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それでもずっと 24
「よく眠れたか?」
新聞を読んでた福之助さんが、顔をあげてオレに聞いてきた。
今日は生成り色の着物を着ていた。書道をやるから、基本的に暗い色の着物を着ることが多いけど、こうして来客があると明るい色のものを選ぶらしい。
だから、汚れが目立ちそうな着物を着ているときは、歓迎されている証だって八雲さんが教えてくれた。
ちなみに八千代さんのほうは薄い灰色の浴衣に、落ち葉色のような帯のものを着ている。
「はい、すごくよく眠れました。あの、お二人とも着物キレイです」
思ったことを口にしただけのつもりだったんだけど、福之助さんは新聞紙から顔をあげて豪快に笑った。
「実にいい子だな、南くんは。本当にあの八雲でいいのか?」
「え、あの、むしろそれはオレのセリフっていうか……本当にオレでいいんですか…?」
「あの八雲がやっと連れてきた色だからな。本気なんだろう、第三者がとやかく言う筋合いはないさ」
そう言ってにやりと笑った福之助さん。
隣の八千代さんも釣られて笑って。
おじいさんとおばあさんとは思えないほど若々しくて、そしてやっぱり八雲さんが育ったところなんだなと感じられた。
居間に戻ってきた八雲さんと秋葉さんが、朝食の準備をぱぱっとしてくれて、みんなで手を合わせていただきます。
昨日は緊張してご飯を楽しむことができなかったんだけど、やっと八雲さんの家族の中に溶け込めてるなって安心。
いきなり家に来た八雲さんの恋人が男子高校生って…門前払いされてもおかしくないのに、みんな優しくしてくれて。
オレすごく幸せ者だなって思ったら、食べてるご飯が3割増しでおいしくなった気がする。
「南に見せたいものがあるんだけど」
朝ごはんのあと、八雲さんに連れて来られた場所は初めて入る部屋だった。
部屋の中には書道に必要な道具が一式揃えられていて、ここがそのための部屋なんだってことがすぐにわかった。
「すごい墨の香りですね」
「いい香りだろ?心が落ち着くんだ」
八雲さんは棚から道具を一式持ってきて、それを書道机の上に準備していく。
「書いてくれるんですか?」
「うん。でも南に見られてるって思うと、緊張してうまく書けないかも」
恥ずかしそうに笑いながら腕まくりをする。
そのひとつひとつの動作に未だにきゅんきゅんしちゃう。
「書くの久しぶりなんですか?」
「いや、それに関しては右京さんのところでたまに書かせてもらってた」
「……全然気がつかなかったです」
「まあ、わざわざ言うことでもないかなって」
たしかに言う必要はないかもしれない。
オレも八雲さんの字がキレイなことに気がついてたけど、それに関して何か聞いたりしなかったし…。
でも、八雲さんのことはなんでも知っておきたいってわがままが出ちゃうのは、仕方ない、と思ってる。
それに、八雲さんが頼るときはやっぱり銅さんなんだなって思うと、どうしようもなくやるせない。
本当はもっとオレに頼ってほしいのに、優しくてスパダリな八雲さんはそうさせてくれない。
「南はここに座って」
座布団を八雲さんの左側、少し後方に置いてくれたから、大人しくそこに座る。
八雲さんも座布団に座ると、雰囲気ががらりと変わった。
呼吸が一瞬止まった。
書道に真剣に向き合ってるのがわかる。
静かな部屋に硯を磨る音が鳴って、空気が少し張り詰めたような感覚がした。
オレの背筋もぴんと伸びて、緊張感に包まれる。
硯から筆に持ち替えた八雲さんは、ひとつ深呼吸をしてから筆に墨をつけ、真っ白な書道髪に漆黒の線を走らせていく。
真剣な顔をしている八雲さんは何回も見たことあるけど、筆を持つ今の表情は初めて見る。
鋭さの中に柔らかさも宿した瞳は、絵画のモデルになりそうなぐらい輝いて。
まるで筆が生きてるかのように操っている様はかっこよくて、だけど少しだけ遠い存在に感じてしまった。
八雲さんを逃さないように必死で目で追っても、墨を走らせるたびにオレは置いていかれる感覚が消えなくて戸惑う。
「――ふ、」
一息ついた八雲さんは、筆を音を立てずに置いてしばらく目を瞑ったまま動かない。
きっと今、自分と向き合ってるんだ。
だったらオレも、ちゃんと向き合わないと。
焦る必要はないけど、甘えてばかりでもダメだなって思うから。
「南まで瞑想しなくてもいいのに」
目を開けると、八雲さんは困ったように笑っていて。
「いや…なんとなく…?」
「そっか」
我ながら誤魔化し方ヘタクソだなって呆れたけど、深く詮索してこない優しさにめちゃくちゃ感謝した。
「“玄遠”…これ、どういう意味なんですか?」
「そうだな…うーん、秘密」
「え…」
「そんな悲しそうな顔するなって」
「だって、八雲さん…」
「今は秘密。お前いろいろと考え込みそうだから。俺の書いた字を見て、何かを感じ取ってくれればいいよ」
改めて八雲さんが書いた“玄遠”を見る。
今のオレには、ただ上手いとしか感想が出てこない。でも、引き寄せられるように目が離せない何かは感じた。
「わかりました。この意味は、オレが答えを見つけますね」
「うん、待ってる」
「ん……キス、だめ…?」
「まさか」
正座してる八雲さんの上に座って肩に腕を回すと、「今日も積極的だね」と笑って。
オレはまた誤魔化すように、ヘタクソなキスをした。
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