を指し示した。 「髭みてえになってる」 「え、あ、」  おしぼりで拭きとれば良かったけれど、面倒だったので上くちびるについた泡を、舌でぺろりと舐めとった。  ふと、視線を感じて振り返ると、青と目が合った。わずかに眉間にしわが寄っている。なに、と言おうとしたら、青が手にしていたカクテルグラスを一気にあおった。 「そんな強いの一気に飲んで、大丈夫なの」 「まだ一杯目だしな。平気。それよりさ」  おれの耳元に、顔を寄せてくる。 「店変えて、飲み直そうぜ」  どくん、と心臓が跳ねる。  これって、どっちだろう。  いつもなら簡単に判断がつくはずなのに、動揺して答えあぐねた。  この誘いは、友人としてのものだろうか。それとも、お相手、としての。  少し考えれば、すぐわかる。いくら池田さんの親しい友人とはいえ、おれと青は友人ではない。  先ほど池田さんはおれたちに、つき合ってみたら、と言っていた。  クリスマス用の相手、とも。  水谷を頼む、とも。  任せとけ、と青は答えた。  おれが逡巡しているあいだに、青は柴さんを呼んで会計をした。今度もまた、おれのオーダーは自分で払わずにすんだ。  まだ決めかねているというのに、青はさっさとスツールを降りてコートを着こんでいる。 「何してんだよ。行くぞ」 「あ、ちょっと待ってよ」  追われるようにして、おれも壁のフックにかけたコートをとりにゆく。  流されている、のはわかっている。でもこうして流されていれば、不都合なことから目をそむけていられる。  行っちゃダメだって。  そんな声なんて、聞こえないふりをする。 「えっと、じゃ、柴さんまた」 「あ、晃一くん」  呼ばれて振り返ると、いつも冷静なバーテンダーが不覚とばかりに口元を手のひらで覆った。  何してんだろう。きょとんとしていると、柴さんはこほんと一つ咳払いをして、カウンタの上を指さした。 「水谷くん。手袋、忘れてる」 「あ」  つつ、と歩みより、ツイードの手袋をはめた。普段から手先は冷たいのだけれど、冬になるとよりひどくなる。ブランドもので保温効果も高いこの手袋は、元カレからのプレゼントだ。去年のクリスマスだったから、三つ前くらいの彼氏だったろうか。  ちら、と柴さんを見ると、胸の前で小さく片手を立てている。別に柴さんが謝る必要はなかった。名前を教えたくないというのはおれの勝手なのであって、柴さんがつき合ってくれていただけなのだから。 「また来るね」  扉を開いた青の真っ青なコートを追って、おれは店を出た。

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