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第55話(番外編)

「それでは、本日の報告会はここまでにいたしましょう」 シェーンは、テーブルに座ったメイド達を一瞥する。 非番と不寝番以外のメイドは本日、シェーンを併せて五名。いずれもマルドゥーク家から派遣された、優秀なメイド達だ。 一日の業務の終わりに、報告や引き継ぎといった情報交換を怠らない。些細な情報が後に大きな出来事に繋がる事もある。 バタフラエフェクト、なんて大層な物ではないが、廊下に見慣れない枯葉が落ちていた報告は、後に侵入者の発見に繋がった。 その枯葉は調べたら、城に植えられたものではなく、城を行き来する人間が住む地域には自生出来ない植物の葉だった。 枯葉に気づかなければ、王子を危険に晒していたかもしれない。 なにより、情報は金より価値がある、とアランは常々言っているくらいだ。 今日も何事も無く終われる事に安堵し、ふう、と一呼吸つく。 報告会は終了したが、誰も席を立つものはいなかった。 シェーンは一度立ち上がると、そっとドアを開けて廊下の様子を窺った。 周囲に人の気配がないのを入念に確認すると座席に戻り、メイド達を再度一瞥した。 「では、ここからは週に一度の意見交換会と致しましょう。勿論、口外厳禁です」 これから話すことは、誰にも知られてはいけない。特に、アルフォルトやライノアには。 「いいですか、もし誰かに聞かれる、或いは話したら、我々に待つのは『死』あるのみ」 シェーンの言葉に、メイド達は神妙に頷いた。 「これより『黒薔薇会』をはじめましょう」 メイド達だけの、秘密の会合が始まった。 「今ノートを持っているのは誰ですか?」 淹れたての紅茶を一口飲み、シェーンは口を開いた。 テーブルには紅茶の他に、焼き菓子や軽食が並んでいる。 夜も遅い時間の為凝ったものはないが、日中のティータイムの余り物やアルフォルトから下賜されたお菓子などが並び、充分に華やかだ。 参加者が全員メイドという事もあり、準備する手際の良さは流石だった。 はい、と一人のメイドが手を挙げた。 金髪の髪をおさげにしたアイリンというメイドは、申し訳なさそうに俯いた。 「本当は昨日リンリンへ渡すつもりでしたが間に合わず······すみません」 ペコリ、と頭を下げられ、リンリンは首を振った。 「急がないから大丈夫デス。焦らないで納得のいくものをお願いシマス」 リンリンは、独特なイントネーションで答えた。会話に問題はないが、遠い東の国からの元移民で、黒い髪をお団子に結い上げている。 「遅れるなんて珍しいですねぇ、アイリン」 頬に手を当てて、おっとりとした話し方をするのはユーリアだ。元伯爵令嬢でキャラメル色の巻き毛に豊満な胸。いかにも殿方が好みそうな見た目だが、当の本人は大の男嫌いだった。ただし、アルフォルトを除いて、だが。 メイド達の視線を一身に集め、アイリンは拳を握りしめると、目を見開いた。 「先日、妄想を刺激する出来事がありまして!」 鼻息が荒くなったアイリンに、シェーンは机の上で手を組むと、その手に顎を乗せた。 「続けて」 よく見たら、テーブルに着く全員が同じ姿勢で話し始めるのを待機している。 「この間、冷え込んだ日を覚えてますよね?その日の朝食後、執務室へ向かわれるライノア様とアルフォルト様をいつも通り観察······いえ、様子を見守ってたんです」 一度言葉を区切る。アイリンを見つめるメイド達は、一言も聞き逃すまいと、視線に熱が籠る。 「アルフォルト様とライノア様、手を繋いで歩いてたんです。しかも!指を絡めて!わかりますか!いわゆるですよ!!」 自分の手をガッチリと組んで、恋人繋ぎを再現してみせたアイリンは、鼻息どころか呼吸も荒い。 「しかも『寒い日は、ライノアと手を繋げば暖かいね』って、微笑まれたアルフォルト様のご尊顔はもう、宮廷画家に頼んで後世に伝えるべきです!」 「アイリンずるい!私も見たかったぁ」 くねくねと体をよじらせ、ユーリアは頬を膨らませた。 「きっとライノア様も微笑まれてたでショウ」 「あの方はアルフォルト様の前でだけ笑いますからね」 シェーンの言葉に、全員が感慨深く頷く。 「最高ですよね。それ以降妄想が止まらず······筆が乗ってしまい、ノートが遅れてますが、最高の新作をお届けできるかと思いますので暫しお待ちを!」 ペコリと再度頭を下げたアイリンに、拍手が起こる。 アイリンはまんざらでもなさそうに、焼き菓子を口に入れた。 「妄想といえば、私も先日気になる出来事がありました」 眼鏡をかけた小柄なメイド──モモは、モジモジと指を合わせた。身体は小さいが身体能力の高さはダントツで、普段はランドリーメイドとして働いている。 「先日、アルフォルト様の護衛も兼ねてマルドゥーク家に同行したのですが······」 アルフォルトが人身売買の証拠を掴む為に城を開けていたのは記憶に新しい。 少し言い辛そうなモモの話を、根気強く待つ。急かすのは美徳ではない。 「早朝、人目を忍んでライノア様が洗濯物を持ってきたのです。······アルフォルト様のシーツと、ナイトウェア。あれはどう考えてもです」 ガタっと音を立てて、シェーンが立ち上がる。 「あの男、城と違って人目が無いからって、とうとう王子に手を出したな······」 「落ち着いて、シェーン」 フラッと部屋を出て行こうとしたシェーンを、アイリンは慌てて羽交い締めにした。 「落ち着いていられますか!私達のアルフォルト様です!!」 「でもそのアルフォルト様とライノア様の禁断の恋の妄想を誰よりも楽しんでるじゃない!!」 「それとこれとは話が別です!妄想は楽しいですが現実となればこちらも対応が変わってきます!」 ジタバタと暴れるシェーンを数名がかりで宥める。 二人の距離感がおかしい事は知っている。しかし、アルフォルトを護る立場上、もし無理やり手篭めにされたのであれば黙ってはいれない。 ただでさえあの従者は、常日頃から無垢で何も知らないのをいい事に、アルフォルトに色々と悪戯をしているのだ。油断も隙もあったものではない。 唸りはじめたシェーンに、モモは慌てて訂正した。 「言い方が悪かったです。あれは間違いなく精液でしたが香油の跡や血痕も無く、挿入はしてないかと。シーツに皺も殆どありませんでしたし、おそらく······最後まではしてません。それに、精液の量的にです」 無理やりではないとわかり、落ち着いたシェーンは「取り乱しました、失礼」と紅茶を飲んで深呼吸した。 「まぁ、精液を飲んでたら話は別ですけど」 モモの爆弾発言でシェーンは再び立ち上がりかけたが、メイド達に宥められた。 ──そうなのだ。 この『黒薔薇会』は、アルフォルトとライノアの禁断の恋を妄想する、メイド達の密やかな会合だ。週に一度お茶を飲みながら語る、口外厳禁の秘密の意見交換会は、離宮のメイド達のささやかな楽しみでもある。 二人の髪が黒いから黒薔薇、なんて安直な名前だが、メイド達は気に入っている。 それぞれの妄想を、文書や絵にしてノートに書き、会員で回読みをする禁断の遊戯だ。 もちろん名前は変えているが、もしバレでもしたら、全員不敬罪で捕らえられかねない実に危険な趣味だ。 しかし、離宮のメイドは全員黒薔薇会の会員だった。 「ライノア様がアルフォルト様至上主義なのは周知の事実です。無表情ですが好き好きオーラを隠しきれていないのも事実。意地悪はしますが嫌がる事は絶対にしないですものね」 アイリンの言葉に一同は頷いた。 「アルフォルト様は性的な事を極端に避けられますが、おそらく、何かのはずみで反応してしまった身体······初めての身体の変化に戸惑う王子に、優しく触れるライノア様の、指」 モモの語りに、メイド達がそれぞれ脳内で妄想を補完し始めた。 「『ダメ、そんなはしたない』『誰も見てませんよ、アルフォルト』耳元で甘く囁くライノア様の声に、より身体が反応する王子······」 「いけませんわ、これ以上はっ妄想がっ」 ユーリアが両頬を抑えて──視線の先、シェーンの異変に気づき、慌てて席を立つ。 「大丈夫、シェーン?」 そっとハンカチを手渡され、シェーンは慌てて鼻を抑えた。 「すみません」 いつもの体質だ。興奮すると血が流れる鼻を抑え、そういえば先日もこんな事があったな、とシェーンは思い出す。 あの時はアルフォルトが、シェーンの血で汚れるのも厭わずに──。 「ごふっ」 「シェーン!?」 真下から覗き込むアルフォルトの顔を思い出し、シェーンの鼻から更に勢いよく鮮血が迸った。 「これ以上はシェーンが貧血になってしまうから······時間も丁度良いですし、今日はこの辺で解散いたしましょう」 ユーリアがシェーンの背中を摩りながら言った。 他のメイドも頷き、本日の『黒薔薇会』はお開きとなる。 「毎回すみません、私のせいで······」 申し訳なさそうなシェーンに、他のメイドは首を振った。 「いいんです。また次があります」 「シェーンの新作楽しみにしてマス」 「シェーンの作品は、一番過激ですよねぇ」 クスクスと笑い合うメイド達の夜は更けてゆく。 週に一度の黒薔薇会。 それはメイド達が、王子と従者の禁断の恋について虚と実を混ぜて妄想を語る、密やかな会合。 口外厳禁、バレたら死あるのみ。

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