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第2話 ピアスと指輪1

◇  夕暮れの喧騒の中を、柔らかいオレンジ色の光に顔を染めた人々が行き交う。その時間は短く、刹那的な紅掛空色を経て、すぐに濃い藍色から黒へと移り変わっていく。 「はい、オールソーツ カフェタイム店長の市木です」  いつもより明るめの装飾を施された店内に、少しだけ慌てるように電話を受ける葵の声が響く。慌ただしく準備中のバックヤードには、不自然なスペースが空けてあった。そこにあるはずの梱包資材が、まだ届いていないのだ。納品が遅れそうだという連絡に、葵は困惑した表情を浮かべていく。 「あー、事故渋滞ですか? それは災難でしたね。わかりました、仕方ないですよ。まあでも、遅くても二十時までにきていただければ……。え、いや、全然大丈夫ではないですよ。でも、どうしようもないですし。苦情は後で言わせてくれるんでしょう? そうそう、今度しっかり怒られてくださいね」  葵はいつもトラブルが起きると、こうやって軽い調子で電話に応対し、早めにそれを切り上げる。そこで腹を立てている時間が勿体無いと思ってしまうらしい。そして、すぐにやるべきことへと意識を戻していく。 「リョウ、オレンジ注いでもらってていい? 美玲さんが出勤前に顔出すらしいから、ジュースで乾杯するって」 「はーい、了解です」  いつもであれば、この時間の店内は閑散としていて、カフェからダイニングバーへと切り替えをするための準備がなされている。スタッフは、店長である葵と大学生のアルバイトの子が二名、それに、無賃で手伝いをしているリョウとミドリだけであることが多い。    しかし、今日はサトルと優希が婚約披露のパーティーをするので、カフェタイム終了後にすぐに店はクローズされた。近しい人だけの集まりとして小規模で行うため、アルバイトの二人には休みを取ってもらっている。  葵とリョウとミドリだけで準備を終えれば、あとは楽しく過ごすだけだからだ。  先ほどの電話は、唯一結婚パーティーらしいこととして予定している、お見送りの際に渡すお土産の焼き菓子セットを入れるボックスの納品が遅れるという連絡だった。  そもそも、その納品が当日になっているのが既に葵のミスだった。優希からの突然のリクエストだったとはいえ、納品が確定した後に日付の確認を怠っていたのだ。  そのことを詫びると、 『こうやってバタバタするのも、僕にとっては新鮮で楽しいよ』  と言って笑ってくれた。あの日の優希は天使に見えた。  今日は、そのお土産を渡すことと二人が挨拶をする以外には、特にイベントらしきことはしないことになっている。自分たちが幸せを分かち合いたいと思っている近しい人達に、ただ感謝を伝える場にしたい、そのことだけに時間を使いたいと、二人が強く希望したからだ。  しかし、特別なことをしないおもてなしというのは、実はかえって手間がかかるのだ。料理や酒類を楽しんで貰うために、各人の好みを聞いてそれに見合ったものを用意しなくてはならない。実のところ、店側の対応としてはなかなかに大変だったのである。  それでも葵とリョウとミドリの三人は、大好きな優希とサトルのために、この一ヶ月の間に出来る限りのおもてなしを目指して準備をしてきた。  二人を結びつけたこの店で、二人が最も幸せを感じられる時間を過ごさせてあげたいとの思いが、三人を突き動かしていた。  サトルと優希が愛してやまないこの店の名前は、「cafe all-sorts “Day&Night”」と言う。  オーナーである後藤瑞稀(ごとうみずき)は、豪快で豪胆、行動力と包容力のある野生味溢れた男で、多種多様の人と多く関わってきた青年実業家である。  オールソーツ前身の店がバーのみの営業をしていた時代から、その柔軟な思考により多くの人へ利益と幸せをもたらしてきた。  この界隈では、後藤と関わった人間は活力に満ちた人へと変わることが出来るという、伝説のような噂がまことしやかに囁かれている。  葵は、五年前に後藤からカフェを始めるから店長をやってくれないかと頼まれた。その際に店のコンセプトを聞いて深く感銘を受け、是非やらせて下さいと飛びついた。  オールソーツのコンセプト、それは「それでも僕は、前を向く」である。  後藤の周囲には、様々な事情により生きづらさを抱えている人が集まってくる。それは、彼自身が細かいことを気にしないタイプだからだろうと言われている。  そして、散々人嫌いになった後にここへ辿り着いた人々は、皆口を揃えて 「後藤は天性の人たらし」  だと言う。  彼に何かを詮索されたとしても、真をついたような言葉を突きつけられても、なぜか嫌な気にならないらしい。 「もう二度と人と深く関わるのはごめんだと思ってたのにねえ。たまたまお店の雰囲気が良くて、たまたま後藤さんが店にいる日で、葵くんが魅力的だったからそのまま常連になっていったんだよね。店に何か特別なものがあるわけでもないのに、気がついたら自然と前を向いちゃってた感じだな。どうしてそうなるのかは全くわからないけどね。コンセプトはぴったりだと思うけど、なんでそれを理解出来るのかは、本当に不思議でならないよ」  ここに通うことで前を向けた人たちのその言葉を受けて、後藤はいつもこう返す。 「いつ行ってもいろんな人がいる。それが当たり前で自然だと知って生きている方が、人生は楽しいだろう? 全く知らない、わからない人だったとしても、一定の距離を保ったままずっとその人を見ていれば、だんだん適切な対応ってわかるようになる。それを繰り返していくと、人ぎらいはわりと治りやすい。絶対とは言えないけどな。カウンターに立つスタッフにそういうのが自然と出来るタイプで柔和な人物を選定する、そうすると自然と客は寄ってくる。あとは葵に任せてるだけだ。人選の時点で、コンセプトの設定は完了してるってことだな」  そう言って豪快に笑うのだ。  サトルが優希とのパーティーにこの店を選んだのも、そのコンセプトを気に入って通っていたからだ。葵が店長で無かったとしても常連になっていただろうと、いつも言っている。  そして、優希にとってのこの店は、人生を変えた大切な場所なのだ。ここに集う人の中で、誰よりも前を向きたいと強く願っていたのは、間違いなく優希だったからだ。  彼は最初、幼馴染である葵に会うためにここに通っていたのだが、そのうちにここが自分の問題への対処をするために、必要不可欠な場所となっていったのだ。  しかし、それももう五年ほど前の話だ。今の優希にとってのオールソーツは、前を向いて歩き出した結果、幸せをつかんだ場所だと言える。  前を向くために踏み出した一歩は、とても重く踏み出すことが難しいものだった。その手助けをしたのがサトルであり、そのサトルを紹介した葵という支えがあってこその一歩だった。ここで葵にサトルを紹介されなければ、今の優希は無い。  だからこそ二人は、ここをスタート地点に選んだ。ここであれば、確実に自分たちらしくいられるからだ。

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