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第4話

 結局、夕飯の配膳なども手伝ってからエルシュフィールとセドリットは帰ることになった。  施設ではいつも人手が足りない。職員はみな、エルシュフィールとセドリットの協力に感謝をしてくれていた。  ほとんどの子供が食事を終えた頃、エルシュフィールは部屋の隅で何かを抱きしめながら、声を押し殺し、涙を流している、年端も行かない男の子がいることに気がついた。  側にはセドリットがついており、頭を撫でながら何か言っている。きっと慰めているのだろう。  他の職員はまだ小さい子の食事の介添をしており、その子供の世話をする余裕はなさそうである。 「どうした? 何があったんだ?」  怪我や体調不良ではなさそうだ、と観察しながらエルシュフィールはその二人に近づいていく。 「この子……、冷たくなってて……、もう動かなくって……」  時折、言葉を詰まらせながら泣く男の子はエルシュフィールに対し、そっとそれを差し出す。  灰色の毛に覆われたそれはまだ身体の小さな子ウサギだった。 「夕ご飯をあげようとしたら……、食べなくて……、寝てるだけかと思ったのに……、うぅっ!」  喉を詰まらせながら、エルシュフィールに説明している。ポタポタ、と流れる涙が子ウサギの灰色の毛を濡らした。 「大切にしていた子ウサギが死んでしまったようなんです」  セドリットがわかりやすくまとめてくれる。 「触ってもいいか?」  男の子が頷いたので、エルシュフィールは動かない子ウサギに触れた。  冷たい。そして身体は硬くなっていた。もう完全に魂の抜けた身体だけになっている。  子ウサギの身体に色々と触れているエルシュフィールを見て、男の子は少しだけ顔を明るくさせた。 「そうだ! エルシュフィール様はお医者様だよね⁉︎ この子を治してあげてくれないかな!」  子供の希望を見つけたかのような笑顔を裏切るのは申し訳ないが、差し出された子ウサギは既に息をしていない。エルシュフィールにはもうどうすることもできなかった。 「それは無理だ。この子の魂はもうここにはない。私は医者だが、いない魂を引き戻すことはできないんだ」  動物は専門外だ、という言葉はあえて言わないでおく。この子たちにとって、医者とは病気や怪我を治療する者という認識である。人間だけ、動物だけ、という違いは、今はわからないだろう。成長すればみなだんだんわかってくることを悲しみにくれている今、説明しなくとも良いはずだ。 「私にはもう治せない、すまない」  医者であるエルシュフィールに一縷の希望を託していたのであろう。男の子は大きく嗚咽し始めた。 「悲しいな、中庭の隅に埋めてやろう。この子が女神様の元で可愛がって頂けるように、私が祝福をあげるから……」  子供の手を引き、外に出る。もうすっかり辺りは暗くなっている。生温い夜風がエルシュフィールの頬を撫でた。  気がつけば、セドリットも外へ出てきている。  セドリットはいたって、真面目な表情をして、エルシュフィールを見つめていた。 「……貴方がこんなことをするなんて、思いもよりませんでした」  男の子には聞こえないよう、セドリットから言葉が囁かれる。 「優しいんですね……」  そう言ったセドリットの視線が柔らかく崩れ、エルシュフィールは何故か気恥ずかしくなった。あれだけセドリットには女神はいない、と啖呵を切ったのだ。自分の行動があの時の言動と矛盾していることはよくわかる。 「別に……」  どういう言葉を返せばいいのかわからず、エルシュフィールはそっけなく返事をした。  この子に信仰云々、女神がいるいない云々、語るつもりも、教え込むつもりもない。信仰は自由であるし、そもそもそんな難しい話を年端もいかない子が理解できるとは思えない。  女神を拠り所にして、明日の幸せを願う。何かしら、心が傷ついている子供達にはそうすることが一番良いだろう。 「ここに埋めよう」 「僕が掘ります」  セドリットが中庭の隅、木陰の側に子ウサギが収まる程度の穴を掘ってくれている。率先して、こういうことをしてくれるセドリットにエルシュフィールははっきりと好感を持った。 「あぁ……、さよなら、さよなら……」  子供はなかなか子ウサギを離したがらなかった。しかし、しばらくすると決心がついたのか、そっと穴の中に子ウサギを置いた。その上に土を被せ、身体が見えなくなったら、たんぽぽを供える。 「この子、たんぽぽが好きだったから……」 「それじゃ、毎日たんぽぽを供えてあげるといい。そうすれば、女神様の元へ行っても、お前のことを忘れないだろう」  エルシュフィールはひざまづき、手を胸元で組みながら、目を閉じた。セドリットと子供の二人もそれに倣い、同じ体勢になる。 「彼のウサギの御霊が女神ヘレージアのもとで安らかにあらんことを」  エルシュフィールは言い終えると、目を閉じ、黙祷を捧げる。セドリットと男の子もエルシュフィールに習った。  しばらくすると、エルシュフィールは立ち上がった。子供はまだ泣いており、目元を強く擦っていた。 「そんなに目を擦るな、傷がついてしまう」  エルシュフィールはそっと男の子を抱きしめた。小さな肩は小刻みに震えている。  涙が服に染み込み、冷たさを感じる。涙だけでなく、鼻水などでエルシュフィールの服は汚れてしまっているだろう。だが、この子が泣き止むまで、エルシュフィールは優しく抱きしめ続けていた。 「ありがとう……、エルシュフィール様」  ようやく涙が止まった子供がエルシュフィールを見上げる。その後頭部を優しく撫でた。 「落ち着いたか?」 「うん、けどまだやっぱり悲しい……、だから僕、こんな悲しい思いをしないで済むようにお医者さんになる!」 「ほう?」  エルシュフィールは片眉をあげる。先程まで悲しみに暮れていた子供から出てきたのは意外な言葉だった。 「人間も、動物も、ウサギも……、みんなの病気を治せるように、立派なお医者さんになりたい!」 「それでは、今より一層勉強を頑張らないといけないな」 「勉強は苦手だけど……、頑張る! ありがとうございました!」  子供は急いで頭を下げ、部屋の中へと走り去っていく。  エルシュフィールに目元を擦るな、と言われていたが、走りながら服の袖で乱雑に目元を拭っていた。きっとまだ悲しみは癒えていないのだろう。 (喪失の記憶に小さいも、大きいもない……)  でもあの子は『未来』の話をしていた。きっと立ち直ることができるだろう。  生温かった風はいつの間にか、心地よい涼しさを孕んでいる。頬を撫でていき、供えられたたんぽぽの花を揺らした。 「本当に、意外でした」  背後からセドリットに声をかけられる。エルシュフィールは振り向き、視線を合わせた。  困惑しているような、何か変なものでも見たかのような、けれども安堵を含んだ視線だ。不躾なものも感じるが、彼の困惑も理解はできるので、大した苛立ちにはならない。 「貴方はもっと高圧的で、威張っているだけかと……」 「どんな印象だ……」  思わずはあ、とため息をついてしまった。 「権力欲に塗れた人だと思っていましたから。こうやって孤児院に来て、実際に何か仕事をするなんて思ってもいませんでした」 「どれだけ偉くなろうと、私は私だ。私の信じることをするだけさ」 「あのウサギの弔いだって、そんなことをせず、腐ると汚いから早く焼いてしまえ、とか言うのかな、とか心配していたんです」 「おいおい、私は鬼畜か何かか? 子供相手にそんなこと言うわけないだろう」  どんな印象だ、と少し憤慨する。 「子供達も、ここの職員も貴方を頼りにしていて、とても慕っています。僕は貴方を誤解していたのかもしれません」 「慕われているかはわからないが、子供相手に鬼畜な発言をする人間だと言うのは大いなる勘違いだな、今すぐ訂正してほしい」  きつく言い含めると、セドリットははにかんだ。 「はい、すみませんでした。貴方はとても仕事熱心で、お優しい方です。なのに、どうして頑なに女神様を拒むのですか?」 「……答えるつもりはない」  少しだけ距離が近づいていた気がしていた。なのにさっきの言葉で、踏み入られた心が騒めき、咄嗟に拒否の言葉が口から出ていた。セドリットの視線はあまりに無垢で透き通っている。きっと質問に悪気はないのだろう。エルシュフィールのことを少し知ったからこそ、女神を拒否することが不思議で仕方ないのだろう。 「私は……、女神などではなく、この国の、病める者、貧する者、窮する者の全てに仕えている。それだけだ……」  そう言うのが精一杯だった。エルシュフィールはセドリットに背を向け、子ウサギの墓に供えられたたんぽぽを見た。風に吹かれ、少しだけ揺れている。 (あぁ、こいつの無垢さ、純粋さが羨ましい……)  会話はここで終わりだった。エルシュフィールは建物の中へと向かった。

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