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第8話

 山を二つ越えた場所に天災が起きた地域があった。ちょうど国土の西方に当たる。  山の一つ、奥にあるのは火山だ。だからか、その地域、ヘルムレーメ郡は湯治が盛んで、傷や疲れを癒しに来る観光客が多い。宿屋や観光客向けに土産物屋などの商店が並び、平時なら賑わいを見せている。王室が持つ別荘の一つもこちらの地域にあった。  エルシュフィールたち、第一次災害派遣隊は、山道を馬に乗りながら進んでいる。食料や医療物資などは牛に引かせ、運んでいた。  観光都市として、成立をしていた地域なので、観光客だけでなく、行商人もよく通る。  道はきちんと整備されていて、山二つがあるといえども、平時であれば、四日もかからずに楽に到着することができる。  準備に五日、王都を出発して五日、全体として十日以上かかっているが、未だに二つ目の山に入りかけたところであった。  ヘルムメーレ郡は春頃、大きな地震があった。それで建物や施設などが倒壊し、生活が立ち行かなくなってしまったのだ。地震は一度だけでない。復興を妨げるように地震は何度も起き、更には河が氾濫。水が引いた後、川底に溜まっていた土砂が疫病を撒き散らし、人々は病に侵され、壊滅的な状態にあるという。 「これは酷い……、この道は整備されていたはずではなかったのか」  被害の情報がなかなか王都にまで届かなかった。王都からの物資搬入が遅れたのは、地震で土砂崩れなどが起き、道が塞がれていたからだろう。情報を聞き、エルシュフィールは王国軍の工作隊を借りてきている。それで何とか道を切り開き、道が途切れているところには新たに急拵えではあるが、橋を作って、ようやくここまで辿り着いたのだ。 「ここまで荒れているとは……、早くギザヘルの村に行かないと……」  エルシュフィールの横、同じように馬に乗ったセドリットが焦った口調で呟く。  セドリットの任務は変わっていなかった。エルシュフィールの身辺護衛を務めている。  エルシュフィールたち本隊が目指しているのはヘルムメーレ郡の中でも奥の奥にあるギザへル村であった。  秘境すぎてほとんど情報が入ってきていない。だが甚大な被害があり、治安も低下していて、民たちは災害と疫病、野盗の三つに怯えているだろう。 「道は一つしかないのか?」 「回り道はありますが、そうなるともうあと三日は余計にかかる算段になります。またこの回り道は昔から野盗が出るところで、いくら兵と聖騎士たちがいるとはいえ、守り切れるかどうか……」  横で地図を広げたセドリットがエルシュフィールに答える。 「ふむ……」  側に控えていた工作隊の隊長に意見を伺うと、即席なら一時間程度あれば、何とか道らしきものはできるだろうと答えが返ってくる。だが、天候もあり、安全は確実に保証できない、と言われてしまった。 (早く到着するか、回り道をするか……)  だがどちらも危険であることには変わりない。肩にぽつぽつ、と小さい水滴が当たる。上を見上げると、暗い雲が立ち込めていた。  山の天気は変わりやすい。エルシュフィールは目を閉じ、深く考える。 (安全は保証できない、と言われた。私たちが真っ先に考えねばならないことは、まず被害のあった地域に無事に到着することだ。完全な安全性が担保できないなら少し回り道をしてでも、たどり着くことを優先に考えるべきだろう……)  エルシュフィールは目を開ける。赤い瞳をセドリットに向け、言葉を発した。 「回り道へはどの道筋で行けばいい?」 「この先を左に行けば旧街道となり、回り道となります」 「なら、そちらから行こう」 「今はほとんど使われていないから、道が悪いかもしれません」 「仕方ない、私たちはまず被害地域へ辿り着かなければ意味がない。最悪、物資さえ届けば良い。野盗対策に荷馬車の周りを重点的に抑えておいてくれ」 「……わかりました」  そう言うと、セドリットは馬を返し、伝令に行く。  部隊の列が動き出した。天候さえ持ってくれれば何とかなる、とエルシュフィールは自分に言い聞かせた。  泥道を進む。ぬかるみは動物の体力も、人間の気力も奪っていく。 「物資だけは汚すな! あとはどうとでもなる!」  エルシュフィールは休憩を終え、動き出そうとした隊へ声をかけた。  回り道をする、と決めて三日目、旧街道は思ったより被害が少なく、急ぎつつ、エルシュフィールたちは道を進んでいた。 (確かに道の整備はされていない……、だが、土砂で完全に埋まっていたり、道が途切れていることはないな……、こっちへ来て正解だった)  心配された野盗の類も今のところ、遭遇はしていなかった。雨が降り、道が抜かるんではいるものの、何とか前進はできている。 「もうすぐだ、数時間あれば到着できる」 「ええ、こちらに来て正解でしたね。思ったより被害は少ないですし」  セドリットが戻ってきた。身体中、泥だらけにしている。頬あたりまで泥がはね、顔を汚していた。 「……働きすぎではないか? 野盗が出ればお前たち聖騎士団が頼りだぞ」 「ええ、もちろん。どんな時でも頼ってください」  セドリットは泥を拭おうとして、手の甲で顔を擦った。そのせいで、また更に泥が顔を汚している。  セドリットは先程までぬかるみに嵌まった、という荷馬車を押していたのだ。それで泥がはね、身体中を汚しているのだろう。  エルシュフィールはセドリットの頬に赤い傷ができていることに気がついた。 「頬に擦り傷がある。泥をつけると、傷から菌が入って膿んでくるぞ」 「何だかヒリヒリすると思ったら……、これぐらいの傷、放っておけば治りますよ」  擦り傷は目の近くにあった。腫れたり、膿みが出てきて、それが目に入ったりしたら、別の病気に罹ってしまう可能性もあり、とても危険だ。 「そうやって、小さな傷を舐めていると痛い目を見るぞ。来い、診てやる」  まだ隊列は本格的に動き出してはいない。 「顔、こっちへ向けてくれ」  セドリットはひざまづき、指示された通り、エルシュフィールに傷ついた頰を突き出す。  そして、エルシュフィールはまだ口をつけていない水筒を開け、中に入っている水で顔の泥を洗い流した。 「それは……、エルシュフィール様の飲み水では?」 「ん? 口はつけていないし、水筒も新しく出したものだ。余計な雑菌は入っていないから安心しろ」 「いやそうではなく、エルシュフィール様の飲み水が減ってしまいます」  山の街道で、近くに川はあるとはいえ、雨のせいで濁ってしまっている。それに、上流でないと、そのまま川の水を飲むことなど到底できない。  濾過装置ももちろん持ってきてはいるが、処理には限度があり、水の節約は徹底されていた。 「飲み水ぐらい自分で何とかする。そんなことより、お前が病気になる方が大変だ」  慣れない野宿や山道で、体調を崩したり、怪我をしている者が出ている。怪我人や急病人がこれ以上増えることは避けたい。皆、慣れない山道で疲労が溜まってきていて、体調を崩している者や怪我人が思った以上に出ているのだ。  傷口を水で洗い流した後、清潔な手巾で水気を拭き、赤い殺菌作用の強い消毒液を強めに塗り込む。痛かったのか、セドリットが眉を顰めた。 「我慢しろ。ひとまずはこれで応急処置とする。腫れてきたり、悪くなったりしたら、すぐに教えてくれ。傷口は無闇に触るなよ」 「わかりました、ありがとうございます……、うぅ、でもちょっと痛いですね。沁みます……」  セドリットの、傷口に近い方の目が涙目になっている。消毒液は殺菌性の高いものを使用した。なので、傷口に沁みているのだろう。  片目をおそるおそる瞑っている。何だか子供のような仕草に思え、エルシュフィールは庇護欲を覚えた。だが、セドリットばかりに構ってはいられない。 (これ以上、無理はしないでほしい……)  セドリットはもう充分隊のため、エルシュフィールのために働いてくれている。  心配する気持ちはあるが、先に進まねばならない。  無理をさせたくはないが、しかし、ここが踏ん張りどころでもある。 「さあもう行こうか、列も動き出しているし、お前は荷馬車の方で手伝いを……」 「あの、よかったらこれを使ってください」  エルシュフィールの言葉を遮り、手渡されたのはセドリットの水筒だった。 「いや、お前の飲み水だろう。もらうことはできない」  エルシュフィールよりセドリットの方が水分の摂取量も多いだろう。 「もう半分ほどしか入っていません。新しいものに替えようとしていたところなので問題はありませんよ」 「いや、そうは言われても……」  拒否しようとした手に無理やり握らされてしまった。すぐに手を離され、落とすわけにもいかず、エルシュフィールはセドリットの水筒を手に持ったまま、困惑した視線を向けた。 「僕の代わりはいますが、エルシュフィール様の代わりはいません。貴方こそ、倒れてはいけないお人なのですよ」 「あ、待ってくれ!」  エルシュフィールは呼び止めようとする。力仕事をすることが多いセドリットが水分を多く持っていた方がいいだろう。それにまた怪我をした時、この水で洗い流してから処置をしなければならない。 (それにお前の代わりはいるなんて、そんなこと言うな!)  自分の代わりはいる、と言ったセドリットに説教してやりたい気持ちになった。そういう心境で働いていたら、みんな最後には倒れてしまう。  自分たちは全員が被災地へ辿り着き、そこで活動できなければ意味がないのだ。  しかし、それを今、この瞬間に全て説明できるわけもなく、あっという間にセドリットは近くで待機させていた馬に乗ってしまった。そして、隊列の後ろへ走り去ってしまう。  仕方ない。この水は何かあった時のために残しておこう、とエルシュフィールが自分の馬の鞍に水筒をくくりつけた時であった。  ごおぉ、と地を這うような音が響いてきた。木々がざわざわと枝や葉を揺らしている。  最初、地震かと思ったが、地面は揺れていない。  エルシュフィールの目の前に小さな石が上から転がり落ちてきた。  とある可能性にエルシュフィールが気がつく。それと同時に誰かがエルシュフィールと同じ考えを叫んだ。 「落石と土砂だ!」  ただ何か違和感があった。だが、その違和感を探っている間に土砂や大きな岩が今にも落ちてくる可能性がある。  まずは安全確保と命を守る行動をしなければならない。覚えた違和感を無視し、エルシュフィールは指示を出した。 「慌てるな! 土砂は相当上から来ている! そのまま直進しろ! 必要でない荷は捨ておけ!」  混乱に落ち入りそうになった隊列へ、エルシュフィールは声を張り上げた。  土砂災害に遭った時、基本的に土砂とは直角に逃げることが推奨されている。土砂から逃げ、下に降りて行っても、土砂の速度の方が早く、追いつかれてしまうからだ。  どっちにしろ、ここには一本道しかない。それにこの辺りまで来たら、引き返すよりも、村へ行く方が近いし、安全だ。 「このまま突っ切る! そのまま村まで行くぞ!」  急いで、けれども周囲の様子を見つつ、エルシュフィールは馬に乗った。 (何かがおかしい……、音も響いた、木々も騒めいた、石もいくつか落ちてきた……、だが)  濃い土の香りが一切しないのだ。エルシュフィールはそこに違和感を持っていた。それに旧街道に入ってから、ぱらつく小雨の日はあったものの、豪雨は降っていない。ろくに道は整備もされておらず、木々が生い茂り、曇りの時の、わずかな日光さえ届かないから、道はぬかるんでいる。しかし落石を伴う土砂災害が起きるほどなのだろうか。  疑問を持ちつつも、馬で駆ける。 「エルシュフィール様!」  しばらくすると、後ろからセドリットが近づいて来た。 「被害は出ているか⁉︎」  何か報告があるのかもしれない。エルシュフィールは大きな声で尋ねる。  それと同じ声量で、セドリットはエルシュフィールに返した。 「いや、全く! 音はしましたが、小さな石が転がってくるだけで、何も被害はありません! それに土の香りもせず……、何かおかしい。もしかすると……」  ハッとした顔のセドリットと目が合った。しかし何かに気がつき、それをエルシュフィールに伝えようとしたセドリットの声を遮られてしまった。 「矢だ! 射かけられている!」  後ろから叫び声がし、エルシュフィールが振り返る。すぐ後ろの荷馬車に矢が突き刺さっていた。   同時にセドリットの鋭い声が近くで響く。 「危ない!」  エルシュフィールの視線が目まぐるしく変わる。エルシュフィールに射られた矢をセドリットが剣で弾いたところだった。 「これは罠です! 災害に見せかけてっ、野盗が潜んでいます!」 「一本道だ、先回りされているかもしれないな」  混乱はまだ続いており、護衛の騎士たちが荷や神官たちを守るようにして、応戦している。だが地の利は向こうにあり、野盗の規模もわからない。  混乱が大きくなればなるほど、エルシュフィールの頭はどんどん冴えていった。 (ここで立ち止まれば一気に取り囲まれ、医薬品や食料を奪われる。けれどここは一本道、きっと先には野盗の本隊が待ち構えているだろう。ならば……)  落石や土砂災害が起こったように見せかけたのはおそらく隊列の混乱を招きたかったのだろう。逃げるため、慌てふためき、隊列を乱し、混乱している最中に襲い掛かり、荷を奪うつもりだったのかもしれない。だがそれはうまくいかなかった。統率がきちんと取れていたので、思ったよりも混乱しなかったのだ。  それで見えないところから矢を射かけている。 (ここが要点だ。姿が全く見えず、矢ばかり……)  しかも射かけられている矢はかなりまばらだ。 (襲ってきている野党は小規模だ! 本体もきっと大した数はいない)  一本道の先で待っている野盗の本隊も聖騎士たちであれば難なく制圧することができるだろう。 「セドリット! 突っ切るぞ!」  ヒュン、と音がして、矢が髪を掠めた。エルシュフィールの銀色の髪はここでは目立っている。おそらく的になっているのだろう。  止まったら少数でも囲まれてしまうことは必須だ。それは何としても避けたい。 「この先に本隊がいる! だが少数だ! 聖騎士たちで何とかなるはずだ!」 「……っ! わかりました!」  視線だけで、セドリットにエルシュフィールの言いたいことは伝わったようだ。今更ながら、セドリットが『優秀』で季節外れの入団を許された特別な人間だということを思い出した。  セドリットは前方にいた数人を連れ、一気に駆け抜けていく。その集団の少し後をエルシュフィールはついていった。  後ろを振り返るが、思ったよりも隊列は混乱はしていない。 (行く前に野盗や盗賊に襲われた時の訓練をしておいたことが功を奏したな……)  エルシュフィールは再び前を向き、絶妙な速さで馬を走らせた。ここでエルシュフィールが突出したり、近づきすぎたりして、野盗に捕まり、人質にされたり、怪我をしたりすると余計な問題がまた発生し、救援どころの話ではなくなる。  もう三日も余計に日にちがずれているのだ。これ以上の遅れは避けたかった。  馬上でセドリットたちが剣を構える。  手入れされず、空を覆っていた木々たちが開けていた。もうすぐ街道を抜けられる。  もう目と鼻の先には目指していたギザヘル村があるだろう。 (その前に野盗たちだ……!)  セドリットたち、先頭集団が止まっているのが見えた。もしかしたら野盗集団と睨み合っているのかもしれない。  エルシュフィールは少し速度を落とし、様子を見ながら街道を抜けた時だった。 「これは……?」  予想していた光景とは違うものが目に飛び込んできて、エルシュフィールの眉間に皺が寄る。 「エルシュフィール様……」  セドリットの横に並ぶと、名前を呼ばれた。警戒心を孕んだその声に緊張感が伝わってくる。 『ギザヘル』と書かれた村の門は開かれており、その門の前には一人の女の子が立っていた。  その子は服を着ているのに、その上からでもわかるほど痩せ細っている。そして時折、咳をしていて苦しそうな息をしていた。  野盗の姿は見当たらない。ただ女の子が一人立っているだけだ。 (どういうことだ……? 野盗はいないのか? 矢や石はなんだったんだ?)  辺りを見まわし、大人がいないのも不自然に感じた。 「し、神官様……! けほっ!」  立っていた子供が咳き込みながら、エルシュフィールに近寄ってくる。エルシュフィールは迷わず、馬を降りて、子供に近づいた。 「待ってください! エルシュフィール様!」  セドリットも馬を降り、エルシュフィールに走り寄ってくる。そして、セドリットに手首を強く掴まれてしまった。 「罠かもしれません、様子がおかしいです」 「ああ、だろうな……」  だがここで、明らかに病気に侵され、野盗たちに利用されている子供たちをエルシュフィールが見捨てたらどうなるだろう。  罠かもしれない。村はとっくの昔に野盗たちに支配されているのかもしれない。もしくは困窮し、村ぐるみで犯罪に手を染めるしか生きる道がなくなったのかもしれない。  今、ギザヘル村やこの子が苦しんでいるのはエルシュフィールたちの到着が遅れたからだ。 (病人の前で……、野盗だとか、犯罪者だとか関係はない)  例え、国を裏切り、多くを殺した大罪人だとして、その者が司法に則った裁決で、罪を贖うまで、エルシュフィールは医師としての使命に則り、命を救うために最善を尽くすだけだ。  命に選別はつけられない。なぜなら、エルシュフィールは神ではなく、人間だからだ。  野盗なら聖騎士たちの出番だ。だが、今、目の前にいるのは震える小さな一人の病める子供だ。なら、自分が何とかする。  エルシュフィールはセドリットの手を振り払った。そしてさらに子供に近づく。 「よ、ようこそ……、お越しください、ました……」  溢れそうな開かれた瞳には涙が滲んでいる。声どころか、身体も震え、差し出された花は握りすぎたのか、萎れかかっている。 「あぁ、遅くなってすまなかった。綺麗な花をありがとう」  ひざまづき、花を受け取り、女の子と目線を合わせる。そっと抱き寄せ、身体を優しく撫でた。 「よく頑張った、もう大丈夫だ……。私は君の味方だから」  女の子がくしゃ、とエルシュフィールの服を掴む。 「……っ、て」 「ん?」  耳元で何か言われたが、嗚咽に紛れてうまく聞き取ることができなかった。  子供は大粒の涙を流している。下唇がわなわなと震え、大声で泣き出しそうになるのを堪えているかのようだ。  そして、子供は意を決したように大きな口を開け、声を張り上げた。 「みんな、悪いひとたちに脅されてる! 早く逃げて! 殺されちゃうっ!」 「危ない!」  女の子が叫んだ直後、その子に向け、矢が射られた。射られた矢はセドリットによって叩き折られる。  エルシュフィールは咄嗟に女の子を庇い、地面に這いつくばった。 「ごめんなさい、ごめんなさい……」  女の子は震えながら、謝罪の言葉を口にしている。抱えた胸元が冷たい。この子の心情を考えると、胸を突き刺すような痛みを感じた。 「大丈夫だ、何とかするために私たちが来たのだから」  エルシュフィールは思わず口から出た、自分で言った言葉に驚いた。  大神官と初めて会った時に言われた言葉と全く同じことを自分が口にしていたからだ。  だが過去の感傷に浸っている余裕も、暇もない。  周りは騒がしい。昔、他国の要請で支援に行った、野戦病院のことをぼんやり思い出していた。  やっと姿を現した野盗たちが聖騎士や兵士たちと斬り結んでいる。神官たちも無力ではない。医薬品や食料を守ろうと、必死に抵抗している。  セドリットはもう近くにいない。いつの間にか姿が見えなくなっていた。  現場は混乱している。神官のエルシュフィールが戦いに参加しても足手纏いになるだけだ。それに子供を保護している。この場を離れたいが、なかなかそれも難しい。 「ここは危ない。走れるか?」  腕の中の子供に尋ねる。矢はもう飛んできておらず、野盗はほぼこの場に出てきていると考えていいだろう。  やはり予想した通り、小規模の集団だった。女の子の言葉を信じると、疫病と災害に見舞われた村を恫喝していたに違いない。派遣が来たら支援品を奪った後、国境を超えて逃げるつもりだったのだろう。  このあたりはそういう野盗が出やすい。 「走れる……、あっちの方にまだ知られてない猟師小屋があるから、そこなら隠れていられるかも」 「わかった」  隙を見て、女の子が目線で教えてくれた方向へ走り出す。 「エルシュフィール様!」  走り出したエルシュフィールたちに気がついたのか、セドリットが野盗を蹴り飛ばし、こちらへ向かってきた。 「まだ見つかっていない猟師小屋があるらしい! 一旦、そこへこの子を隠す!」 「わかりました! エルシュフィール様もそこへお隠れになっていてください!」 「いや、私は戻る!」  猟師小屋に子供を隠したら、エルシュフィールは戻るつもりでいた。戦いの前線では何もできないとはいえ、この派遣部隊の指揮責任者は自分だ。戻らないわけにはいかない。被害状況を確認し、足りない物品や怪我人が多数いた場合、さらなる応援を頼まなければならないからだ。  それに村の状況もまだよくわからない。  戻る、と言ったからか、セドリットからは何か言いたそうな雰囲気を感じる。だがエルシュフィールもそこまで気を回していられない。 (増員は必須だな……)  治安の悪化は想像以上だった。これは本格的に村として立て直しを図らなければいけないだろう。  森の中へ入るとまた足場がぬかるんでいる。  三人で器用に枝や石を避けながら、猟師小屋へ向かっている時だった。  ひゅん、と嫌な音がして、エルシュフィールの髪に矢が掠めた。 「ひっ!」  驚いた女の子は足を止めてしまう。 「まだいたのか!」  そう怒鳴ったセドリットの動きは早い。矢は前から飛んできた。さっとエルシュフィールたちの前に出て、警戒をしようとした時だった。  明らかに子供を狙った矢が二つ、別方向から飛んでくる。セドリットは間に合わない。 「伏せろ!」  エルシュフィールは咄嗟に子供へ覆い被さり、地面に這いつくばった。  飛んできた二つの矢の内、一つは地面に散らばったエルシュフィールの銀髪の上に刺さった。  遅れて、腕に衝撃と、焼けるような痛みが走る。 「うっ」  エルシュフィールの、腕の柔らかい肉の部分に矢が突き刺さっていた。痛くてたまらない。だが、子供から離れるわけにはいかない。  今、エルシュフィールがこの上から退けば、子供は殺されてしまうだろう。 (矢が刺さったくらいなんだ……、骨の部分ではないし、ここは肉だ、深くもないはず……)  刺さった場所は致命傷ではないはずだ。  なのに、身体からどんどん力が抜けていく。もしかして動脈を傷つけてしまったのだろうか。 「し、神官様……」  身体の下にいる女の子が不安そうな顔でのぞいてくる。 「そんな……、泣きそうな、顔をする、な……、大丈夫、だから……」  傷口から血は止まらない。寒気と焼けるような痛みが定期的にやってきて、自分の身体を支えきれなくなってきた。  意識も朦朧としてくる。 「エルシュフィール様! あぁ! なぜ!」  目の前が全て暗くなる前に見たセドリットの顔はあの時と同じ、子供のように泣きじゃくった表情だった。

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