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第8話

 2人が入ってゆくと、女性は綺麗な居住まいを崩し多分この事務所の探偵さんであろう人と認識し立ち上がる。 「本日はお世話になります」 「どうも、事務所の代表篠田時臣と申します」  と名刺を差し出し、座るように促した。  名刺を受け取った女性は、 「影山由梨子と申します」  と頭を下げ、促されるがままに再びソファへと腰掛ける。  唯希もコーヒーとお菓子を女性の前に置いて、時臣の隣へ腰掛けどう切り出すのかを密かに見守った。 「今、この者から簡単にではありますが話は伺いました」 「はい、では受けていただけるのでしょうか…」 「ご依頼をお受けする前に、確認しなければならないことがありまして…」  由梨子は、着手金やそういったことかと思い、バッグに手をかけーまずはおいくらご用意したらーと言いかけたところに 「いえ、そう言うことではなくてですね…」  と、時臣は偽近藤のために作った書類を由梨子の前に置いた。  文字ばかりで、しかも知らない人の名前が書かれた書類を目の前に置かれ、由梨子は軽く首を傾げながら時臣を見つめ返す。 「先日、某所でこの男性が発見されました。近藤智史さんと言います」  時臣はその名をいいながら由梨子の顔を見つめたが、顔つきに変動はなくどうやら聞き覚えはなさそうだ。 「はぁ…」  それならばそんな返事にもなる。 「弟さんのお名前は、影山…」 「久生(ひさお)です」 「影山久生さん。この方がいなくなられたのは正式にはいつからでしょうか」 「ええと、今日が8月28日ですから…1週間ほど前でしょうか…20日に母の付き添いで私が病院へ母と出向いた日についでに部屋に寄ったので、そうですね大体1週間です」  発見された日が21日だからぴったりだ。 「わかりました…ええとですね…今回のご依頼の件なのですが…」  どうしてもいきなり亡くなりましたは言い淀む。言わなければならないのは重々承知なのだが… 「なにか問題でも…」 「先ほど申しました近藤智史さんという方はですね、実は亡くなって発見されたんです。今我々は、その方の…その…ご遺体の写真を持っておりましてですね、そのご遺体の写真と先ほどお預かりした写真の弟さんが、我々には似て見えるんです」  由梨子の瞳が揺れた。 「ご遺体の写真ですし、お見せするにはちょっと…と我々も思うのですが、確認ができるのならばと言う気持ちも正直あります。お覚悟があったら、写真を確認頂けますか…」  遺体の写真と聞いて由梨子も戸惑いはしたが、それが久生を探す手掛かりになるのであれば確認しなければならないことだと決意する。  その写真が久生でない事を祈る気持ちも込めて。 「見せていただけますか」  由梨子の覚悟を決めた返答に、ーありがとうございますーと言いながら、時臣は画像を開いたパソコンの画面を由梨子に向けておいた。 「こちらです」  薄暗い部屋の中、顔だけにストロボが当たって光っている画像。そこに写っている目を瞑った人物を確認し、由梨子は再びハンカチを口元に当て、直後に涙をにじませた。  唇の下に、小さい頃由梨子(じぶん)がふざけて久生を押してしまって、テーブルの角にぶつけた傷が…ついている。  間違いなかった。これは久生だ、と思った時には涙が溢れ出た。 「間違い…ありません…これは久生です」  ハンカチで目を覆って、小さく体を震わせて由梨子は泣いている。  時臣と唯希も遺体に名前がついたこと自体は安堵したが、こう言った形も珍しく、泣く由梨子にかける言葉もないまま数分を過ごした。 「…すみません…取り乱しまして…その写真は、間違いなく久生です…」  既に画面を自分へ向き直していた時臣は、 「手元にこれしかなかったとは言え、いきなりこのような画像で大変申し訳なく思っています。この度は…」  と唯希と2人立ち上がって頭を下げた。  由梨子もハンカチで目や鼻を覆いながら深々と頭を下げる。 「弟さんは、事件に巻き込まれた可能性があります。先ほど見ていただいたこの書類ですが、この近藤智史と書かれたこの書類は弟さんが発見された時に作られたものとなっておりまして、つまり近藤氏として亡くなったと言うことになっているんです。この近藤氏と弟さん…久生さんの関係はお姉さまはご存知でしょうか」 「いいえ、聞いたことありません」  時々鼻を啜りながら、気丈にも質問には答えてくれている。 「そうですか」  時臣は、パソコンに何かを書き込んだ。 「今、この件は警察が、そして我々は近藤氏の方面から調査中ですので、いずれ久生氏が何故この様なことになったのかは明らかになると思います」 「はい、よろしくお願いいたします。それで…久生は今どこに…」  涙を堪え口元を再びおさえながら、由梨子は問う。どんな姿でも会いたいのは家族の気持ちだ。 「国上市(くにがみし)の警察署に安置されています。お会いになられますか?お連れいたしますよ。心細いでしょうし、一緒の方が話が早いと思いますので」 「ありがとうございます」  時臣は車で送ることにして、一緒に話を聞きに行くことにした。 「あ、それとですね、ご遺体を確認いただいて正式に久生氏だと判ったとしても、事件が終わるまでご遺体はお帰りになれないことはお伝えしておきます」 「わかりました…。まずは確認をしたいので」  それを確認して、時臣は車を取りに先に出て唯希は少ししてから由梨子を案内した。  道中時臣は、まとまらない状況を整理しようとしていた。  あの遺体が影山久生という人物だと言う事は特定できた。その影山久生が近藤智史だとして殺された。現状はこれだけが正しい事だ。  推測も立たねえな…内心舌打ちをして車を走らせる。今行ってこの事を話すことで警察が新たに動くことになるかもしれない。いや、もう動いているだろう。そこまで無能ではないか。  それによるなんらかの情報も時臣は欲しかった。  由梨子は、とある街を通りがかった時に、自分も久生もここに住んでいると教えてくれた。  事件のあった国上市と、時臣の事務所がある世田谷区経堂の大体真ん中あたりのところである。  とは言えそんなに近い場所でもないあの場所で、どうしてそんな悲しい結末を迎えることになったのか…それはきちんと捜査してやらなきゃならないとなと思った。  住んでいる場所を通って、母親が今家で待っていることを思い出したのか、由梨子は 「母には…はっきりするまで依頼をしたとだけ伝えることにします」  そう言って窓の外から顔を戻した。  そういえば母親と病院へ行っていたと言っていた。 「失礼でなければ、お母様のことお聞きしても?」  唯希は空気が重い車内を会話で繋げようとする。 「母は、元々体が強く無い上に久生が小さい頃から暴れん坊で、昔から母の心労が絶えなかったんです。そのせいなのかはわかりませんが、今は少し心臓を患っていて、定期的に病院へ。元気ではいるんですけどね。いつでも久生を気にかけていて…」  深刻な話ではなかったが、切ない話でもある。 「父が、久生が5歳の頃に交通事故で亡くなって以来母子家庭だったので、母の苦労を考えると…」 「久生さんご長男なのにね」 「ええ、母が甘やかしてましたから」  由梨子が苦笑する。 「長男は…そういうものですよね…」  運転席から時臣が一言言う。子供っぽい思考だが、自分も似たような感情を兄貴に持っていたなと思う。  まあこれは、兄弟姉妹の上下関係なくお互いがどちらも同じことを考えていることも多いのではある。

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