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第3話
着任の儀から数ヶ月が立ち、季節はすっかり夏めいていた。
新人聖騎士セドリットとの決別から数日間は苛立ちが消えず、エルシュフィールはどこかもやもやとした気分を抱えていたものの、大神殿や職場でセドリットと会うことは滅多にない。また着任の儀の時の騒ぎも徐々におさまり、彼とのことで気を揉むことも、もうすでになくなっている。
苛立ちや怒りは時間が解決してくれていて、もうほとんど思い出していない。
平穏で、職務に邁進するエルシュフィールの日常を取り戻していた。
「やるか」
日中は時間が経つごとに日差しがだんだんと強くなってきている。窓から陽が入るだけでも部屋の温度が上がるようになっていた。
普段着の薄衣を纏ったエルシュフィールは手巾で首の汗を拭う。そして執務机に座ると、まずその日の執務に優先順位をつけるのだ。執務を開始する前、朝一番にエルシュフィールがすることであった。
「こんな書類仕事など後回しでいいな……、今日は……」
ぶつぶつと口に出しながら、急ぎでない書類や、エルシュフィールが出なくともいい会議などがないか確認し、印をつけていく。
(そうか、今日は孤児院へ行く日だったな……)
午後の一番最初に入っている予定に二重丸をつけた。午後に入っているが、朝一から行くことにした。
ルグレミド王国の持つ医療技術は他の国よりも発達し、水準も高い。だが新興国でもあるため、万民には行き届いておらず、貧富の差が激しい。また国自体も豊かであるとは言えないため、捨て子や、経済的な理由で孤児院に預けられた子供がいた。
その子供達の健康状態や病気、障害を持つ子に診察と治療をするため、午後からエルシュフィールは孤児院へ行くことになっている。エルシュフィールは医師でもあるからだ。
予定を確認していた時、コンコン、と扉を叩く音が聞こえた。誰か訪ねてきたのだ。
(朝早くに誰だろうか?)
予定表をチラリと見た。朝に来客の予定はなかった。不思議に思いながらも、応対する。
「はい、どうぞ」
「失礼します」
扉が開かれ、部屋に入ってきた人物を見て、エルシュフィールは驚愕する。目を大きくし、思わず大きい声をあげてしまった。
「な、セドリット・キルリーシアン!」
部屋に入ってきたのは数ヶ月前、『狂信者』『権力欲の塊』とお互いに罵り合い、決別した新人聖騎士のセドリットだった。
セドリットは執務机を挟んで、エルシュフィールの前に立つ。そして、かしこまった態度を取った。
エルシュフィールをじっと見つめると、わざとらしいほど真面目な声を放つ。
「この度、エルシュフィール大神官補の身辺護衛の任を承りました、セドリット・キルリーシアンです。よろしくお願いいたします」
「拒否する! 私は承認した覚えなどないぞ!」
反射的に言葉が出ていた。身辺護衛は日中ずっと行動を共にする役目だ。喧嘩別れしたような人物とずっと一緒なんて耐えられそうにない。
「僕だって嫌ですよ、女神ヘレージアを信じていない貴方の側にいるなんて」
セドリットも口を尖らせている。あからさまに不本意そうな表情をしていた。
「しかし大神官様から直々に辞令を頂きました。エルシュフィール様の元にも書類が届けたと聞いていますが……」
「何っ⁉︎」
今朝、部下の秘書神官が持ってきた決済箱を漁るようにして確認した。たくさんの書類に埋もれ、奥の、そのまた奥にその書類は隠されていた。
安価な羊皮紙や木ではなく、高価な紙が使われている。手触りの良さにエルシュフィールは嫌な予感がした。そして、その予想は的中する。
(こ、国王陛下の署名入り……!)
国王、大神官の署名に続き、大神官補であるエルシュフィールの署名する場所が空けてある。
普通は位が一番低い大神官補のエルシュフィールから署名をして、最後に国王陛下の署名をもらうのが筋なのではないか、と思う。だが何となく、頭に大神官の穏やかそうでいて、食えない笑顔が頭にちらつき、エルシュフィールの背中に冷たい汗が流れた。
大神官は何度も信仰心の大切さをエルシュフィールに諭していた。それを長年聞かず、ここまで来たのは自分だ。そのことに今更、悔いも後悔もない。
(まさか、『信仰心の篤い』コイツをわざと私に近づけたのか……?)
ちら、と書類をずらし、セドリットを盗み見た。
不満げな視線と目が合い、急いでエルシュフィールは書類で顔を隠す。
大神官だけでなく、国王陛下の署名まで入っているのに、エルシュフィール如きが異議を唱えられるはずがない。
「……わかった。署名するから待ってくれないか」
仕方ない、仕方ない、と何度も自分に言い聞かせ、エルシュフィールは署名をした。秘書神官を呼び、この書類を大神官の元へと持って行くように指示した。
署名をしてしまえば、もう抗議することも、配置を変えてもらうことも容易ではない。しかし、国王陛下の署名を前にそんなことをするなど、もってのほかだ。逆らうことなどできなかった。
(どうして大神官様はこんなことをする……? いい加減、信仰については諦めてほしい)
着任の儀の出来事は大神官もおそらく知っているはずだ。
『信仰心の篤い』セドリットをエルシュフィールの側に置くことで、自分の考えが変わるとでも思っているのだろうか。
それはない、と言っていいだろう。大神官が何度諭しても、エルシュフィールは女神への信仰心を取り戻すことはなかった。大神官でさえ無理だったのに、こんな若造の新人聖騎士如きがエルシュフィールに何らかの影響を与えられることなど考えにくい。
(あぁ、もう!)
頭を掻きむしってしまいたい。けれども、みっともない姿を二度もセドリットの前で見せたくなかった。
今は『身辺護衛はセドリット』という信じ難い現実を受け入れ、一日一日の業務をこなしていくしかない。
(こいつと……、あぁ……)
それに、今日は孤児院を訪問する日なのだ。子供達に沈んだ顔は見せられない。
「今日は朝から郊外の孤児院へ行く。お前もついてこい」
エルシュフィールは、すぐさま頭を切り替えた。動揺を悟られぬよう、平易な声色になるよう努めた。
外出の準備を始める。すると、セドリットは不思議そうに言葉を返した。
「秘書神官様から渡された予定には、午前は書類仕事と書いてあったのですが……」
「もう確認はした。急ぎのものはすでに送ってある。後は帰ってから始めても問題のないものだ」
「そうなんですか……、というか、貴方が孤児院に?」
セドリットに尋ねられたが、なぜそんな質問をされるのかエルシュフィールはよくわからなかった。
「そうだ、私は外での仕事が多いから早めに仕事を覚えてくれ」
「ええ……、ああ、はい」
何とも煮え切らない返事が聞こえてきたが、気にしている暇はない。たくさんの子供達が待っている。何とか今日で全員の検診を終わらせたい。孤児院は他にもたくさんある。
持ち運びができる革製の医者鞄の中身を確認した。壊れているものや、足りないものはない。
鞄を閉めると、エルシュフィールは立ち上がった。
今日は暑い。長髪は切ってしまいたいが、神秘的な容姿を保つため、大神官に止められていた。
鬱陶しい長髪を切ってしまいたい、と直談判した時に大神官から言われた言葉を思い出す。
『その姿が役に立つこともあることじゃろうから』
未だ意味はわからないし、役に立ったと特に感じたことはないが、切ることができずにいた。
(医療的には長すぎる髪は不衛生になることもあるが……)
まあまとめてしまえば、診察や医療行為の妨げになることは少ない。エルシュフィールは髪紐を手に取り、さっと一つにまとめ、きつく縛った。
「行くぞ」
エルシュフィールは、まだ怪訝そうな顔をしているセドリットに声をかけ、二人は執務室を後にした。
本日、訪れる孤児院は王都でも貧民街に接している場所に建てられている。なので、周囲の治安は良いとは言い難い。捨て子や、両親が亡くなってしまい、親戚もいない子供など、仕方なくここで生活している子供達がたくさんいた。
「あ、エルシュフィール様!」
「来るの遅いよー! みんな待ってたよ」
「早く、こっちに来て。新しい花が咲いたんだよ」
職員の案内で中庭に接する廊下を歩いていると、エルシュフィールに気がついた子供達が近くにわらわらと寄ってきた。
ここに来るのは久しぶりだ。三ヶ月ぶりだろうか。検診の前に子供たちが今、どういう状態なのか、軽く確認しておきたい。
「本当に久しぶりだな。おはよう、みんな。体調はどうかな?」
子供達の背中を服の上からそっと触り、肉付きや骨の発達を簡単に調べた。
(以前よりも良くなっているな、病的に骨が浮いている子もほとんどいない)
エルシュフィールは安堵した。以前、訪問した時は栄養状態が悪く、体調を崩している子さえいたのだ。今はみんな、元気そうに日差しのきつい中庭で汗だくになりながら走り回ったり、涼みながら木陰で本を読んでいる子など様々だ。
「みんな元気! ご飯もたくさん出るようになって、いっぱい食べてる!」
「身体の調子も良くなってね、お外で遊べるようになったんだよ〜」
「そうか、それは良かった」
見上げてくる子供の顔を一人一人と視線を合わせながら、エルシュフィールはくしゃくしゃと柔らかく頭を撫でた。
「ねえ、あの人だあれ?」
子供が指差す方向には、エルシュフィールからつかず、離れずの距離で、ぽつんと所在なげに立っているセドリットがいた。まだ困惑した表情が消えていない。
もしかして、子供は苦手なのだろうか。
「私の新しい護衛だよ、聖騎士だ」
幾人かの子供達は聖騎士といえども、見慣れない武装した大人に怯えていたり、警戒をしている。
遠くの地方や他の国から、誘拐や人身売買など犯罪に巻き込まれて、ここにいる子供達もいる。
そういう子供達は特に知らない大人に対して警戒心が強い。
(これからセドリットもこういうところへ来ることが多くなるだろう……、紹介をして早めに馴染めるようしておいた方がいいな)
そう判断したエルシュフィールはセドリットへ声をかけた。
「こちらへ来てくれないか、セドリット」
「あぁ、はい」
小走りでセドリットが近づいてくる。
「今日から私の護衛になったセドリット・キルリーシアン、敬虔な信仰心を持つ聖騎士だ。怖い大人ではないからみんなもどうか仲良くしてやってくれ」
「けいけん?」
聞き返す子供がいる。
『敬虔』という言葉は少し難しかったかもしれない。エルシュフィールは簡単な言葉で言い直した。
「女神様を深く信じ、命を賭して仕えているという意味だ」
「そうなんだ! 女神様を信じているなら、怖い人じゃないんだね!」
はしゃいだ男の子たちはエルシュフィールから離れ、セドリットの方へと近づいていく。やはり男の子たちは騎士という職業に憧れがあるようだ。
「剣かっこいい!」
「どうすれば俺も聖騎士になれる?」
「僕の剣さばき見て! 本で見て練習したんだ!」
「えっと……、順番に、順番にしてくれ、頼む」
子供達に囲まれ、セドリットは少々困っているように見えた。
エルシュフィールが紹介したからか、男の子だけでなく、女の子達の関心もセドリットへと移っていく。
(職員もいるし、大丈夫だろう。セドリットにも子供達に慣れてもらわないと困るしな)
セドリットと職員にこの場を任せてもいいと判断したエルシュフィールは子供達に声をかけた。
「今日は検診だ。準備ができたら名前を呼ぶから、それまで聖騎士のお兄さんと遊んでいてくれ」
「え、エルシュフィール様⁉︎」
セドリットが驚いた声を上げる。
セドリットは身辺護衛として、ここに来ている。なのでエルシュフィールから離れるのはまずい、と思ったのだろう。
だが、子供達を無理に引き剥がしたり、おざなりにはできないようで、焦った表情で子供達とエルシュフィールを交互に見ていた。
「大丈夫だ、ここは孤児院の中だ。何も危ないことなど起きない」
「しかし……っ」
「聖騎士は子供達の憧れなんだ、しばらく相手をしてやってくれ」
エルシュフィールはセドリットに諭す。ちょうど職員がエルシュフィールを呼びに来た。準備ができたようだ
おろした医者鞄をまた持つと、孤児院に併設された病院の方へ、エルシュフィールは向かった。
なにしろここは格段に他の孤児院と比べると、子供の数が多い。全員の検診が終わると、昼はとっくに過ぎていた。
検診の結果は悪くない。みんな順調に成長している。以前、孤児院の職員たちに指導した食事改善が覿面に効いたようだ。一安心である。
エルシュフィールの昼食は検診の合間に軽く摂った。なので、腹は空いていない。
そろそろ大神殿に戻らないと、また雑務が溜まっていることだろう。
(明日でもいいかな……)
甘い考えが思わず脳裏をよぎった。
エルシュフィールでも、あの人数の子供達を一気に診察するのは、さすがに疲れてしまったのだ。
あれやこれやと予定や段取りを考えながら、また孤児院の方へ戻る。
日差しが和らぎ、夕方の涼しさを孕んだ風が吹き始めた頃、中庭や中で遊んでいるのは年齢が高い子達ばかりになっていた。
小さい子供達はまだお昼寝の最中なのだろう。もしかしたら、セドリットと遊び疲れ、夕飯の時間まで寝てしまう子供もいるかもしれない。
窓辺からそっと様子を見る。女の子たちのおままごとに付き合っているセドリットがいた。頭には何とも可愛らしい花冠が被せられている。
(随分と馴染んでいるな……)
良かった、とエルシュフィールは素直に感じた。騎士には気難しい者もおり、なかなか子供達と馴染めない者もいる。
それに聖ヘレージア騎士団といえば、騎士の中でも花形で、家柄、実力、容姿が伴っていないとなかなか入団は許可されない。自然と、大貴族の息子や元近衛兵など聖騎士になることができる人数は限られてくる。
だからか、貧民の子供などに構っていられない、と平気で口に出し、文句を言うような人物が混ざっていることがある。これは平民出身の聖騎士でも同じだった。
変なプライド、特権意識があるのだろう。
それに国が医療や福祉に力を入れているとはいえ、孤児や貧民、病人の世話や介護、看護をする者は卑しい身分の者がすることだ、という考えが民や貴族の間では、まだ拭いきれていなかった。
万民を救うという教えを広めておきながら、こういった差別の側面は放置されているのだ。
慈愛の女神なら、みんなを救え、と強く、怒りを持って、女神の在り方や大神殿の考えをエルシュフィールは批判的に見ていた。
(セドリットにはそういう、凝り固まった悪しき価値観はないようだな)
みんな楽しそうにセドリットと遊んでいる。今、水に花が浮かべられた飲み物をセドリットが飲むふりをした。セドリットが美味い、と言うと、子供達から歓声が上がっている。
朗らかで優しい景色だと思った。自分はこういう風景のためにこの仕事をしていると言ってもいいだろう。
セドリットの『権力欲の塊』という言い草は腹が立つが、女神を信じていない、とあの時に勢いで言ってしまったから、そう思われても仕方がない。
セドリットと子供達の微笑ましい様子を眺めていると、孤児院の職員に声をかけられた。
「エルシュフィール様、セドリット様はたくさん子供達の相手をしてくれています。食事の配膳なんかも手伝ってくれて、本当に助かりましたよ」
職員はにこにこ、と笑いながら、エルシュフィールがいない間のセドリットについて話をしてくれた。初日で、さっそく職員にも気に入られたようで何よりだ。
「あ、エルシュフィール様!」
窓辺で頬杖をついているエルシュフィールに気がついた女の子が一人、こちらへ向かって手を振った。
エルシュフィールも手を振り返し、側へ近づいていく。
「今、おままごとをしているの! セドリット様がお兄ちゃん役! エルシュフィール様は……、セドリット様の恋人役ね!」
「セドリットの恋人役⁉︎ 何だそれ……」
単純な家族構成のおままごとではないらしい。手を引かれるがまま、セドリットの横に座らされる。
そして、頭に花冠を載せられた。
「お二人ともとってもお似合い! わたしの理想の恋人!」
子供とは想像力が豊かだと感じる。
(こいつと恋人なんて、ありえないな……)
だが、無邪気に遊んでいるだけの子供に本音など言わない。
エルシュフィールは、女の子に優しく微笑んで見せる。
「そうだな、聖騎士と夫婦になれるなんて私は幸せ者だよ、母上」
「そうでしょう? やはり母の目に狂いはなかったわね」
エルシュフィールに花冠をのせた子が母親役らしい。胸を張り、ふん、と可愛らしく鼻を膨らませている。
「僕もこのような神聖なお方と結婚できるなんて、思いもよりませんでした。この幸運に感謝を、お母様」
胸に手を当て、セドリットがひざまづき、頭を垂れる。
着任の儀とは違い、なかなか様になっており、エルシュフィールは少しだけセドリットを見直した。
(何だ、普通にしていれば変なところなどないではないか)
はっきり言って、今のセドリットはかっこよかった。聖騎士の煌びやかな制服に、若々しい容貌、頭の上の花冠も間抜けには見えず、むしろ美しささえ感じる。
気がつけば、西日に透けているセドリットの目を閉じた横顔から目が離せなくなっていた。
(綺麗な横顔だな……)
「お母様、わたしもかっこいい騎士様と結婚したいわ」
「セドリット様のような騎士様は他にいないのかしら〜?」
他の娘役の子供達の声でエルシュフィールははっと、我に帰る。
(ただのおままごと、お遊びだ……)
ほんのひとときであってもセドリットに見惚れていたなど、恥ずかしすぎる。
視線をすぐに逸らし、エルシュフィールは何事もなかったかのように、おままごとに付き合う。
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