7 / 11

第7話

 エルシュフィールの足取りは重い。  昼中頃、突然大神官に呼び出しを受けたのだ。予定にはなかったことであり、急遽、病院で行っていた診察を中断し、大神殿に戻ってきた。  セドリットとの主聖堂での会話から一週間が経つ。エルシュフィールは以前ほど、自信を持てず、職務にあたっている。  信仰の強さを見てしまったことにより、今までの自分の人生を否定するようなことばかりが頭に思い浮かんでくるのだ。 (鎮静の儀も出れば良かったのかもしれない……、そうすれば、それだけでも、私を見て救われる人がいたのだろうか)  今まで思いもしなかったことが頭に浮かんでくる。いや、今までは考えることを無意識に拒否していたのだ。そんな自分に気がついた時、エルシュフィールは自分の心の弱さを痛感した。  足取りも、気持ちも重い。セドリットのことを尊敬する気持ちが芽生えている。だがなかなかそういう生き方を選べない自分がもどかしい。  また、なぜ大神官に突然呼び出されたのかも分からず、不安に駆られた。以前にはなかった類の気持ちだ。 (急用とは何だろう……)  大神官室に近づいていくと、扉の前に立っている聖騎士が中へ入っていく。おそらくエルシュフィールが来たことを大神官へ伝えてくれているのだろう。  彼が室から出てくる時、扉は開け放たれたままであった。 「エルシュフィール様、部屋へどうぞ。大神官様がお待ちです」 「ご苦労、ありがとう」  一声かけて、大神官室へ足を踏み入れる。目の前にはエルシュフィールのものとは違い、綺麗に整頓された執務机があり、眼鏡をかけた大神官が手に持った羊皮紙を読みながら、椅子に腰掛けていた。 「ああ、エルシュフィール。急に呼び出して済まない」 「いいえ、ご機嫌よう大神官様」  エルシュフィールは早足で近づいていき、執務机の前に行くと、頭を下げた。 「用とは何でしょう? 急ぎのものですか?」  大神官が手にしている羊皮紙には見覚えがあった。 「あぁ、そうじゃな。急ぎでやって欲しい」  その羊皮紙が手渡される。左上に金色のインクで王印が押され、さらに赤いインクで『至急』という文字が書かれている。 「これは……」  普通、正式な書類は紙で作成されるので、この羊皮紙のまま国王に見せるわけはない。あくまで案としてなので、貴重で高価な紙を使うわけにもいかず、エルシュフィールが大神官に見せるためだけに使ったものだ。 「もしかして……、このまま国王陛下にお見せしたのですか……?」 「そうじゃ、口で説明するより、これを見せた方が早そうじゃったからの」  何気なく言っているが、エルシュフィールには緊張が走る。 (それはものすごく、不敬に当たらないのだろうか……)  羊皮紙のままエルシュフィールが国王に見て欲しい、と持ってきたなどと伝わっていたらどうしよう、といらない心配が心を占めていく。 「何、大丈夫じゃ。兄上は余計なことでぐちぐちと言うようなタチではない。それよりも褒めておったぞ。一人でよくここまで計画を練っていた、と」 「それは……、身に余る光栄だと、国王陛下にお伝えください」  ふう、と息を吐き、緊張を逃す。国王と大神官の二人が普段から仲の良い兄弟で本当に良かった、と心から感じる。 「とりあえず急ぎとして、お前が書いた方に印を押してもらい、これを元として派遣の計画の許可をもらったのじゃ」  大神官の言葉にエルシュフィールの目が見開かれる。  今までの暗澹たる気持ちが開け、目の前が一気に広がっていく感覚がした。 「それでは派遣の計画を実行しても良い、と……?」 「責任者はお前だ、エルシュフィール。早速準備に取り掛かってくれ。正式な書類にはわしがもうしておいた。議会にはこちらで提出しておく」  大神官からの言葉に沈んでいた心が俄かにざわめいてくる。  力強い思いが波打つように、身体の奥から自分を鼓舞した。 (そうだ、私の強さはいついかなる時でも現実的な判断が下せることだ。奇跡や祈りに頼らない、現実に沿ったやり方ができること……)  命を助け、救うためなら、どんなことでもエルシュフィールはできる。  「ご配慮、ありがとうございます。そして大神官様のご協力なくば、この計画はくず籠に入れられていたでしょう。感謝いたします」  エルシュフィールは冷静に、と自分で自分に言い聞かせる。今なら自分ができること、自分のやるべきことを自信を持って執行することができるだろう。  お礼の言葉を述べる時、嬉しさで思わず声が上擦りそうになったが、何とか堪えることができた。 (常に冷静であれ、常に正しい判断を下せるように……)  エルシュフィールは袖の中で拳をぐ、と握り締める。 「天災のあった地域は災害の危険もあるが、以前より治安が著しく低下しておる。気をつけて、慎重に頼むぞ」 「わかりました。それでは早速、準備をしてまいります」  一礼し、エルシュフィールは大神官の執務室を出た。  ここへ来る時に感じていた不安や葛藤はない。 (私は、私のできることをするだけだ……!)  やる気と自信に満ち溢れている。エルシュフィールは小走りで自分の執務室がある棟へ向かった。

ともだちにシェアしよう!