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第10話
エルシュフィールは二ヶ月ほど村に滞在した。身体が回復すると、病人たちの診察、治療をし、今までの遅れを取り戻すかのように、必死に働いた。
皆の活躍もあり、概ね、キザヘル村での疫病は終息した。村の復興も進んでいる。
村人たちを脅していた野盗も捕縛し、一番近くの司法施設へ移送した。そこで裁きが下されることになる。
だがまだまだ、この村には支援の手は必要だろう。規模は縮小されるものの、王都や神殿からの派遣はしばらく続けるとのことであった。
派遣第一陣であるエルシュフィールたちは、第二陣が村に到着するのを待ち、帰都した。
大神官に報告を終え、エルシュフィールには長期休暇が与えられた。流石に何日かは休養するつもりだが、ずっと休んでいるつもりはない。
今も孤児院へ行ってきた帰りだ。
エルシュフィールが生死の境を彷徨っていたことはどうやら子供達にも知られていたらしく、体調を気遣う手紙が大神殿に来ていたのだ。
返事をすることができなかったので、直接、孤児院へ行き、お礼をして、それからは子供達と走り回って遊んだ帰りである。
「みんな、変わりなくて良かったな……」
「ええ、エルシュフィール様の元気な姿を子供達に見せることが出来て、本当に良かったです」
セドリットに笑いかけられ、エルシュフィールも微笑み返す。
「セドリット、ありがとう。お前のおかげだよ」
ギザヘル村で、エルシュフィールとセドリットは想いを確かめ合い、無事に恋仲となった。
正反対の考えを持つセドリットと恋仲になるなんて考えも及ばなかった。恋愛感情なんか最初は抱いていなかったし、むしろエルシュフィールを女神と同一視していたセドリットを嫌っていたはずだ。
(私に、命を救うことだけではなく、魂を救うことの重要性も教えてくれたのはセドリットだ)
むしろ正反対だからこそ、惹かれあったのかもしれない、とも思う。それに命を助けるだとか、魂を救うだとか、そういうこと以前に彼の悲しむ顔を見たくない、悲しむ顔をさせたくないと痛烈に感じたのだ。
(せめて、セドリットの悲しみに寄り添っていければ良いんだ……)
最初から諦めるのは、自分の柄ではないが、それで少しでも彼の気が楽になるのなら、ずっと一緒にいたい。
(今夜も……)
邪な気持ちを抱いている自覚を持ちながら、エルシュフィールは機会を計っている。
派遣先で恋仲となったが、もちろんそこで想いを遂げた恋人同士のように振る舞えるわけがない。
エルシュフィールは死にかけていたし、具合が良くなってからもやることが山積みだった。セドリットも聖騎士として、治安の維持に努め、復興の手助けをしていた。
そしてそんな忙しい日々を過ごし、ようやく帰還命令が出て、第二陣の到着を待った後、帰ってきたのである。
(家はどうだろう……、来てくれるか……?)
淡い期待は夜になるにつれ、強い思いへと変わっていく。けれど経験のないエルシュフィールはどう切り出せば良いのか、迷うところがある。落ち着かない気分だ。腹がそわそわしていた。
決して焦っているわけではない。だが、セドリットとは、まだ手を繋ぐことと、口付けまでしかしていない。口付けも子供にするような軽いものだけだ。
エルシュフィールとて男性だ。好いていて、同じ想いを返してくれる相手がいるなら、その先に進みたいと思っている。
(セドリットも今日から長期休暇だし、それに私が年上……、立場も上だし……)
歩きながら、ちらりとセドリットの顔を見る。
(まだまだ子供っぽいな……)
性行為の経験はなさそうだな、と予想を立ててみる。そんなことを考えていながら、エルシュフィールも恋人ができること自体、初めてだ。もちろん、性行為の経験もない。
宗教によって違いはあるが、愛の女神であるへレージアは恋愛、婚姻を禁止してはいない。また異性だろうが、同性だろうが、ルグレミド王国では結婚ができる。もちろんそれは神官だろうと、騎士だろうと、神殿の下働きであろうと適用されるものだ。
二人とも平民だから、身分の差も気にしなくていい。
(恋愛なんか……、する余裕もなかったし、したいとも思わなかったのにな)
今まで人を恋しく思う気持ちがわからなかった。それにセドリットへの想いを自覚してから、困惑することもある。何をするにもセドリットのことを考えてしまうので、自分が実は恋愛脳だったのではないか、と疑っているところだ。今後はセドリットへの想いと、自分の目標とにきちんと折り合いをつけ、どちらか一方を優先したり、おろそかにするのではなく、両方を大切にしていきたい。
ぐちゃぐちゃと脳内で色々考え事をしていると、エルシュフィールが大神殿から与えられている屋敷についてしまった。騎士たちが住む居住区は反対側だ。セドリットが住む宿舎もそっちにある。
セドリットが遠回りして送ってくれたことに、自分の屋敷の前に立って初めて気がつき、また胸が高鳴る。純粋に嬉しさを感じた。
「ああ、もう着いてしまいましたね。少しでもエルシュフィール様と一緒にいたくて、ここまで来てしまいました」
エルシュフィールも同じ気持ちだ。けれどまだまだ一緒にいたい。切実にそう感じた。
「今日は誘って頂き、ありがとうございます」
「あぁ、ついてきてくれてありがとう、子供達も久々にお前と会えて喜んでいたな」
「僕も良い時間を過ごすことができました!」
このままの流れだと、解散する流れだ。
「それでは僕は宿舎の方へ……」
「待て!」
こういう時、しっかりと芯のある自分の声が嫌になる。焦っているので、予想より大きな声が出て、夜の通りに響いた。
少し声を抑え気味にして、エルシュフィールは続けた。
「せっかくここまで来たんだ……、その、上がっていかないか? 夜だから、使用人は帰ってしまったが……、茶ぐらい自分で淹れられるし……」
「エルシュフィール様」
こんなベタな誘い文句では考えは気づかれているだろう。恥ずかしくてセドリットの目を見れないでいると、手を取られる。
「こんなに震えているのに、無理しないでください」
「あっ……」
セドリットの大きい手がエルシュフィールの白い手に優しく重なる。余計に身体に火がついた。かっと耳まで熱くなる。
「家に入れてもらったら……、貴方に触れますよ。僕だって、男ですから……、好きな人と過ごしていれば、そういうことは期待します」
「あ、その……」
改めて言われると死ぬほど恥ずかしい。だが、セドリットはきちんと言語化し、相手に伝えるということを怠らなかった。そんなセドリットがますます好きになる。胸が高鳴り、頬に血が昇っていく。白い頬には朱が差していることだろう。
(セドリットは真っ直ぐだ……)
騙し討ちのように、家に入れ、何とかしようとしていた自分が恥ずかしい。エルシュフィールは髪を耳にかけた。耳の後ろがちくちくしている。
だから今度は自分も、想いを正直に伝えることにする。
「手の震えは怖れからじゃない。緊張していたんだ、こんなこと初めてだから……」
ここで言葉が止まってしまう。どう言えば良いのかわからなくなってしまった。
(正直に伝えれば良いんだ……、セドリットは誤魔化したり、茶化したりしない……)
喉がカラカラに乾いていた。急いで湧いてきた唾液を飲み込む。
「その……、私だって同じ気持ちなんだ。好きな人には触れたい、触れられたい、と思っている。怖くはない、お前が相手なら……、だから、んっ」
帰らないで欲しい、という言葉は口付けに溶けた。口内を肉厚な舌で弄られると、背筋が震える。やはりセドリットとの口付けは心地良い。
エルシュフィールも口付けに応え、セドリットの舌に自分の舌を絡ませる。
疼くような熱が唇から身体中をかけ巡った。もうセドリットのことしか考えられない。口付けだけで夢中になってしまうなんて、どれだけ自分はセドリットのことを求めているんだろう。はしたない、と思われたりしないか、不安になるが、その不安もこの口付けが答えだろう。
夢中になっていると、いつの間にかエルシュフィールはセドリットに抱きついていた。 セドリットはエルシュフィールを拒否することなく、ひし、と抱きしめてくれている。
エルシュフィールはじんわりと身体も、心も暖かくなって来るのを感じた。セドリットの大きい身体に、不思議と安心感を覚えているのだ。
ここで帰るなんて絶対に言わせたくない。
「すみません、いきなり口付けて……」
「いや、良いんだ……、でも中に入ろう……」
さら、と、セドリットの手の甲を撫でる。
「したい……、もう我慢できない」
陽は完全に落ちているが、セドリットの顔が赤くなったのがわかった。
名残惜しいが、身体を離す。エルシュフィールは撫でていたセドリットの手を取る。
そのまま手を引っ張り、室内へといざなった。
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