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希う 3
ちょっとニヤニヤしてる八雲さんを隣に、順路通りに水族館内を回った。
あれから八雲さんはウインクをしてこないから、さすがに冗談だったかと安心する一方、少しだけ残念な気持ちもあって。
いやいや、残念っておかしいでしょ。
もんもんと考えてたら、八雲さんがくすっと笑う声が聞こえた。
「なんですか」
「いや?南は俺にキスしたいのかなって」
「なっ!」
さっきまで寒いかなってぐらい涼しかったのに、八雲さんの一言であっという間に厚い。
身体の内側からじわじわする暑さ。
しかもオレの声が思ったより響いてしまって、何人かこっちを振り向く。
慌ててぺこりと頭を下げれば、八雲さんは腰を曲げて笑いを堪えてる。
「ばか…」
不貞腐れて小声でそう言えば、ごめんごめんと指で涙を拭う。
けっこう本気で笑ってんじゃん。
八雲さんの手を掴んで次のコーナーへ行こうとしたら、何故か逆に手を引かれて。
何事かと思って八雲さんを見上げれば、ゆっくりと、ウインクをされた。
そのあまりにもキレイなウインクに見惚れたあと、「八雲さんがウインクしたらオレからキス」することを思い出し、ぶわっと熱があがる。
なんで、もう、冗談だと思ってたのに。
でもやっぱりどこか嬉しいと思っている自分もいるわけで。
たじたじしていたら、八雲さんがもう一度ウインクした。
「南」
「う…はい…」
「キス、して?」
「次こそ、目、瞑ってくださいよ…」
もう心臓がうるさい。
鎮まれ鎮まれ。
キスなんていつもやってるじゃん。
場所がちょっと違うだけ…誰も見てない…。
自分で言い聞かせるように心の中で唱えた後、もうやるしかないと意を決した。
八雲さんの腕を掴んで、背伸びして、恥ずかしいから目を瞑って、ぐいっと唇を推しつけたら。
ゴチッ、と鈍い音がした。
そして遅れてきた鈍い痛み。
どうやら勢いをつけすぎて失敗したらしい。
慌てて顔を離して八雲さんを見れば、唇の下に小さく傷ができていた。
「ご、ごめんなさい」
さっきまで暑かったはずなのに、急に寒気がしてくるぐらい動揺してる。
八雲さんに傷をつけてしまった…どうしよう…。
「大丈夫だから。不器用で可愛かったし、むしろご褒美」
そう言って傷のところをぺろっと舐める様は、もうほんと、不覚にもえろいと思った。
「それより、南もここに傷ついてるけど」
伸びてきた八雲さんの手は優しくオレの頬に止まって、親指で傷のついてあるところであろう箇所を撫でられる。
「んっ、」
撫でられたところがぴりっと痛む。
たしかに、オレにも傷がついてるみたい。
「ごめん、痛かった?」
「ちょっとだけです。それより、本当にごめんなさい…」
「いいよ。南とお揃いの傷だし、虫よけにもなるし」
「虫よけ?」
八雲さんはにっこり笑って自分の傷を指差した後、オレのほうの傷を指刺した。
最初はなんのことかさっぱりわからなかったけど、何を言いたいのか理解した瞬間、またぶわっと体温が上がった。
つまり、2人が唇に傷をつくってるってことは、そういうことなわけで――。
「さ、次のコーナーへ行こうか」
オレの傷のところにちゅっとキスをしてきた八雲さんは、手を繋いで涼しい顔で笑った。
八雲さんと一緒にいると、心臓がいくつあっても全然たりない。
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