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第26話
「酒井、聞きたいんだがな」
「はい」
「影山の遺体を署に運んだ日、その日のうちに…まあ夜中だよな、夜中に血を抜いて死因の検査なんかをやったか?」
酒井は怪訝な顔をした。
「次ぐ日に解剖があると言うのに、その必要はないですよね。やっていませんよ」
時臣は手のひらを額に当てる。その手を当てたまま
「もう一つ。金井さんの元部下という署員が、お前のとこの捜一にいるか」
「いいえ、聞いたことないです…強いて言えば俺ですけど、本庁の時も金井さんとは班が違ってたので、顔見知り程度でした」
時臣は大きくため息をついて顔をあげ
「他の2人はわからんが、少なくとも影山殺しのホシは金井さんで間違いないな」
酒井と唯希が時臣を見る。
「そんな決めつけは…」
「あの次の日、俺は金井さんと話をしたんだ。その時に、事前に血を抜いて死因を特定したといった。俺は薬物の鑑定でやったのかなと思ったよ。そんなこと今まで聞いたことなかったからな。そして、死因がニコチンの静注だと言った。解剖の所見は?」
「あ…ニコチンの注入による、呼吸停止及び心停止…」
「金井さんは、犯人しか知らないことを話してたことになるよな」
部屋がシーンとした。
しかし、動機が全く不明瞭だ。
「酒井、金井さんに任意同行 かけろ。もう警官がどうのじゃねえ、事件の真相までわからなくなるぞ」
酒井はすぐに電話で一課長と連絡を取り、詳しい事は後になるが今から少年課の金井警部補に任同をかける旨を伝えたが
「え?退職願?もうすぐ定年ですよ?今出して帰ったって…」
酒井は時臣と唯希を見回した。
それを聞いて時臣は部屋へ着替えに行き、唯希は資料を大きめなバッグへ詰め込む。
「わかりました任同はこのままいきます。はい…では署で」
「退職願出したって?金井さん」
長袖のサマージャケットを着て戻ってきた時臣は再度確認をし、
「ええ」
酒井も広げた書類をまとめてバッグに詰め込む
「周りがサワサワし始めたのに気づいたか。家に戻ったんじゃやばいな。時間の問題だな」
「何がです?」
酒井はバッグを閉めながら時臣を見た。
「金井さんが自殺するかもしれないってことよ。わからないの?」
唯希はバッグを肩にかけ準備万端。ーえ…ーという顔をする酒井にーめんどくさいわねあんたーと投げ捨てる唯希たちをよそに
「典孝いるか?」
事務所に向かって時臣は声をかけた。
「いますです」
「ちょっと一緒にきてくれ。お前の出番あるかもしれん。『仕事バッグ』持ってくれな」
「わかりました」
3人が急いでリビングを出ると、事務所の扉も開いて典孝が出てきた。
「この方は…」
酒井がびっくりしたように典孝をみつめる。
「いつも事務所にしかいないから、会ったことなかったかな。うちのサブメンバーの塔野典孝です。医師免許もってるの」
「博士号も持ってますよ」
首から証明カードを下げて、それを見せてくる。
「ああ、なるほど」ー博士号にもっと反応して下さいよー
「急ぐぞ」ー博士号取るのって、皆さんが考えてるより大変なんですからねー
マンションの通路を走りながら、
「典孝うるさい!」
唯希に一喝されて、マッチ棒 はしゅんとなる。
4人はエレベーターで地下駐車場へ行き、
「ミニスカポリスに捕まったら、あんたの権限で無しにしてくれよ。一刻を争うんだ」
金井の家までは1時間はかかる。少しでも時間は早めたい。
「酒井さんの部下の人行かせられないの?」
苛立たしそうに唯希が言うが、
「別件で出払ってるんです。それと一応管轄が違うので、金井さんの地元の警官を向かわせるには手続きが…」
「めんどくさいわねっ!警察って!だから嫌っ」
唯希の叫びと共に時臣はタイヤを鳴らして発進し、駐車場を飛び出していった。
退職願を出して家に戻った金井は、まず仏壇の妻に線香をあげた。
「かあさん。今から俺もそっちに行くからな。ああ、俺は人を殺してしまったから会えないかもしれないなぁ。その時は閻魔さんの目を盗んで少しでも顔見に行くよ」
そうして居間のちゃぶ台に着き、お茶を一杯注いだ。
庭を見ると柿の木にたくさんの実がなっている。
「去年あまり実をつけなかったから、今年は賑やかだな…なあ菜穂」
木を見た後、その根元へ目を下ろした。だいぶ土の色も落ち着いてきている。
「最後にこの柿を食べたかったが…未だ少し熟してないな…食べるのは間に合わんか…」
ここ数日、身辺周りの様子がおかしいのは感じていた。
課の職員というよりは、酒井を筆頭に捜一が自分に注視しているのを感じておちつかなかった。
「少し先延ばししすぎたか…」
そう呟いてお茶を一口。
影山を殺して、菜穂の復讐は果たした。
すぐにでも退職して身を消し去れば良かったが、国上署 の捜一の働きを見たいと思ってしまった。
この一件で自分まで来るかと。
身辺が騒がしくなった時には嬉しかった。酒井も成長しているしもういいか、とやっと身を消す時が来たと感じた。
金井はちゃぶ台に置かれた花柄の少し厚めのノートを手に取り、愛おしそうに撫でる。
「菜穂 の思いが全部ここにあったな。初めて好きになった人が…あんなやつで大変だったが…俺に似て一途すぎだ」
それは、菜穂がずっとつけ続けていた日記の、1番新しいものだった。
そのノートをパラパラと流し、時々入っているレシートを見ると裏に〈初めてご馳走になった♡〉また捲ると、親としては切ないが中身のない避妊具の袋の裏にも〈気を遣ってくれた♪〉と書かれていて、どれをとってもカップルだったら他愛もない、当たり前のことを最高のこととして喜んでいる菜穂の気持ちがあった。
最初見た時は悔しかった。もっと話を聞いてやれば良かったと後悔もした。
だけど、菜穂は一途に愛した人を最後には手にしたのだ。
庭の柿の木の下を眺めて、金井は
「良かったな」
と微笑んだ。
そうして金井は立ち上がり、仏壇の引き出しに入れておいた遺書を取り出し、ちゃぶ台の上のノートの上において、庭へ降りた。
何もわからないままこの一件を終わらせるのは、菜穂のためにも良くないと思い、長めに遺書は書いたつもりだ。
警察にも自分亡き後、菜穂が遭ったひどい仕打ちや、実際は影山すら利用されていたことなど…日記にも書いてあるから、わかってほしいと願った。
庭の隅に置かれていた丸椅子を持って、すでに柿の木にかけていたロープの下に置く。
「父さんも菜穂 の側で逝かせてくれな…」
地面に向かってそう呟いて、椅子に足をかけた。がどうも足場が揺らぐ。
金井は一度椅子を調整し直そうと、椅子をぐいっと地面にめり込ませるように立てるが今度は菜穂が埋まっている方へと傾いてしまう。
「菜穂…もしかして邪魔をしてるのか?」
笑って金井は地面に声をかける。
「でも父さんは、お前のそばに行かなきゃなんだよ…わかってほしい」
椅子をより強く地面へと押し込んで、再度椅子に乗った。
今度はちゃんと椅子が安定した。
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