167 / 238

甘えたい

『課題に集中したいから図書館にいる』 『来てもいいけど、あんまり構ってあげられないかも』 頭を下げたネコのイラストのスタンプと一緒に八雲さんからメッセージが届いたのは、帰りのホームルームの前だった。 その日の授業を終わらせ、担任の先生が来るまでのこの時間がいつももどかしい。 ホームルームなんてすっ飛ばして、すぐ八雲さんに会いに行きたいって思うから。 そんな八雲さんは、どうやら図書館にいるらしい。 八雲さんは頭も容量もいいし、ここぞってときの集中力もすごい。 だから図書館で課題をこなすっていうのは、相当難しい内容なんだろうなって思う。 であれば、ここは大人しく帰宅するべきなんだけど…。 「……はあ」 でも、気持ちは八雲さんに会いたい。 実はここ数日、修学旅行の準備や八雲さんのゼミの関係で会えていない日が続いてる。 今日は久しぶりに会えるかもって思ってたから、このまま直帰したら干からびそう。 オレは悩みに悩んで「じゃあオレは宿題してます!」と返信をして、スマホを制服のポケットに押し込んだ。 ホームルームの先生の話は鬼のように長く感じられて、今すぐ教室を飛び出したい気持ちを抑えるのが大変。 そんなうずうずが伝わったのか、後ろから柳の笑い声が聞こえてきた。 「ダーリンに会える?」 「久しぶりに」 「顔ニヤついてんぞ」 「柳うっさい」 「カラオケ誘おうと思ったんだけどな~」 「また今度ね」 柳はへいへいって言いながら手をしっしっと払う。 ここ最近会えてなかったから、柳に少し気を遣わせてしまった。 こういう優しさに何回も救われてるから、オレからカラオケに誘ってあげようと思う。 今日は申し訳ないけど八雲さん優先。 と、思っていたんだけど……。 場所は変わって八雲さんのいる図書館まで来たオレは、自習スペースまで来て八雲さんを探し、難しい顔をしている姿を見つけた。 「八雲さん」 近づいて声をかけると、睨んでいた参考書から顔を上げて笑ってくれる。 「久しぶりなのにごめん」 「オレも宿題の量が多かったから、ちょうどいいです」 これは嘘。 八雲さんと一緒にいたくて、咄嗟に口から出てきちゃった言葉。 自然に言えたかどうかわからないけど、八雲さんは「そっか」とだけ言って、隣の椅子の上に置いてあった荷物をどかしてくれた。 「……なんですか?」 座るまでの間、八雲さんにじっと見つめられてちょっとそわそわ。 気になって理由を聞いてみる。 「んー……可愛いなって思って」 「ゴホッ!」 「そうやってすぐ動揺しちゃうところとか、南だなって感じる」 ひそひそとしゃべる八雲さんの声がいつもより色っぽく感じられて、すでに心臓がうるさい。 もうず随分と長く一緒にいるのに、八雲さん耐性がまったくつかないのはなんでだろう。 「もうやだ……かっこいい……」 八雲さんの方を向かないようにぼそっと呟いて、バッグから勉強道具を取り出す。 隣でくすくす笑ってるのがわかって、余計に恥ずかしい。 「課題がまだ全然終わらなくて、けっこう遅くなるかも」 「あの、オレ、待ちます」 「明日も学校だろ?」 「そうですけど……」 「可愛い顔してもダメ」 八雲さんは困ったように笑って、こつっとデコピンをした。 しぶしぶわかりましたって言えば「いい子」と言って、頭を撫でられる。 せっかく久しぶりに(といっても数日なんだけど)会えたのにって思っちゃうけど、相変わらずオレのこと心配してくれるし、もうその優しさだけで心が満たされる。 「かわい」 八雲さんはもう一度くすっと笑って、手元の参考書に視線を落とした。 何もかもを見透かされてるような感じがして、たまに悔しくなる。 何か悪態でもついてやろうかと思ったけど、頭に浮かんでくるのは「かっこいい」とか「やさおとこ」とか「イケメン」の褒め言葉ばっかり。 オレは諦めてため息をついて、宿題をするために教科書とノートを開いた。 今日出された宿題はそんなに多くない、というより、いつもより少ない方だった。 数学の問題集を解いて、次の授業で答え合わせと解説をするらしい。 しかもその次の授業は週明けの月曜日。今やる必要は全然ないし、八雲さんのテスト前スパルタ授業のおかげで、先生の話が前より理解できるようになった。 「……終わっちゃった」 解答に自信があるかと言われたら首を縦に振ることはできないけど、問題を飛ばすことなく一通りは解けた。 時計を見ると30分ちょっとしか経ってない。 隣にいる八雲さんは相変わらず難しい顔をしていて、視線がノートパソコンと参考資料を往復してる。 あ、でもたまにペンを持って何かをメモしてるみたい。 こんなに勉学に集中している八雲さんを見るのは初めてかもしれない。 険しいそうな顔をしているのが、またかっこいい……。 宿題が終わったと話しかけるわけにもいかず、手元無沙汰になってしまった。 何をして時間を潰そうか考えてるうちに眠気が襲ってきて、重くなる瞼に逆らえずゆっくり目を閉じた。 「……っ!」 首がかくっと落ちて、びっくりして目を開ける。 寝起きで頭がぽやっとしてるけど、寝る前の記憶はしっかりある。 時計を見る限り、小1時間ぐらい寝てたみたいだ。 隣の席を見ると、八雲さんがいない。 荷物はまだあるから、トイレか本を探しに行ってるのかも。 時刻は19時ちょうどぐらい。 20時に閉館するここの図書館は、人もだいぶまばらになってきた。 「……お腹すいた」 近くに誰もいなさそうだったから、独り言をぼやいてみる。 もちろん、それに返事をする人は誰もいない。 机の上にうつ伏せになってもう一度寝ようかと思ったけど、もう全然眠くない。 顔だけ横を向いて八雲さんが座ってた席を見る。 どこに行ってるんだろうとか、課題は順調に進んでるのかとか、せっかく会えたんだしもうちょっと一緒にいたいとか、数日会えなかった分充電したいとか……いろんな考えが頭をぐるぐる回る。 心臓がちょっときゅっとなって、八雲さんに会いたいって思いで埋め尽くされそう。 「……構ってよ……バカ」 さっきはできないと思ってた悪態をついてしまった。 でも本音だからしょうがない。 これ以上ここにいても辛くなるし、なにより八雲さんのジャマになる。 戻ってきたら挨拶だけして帰ろうと決めて、広げっぱなしになってた勉強道具を片づけ始める。 「帰っちゃうの?」 「わっ!」 背後から急に声をかけられて、持ってたペンケースが手から離れて床に落ちる。 「ごめん、びっくりした?」 ペンケースを拾ってオレに手渡してくれた八雲さんは、ちょっと疲れた顔をしてた。 「ごめんなさい、大丈夫です」 受け取ったペンケースをバッグにしまう。 その間八雲さんが黙ってたから、オレもなんとなく話しかけることができなかった。 「あ、あの……オレもう終わったし、八雲さんのジャマをしちゃ悪いから……今日は帰ります」 八雲さんが返事をする前にバッグを掴んで立ち上がろうとしたら、肩を押されてそれを許してくれなかった。 「それ、本音?」 「え?」 「本当にそう思ってるかってこと」 「えっと……」 本当はもっと……いや、もう少しでいいから構ってほしい。 南って名前を呼んで、キスをしてほしい。 でも遠慮してしまう心がジャマをして、素直にそう言えない。 オレが言い淀んでいると、八雲さんが溜め息をついてびくっと肩が震える。 「ごめん……ちょっと意地悪だった」 隣の椅子に座る八雲さんになんて返事をしていいかわからず、黙って次の言葉を待つ。 「南が今何を思ってるのか、教えて?」 すごく優しい声。 耳を撫でられてるみたい。 でもちょっと寂しそうな顔をしていて、また胸がきゅっとなった。 「本当は……」 「うん。いいよ」 「構って、ほしい、です」 「バカは言わないんだ?」 驚いてばっと八雲さんをみたら、今度はちょっと意地悪な顔になってて。 「な、なんで……」 「さっきの独り言、実は聞いてた」 は、恥ずかしい! あれを聞かれてたのかと知って、急に体温が上昇する。 「本当は宿題がすぐ終わったのも知ってた」 「ご、ごめんなさい……」 「どうして謝るんだよ」 くしゃっと笑って、こっちおいでと手招きをされる。 おずおずと傍まで行くと、腰をぐいっと引かれて八雲さんの膝の上に座らされる。 「だ、誰かに見られたら……」 「大丈夫。今日人少ないみたいだし。それに、可愛い南を放っておけないから」 「オレ、わがままじゃないですか…?」 「むしろもっと言っていいよ」 後頭部をふんわり触られて、ゆっくり引き寄せられる。 少し遅れて、唇に柔らかいものが触れた。 久しぶりのキスは吐きそうなぐらい甘くて、倒れそうなぐらいとろけた。

ともだちにシェアしよう!