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13)系譜を弾く〈3〉

◇ ◇ ◇  研究発表が目前となった、八月の頭。  この日は仁科の手伝いで登校し、保健室にいた和都のスマホが、珍しく鳴り出した。  夏休み中だからと静音モードにしていなかったのか、和都がスマホを見ると、着信中を表す画面には『母』と書かれている。 「あれ、母さんからだ」 「今日って家にご両親いる日だった?」 「いや、明日出張から帰ってくるはずだったんだけど」  父も母も、夏休み中はほぼほぼ家にいない予定になっている、と仁科は先日ちょうど和都から聞いていたばかりだった。  和都は不思議な顔で、ひとまず電話に出る。 「……はい」 〈和都! あなた今どこにいるの?!〉  いきなり聞こえた金切り声に、和都は思わずスマホを耳から離した。  すぐ近くで様子を見守っていた仁科にも、聞こえてしまうほどの大きな声。 「どこって、学校。あの、委員の仕事で……」 〈委員の仕事? そんなのいいから帰って来なさい。どうして家にいないの?!〉 「……どうせ家にいたって」 〈貴方は家の中で大人しくしてないとダメなのよ? 周りの人に迷惑をかけることは辞めなさいって、何度も言ってるでしょう?〉  叫ぶような大声と、自宅で何度も言われているであろう言葉に、和都の顔が辛そうに沈む。  見かねた仁科は息をつくと、和都に向かって手を出した。 「……ちょうどいいや。こっち寄越せ」 「え、でも」 「大丈夫だから」  仁科の顔は普段と変わらない。  和都は延々と声が漏れ聞こえ続ける自分のスマホを、おずおずと仁科に渡した。 「もしもし、お電話替わりました」 〈……どなた?〉  電話の向こうから大人の声が聞こえてきたのに驚いたのか、喧しい声が一瞬沈黙し、落ち着いた女性の声が返す。 「狛杜高校で養護教諭をしている、仁科と言います」 〈保健室の先生がどうしてうちの子と一緒に? ああ、また倒れたんですか〉  呆れたようにため息をつく声がそう言った。  やっぱりまた迷惑をかけているのか、とでも言いたそうな雰囲気である。 「和都くんから聞いていませんか? 彼、保健委員なんですよ。保健委員の仕事って結構多いんですけど、人手が足りないもので。ご心配おかけして申し訳ありません」 〈そうでしたか。でも困ります。うちの子、倒れやすいんですよ〉 「ええ知ってます。でも、最近は倒れたりしていないんですよ。……ご存知ありませんでしたか?」 〈……そう、なんですか?〉  仁科の言葉に、電話の向こうの声が少し動揺するのが分かった。  やはり普段から和都とまともに話をしてはいないのだろう。 「ええ。それに、持病もあるのに普段から広いお家に一人きりだと聞いてますので、それなら学校に来てもらった方が安心ではないか、という判断で呼んでいます。ご連絡がなくて申し訳ありません」 〈それは、仕事が忙しくて、そうなってるだけで……〉  威勢の良かった声に勢いがなくなり、どこか口籠るように聞き取りづらくなった。  やはり向こうは、学校側に放置気味であると知られるのを気にしているようだ。高校生とはいえ、未成年。しかも『よく倒れる』と分かっている子どもを、一人暮らしでもないのに放置している、という自覚と後ろめたさがあるのだろう。 「ああ、それについては和都くんから聞いてますので、大丈夫ですよ」  仁科は努めて明るく返す。  別にここで、彼らの保護者としての行動を諫める気はない。  わざわざ電話を替わったのには、別の目的があるからだ。 「そうだ。せっかくお電話繋がりましたし、少しお話できますか?」  そう言って、ちらりと和都の方を見る。不安そうにずっとこちらを見守る彼に、大丈夫、と小さく頷いて見せ、仁科はスマホを持ったまま保健室を出て行った。  後ろ手に保健室の引き戸を閉めると、人気のない廊下に出る。  そしてそのまま廊下の反対側にある窓辺に、背中を預けるように寄りかかった。 〈……なんですか? 忙しいんですけど〉  電話の向こうの声はどこか面倒くさそうな声で返す。和都に関する話は極力避けたい、というのが透けて見えた。 「実は、和都くんの担任から、親御さんとなかなかお話が出来ないと聞いていたもので」 〈ああ、そうですか〉 「どうしてそんなに自宅に閉じ込めたがるんです? 去年は倒れることも多かったですが、最近はそれもありませんし、素行不良のない、良い生徒さんですよ」  至極真っ当なことを言ったつもりだが、大きなため息が聞こえてくる。 〈以前は人目のある場所で、よく問題を起こしていたんです。とにかく、早くうちの子を解放してもらえます? 何かあってからじゃ遅いですし、心配なので〉  和都を心配している、というよりも問題を起こされるのが面倒だ、というのが本音のようだ。きっと、自分たちの体裁しか見えていないのだろう。 「普段から家に一人きりにして放置してるくせに、都合のいいことおっしゃいますねぇ、神谷小春さん」  つい、こちらの本音が漏れてしまった。  和都の母──小春が息を飲んだのが分かる。 〈……どうして私の旧姓を? もしかして貴方〉 「ええ。神谷家と繋がりのあるほうの仁科です。初めまして、仁科弘孝といいます」 〈だったらご存知でしょう? 放っておいてもらえますか〉  神谷の名前を口に出した途端、小春の声色が極端に変わった。  よほどかつての嫁ぎ先に、いい思い出がないのだろう。 「インチキ霊能者に入れ込んで、言われるまま縁を切って出て行った神谷家の長男、でしたっけ」 〈……その霊能者とももう、再婚を機に縁を切りました。結局、あの子が倒れたり、他人を惹き寄せて狂わせたりする症状は、変わらなかったので〉  神谷家は仁科家の分家ではあったものの、病気をしやすいうえ、視える力や霊力を持つ人間がなかなか現れない家系であった。そしてようやく視える力を持つ和都が生まれたものの、その母親は神谷家の人々と折り合いが悪く、『本物』である本家の仁科や安曇の助言を無視。全く違う筋の霊能者を頼ってしまった結果、神谷家を出ていき、次男が神谷家を継いだと聞いている。 「まぁ、そうでしょうね。でも他に方法が分からないから、閉じ込めるしかない、と?」 〈そうよ。だって仕方ないでしょう? 私たちにはどうすることも出来ないんですから〉  ──やはり、母親はアイツの性質を知っていたんだな。  視えない人間にとって、視える人間は異常者にすぎない。  今でこそ和都は悪霊の類に遭遇しても平気だが、以前はそれで倒れたりしていたのだ。それであれば、安全な家の中に閉じ込めるしかない、と判断してしまうのは分からない話ではない。 「……今後はどうされるおつもりなんですか?」 〈仕事柄、海外に行くことも増えてきましたし、和都が高校を卒業したら、海外の、人の少ない地域に引っ越すつもりです〉 「そこで今までのように、家に閉じ込め続ける、というわけですか」 〈閉じ込めるなんて人聞きの悪い。日本より広いし、人が密集していませんから、閉じ込めなくても人に会わずに済むでしょう?〉  軟禁する範囲が戸建ての一軒家から、人の少ない小さな地域に変わるだけで、今とあまり変わらない。まるで、  ──和都(アイツ)を一人の人間だと、思ってもいない。  再婚してその連れ子に何かすれば外聞が悪い。よく倒れるという体質を利用して自宅に軟禁し、勝手に死ぬか自然に死ぬかを待つつもりなんだろう。 「彼はそれ、知ってるんですか?」 〈話してませんよ。知る必要もないでしょ。でも、そうするしかありませんから〉 「……俺は、子どもの未来を勝手に決めるヤツが、一番嫌いなんですよ」 〈こっちも仕方なくやってるんですよ? それにこれは家族の問題です。家族でも何でもない方に、とやかく言われる筋合いはありません〉  家族の問題、と言われて、仁科は乾いた笑いが出そうになって口を閉じた。  大して家族らしい情愛も与えていないくせに、よく言えたものだ。きっとそうやって、自分たちの問題だからと他を撥ね除け続けてきたのだろう。  そう言われてしまうと、こちらもそれ以上は何も言えない。普通なら。  けれど今の自分は、もう無関係ではない。 「実は俺も、視える人間でしてね」 〈は?〉  電話の向こうの声が訝しんだのが分かった。 「だからあなた方よりは、その辺の事情には詳しいつもりです。彼のその持病については少し、俺に任せてもらえませんか」 〈任せる、というのは?〉 「八月の半ばに、安曇の家に墓参りに行く予定なんです。そこに和都くんを一緒に連れて行きたいと思っていて。安曇の『本物』に見せれば、彼の症状を軽くする、ちゃんとした方法が分かるんじゃないかと」  視えない側であり、それを恐れているという小春に、白狛神社のことや生まれ変わり、仁科家の祟りなどを説明してもきっと理解はしないだろう。分からないから怖い、怖いから知りたくない、という状態の人間に理解してもらうことは難しい。  過去に縋った霊能者をインチキだったと認めているなら、ここは本物を頼ってはどうか、という提案で押すしかない。 〈でも、私たちはもう仁科や安曇とは縁を切った身です。そんなところにあの子が行くのは……〉 「ああ、大丈夫です。神社の歴史を調べたい生徒がいるからと言って、連れていく予定です。俺も大人の面倒ごとに巻き込みたくはないですし」  和都の見た目については仕方ないが、相模という苗字は仁科にも安曇にもいないので、縁故のある人物だと思われないだろう。  しばらくの沈黙の後、深いため息が聞こえ、静かな声で小春が言った。 〈……わかりました。では、和都のことは先生にお任せします〉 「ありがとうございます。では、日程など決まりましたら、和都くんを通してお伝えしますので」  それでは、と電話を終えると、すぐに保健室に戻る。  引き戸を開けると、ずっと心配していたのだろう、和都が不安そうな顔で出迎えた。 「あの、先生……」 「大丈夫だよ。ちゃんと話は通したから、ほれ」  仁科はそう言って、スマホを和都に返す。 「母さんと、何話したんですか?」 「まぁ、子どもは知らなくていい話だよ」  しかしやはりまだ不安なようだ。無理もない。  けれどあれは、彼がまだ知らなくていい、知らせずにいてやりたい話、だ。  仁科はそっと頭を撫でてやる。 「あぁ、そうそう。今度、安曇神社に一緒に行く件も了承とったから」 「えっ! どう、やって……?」 「なーいしょ♡」  ニヤリと楽しげに笑って見せると、驚いていた和都の顔が、途端に不信感でいっぱいになっていた。

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