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 軽い気持ちで、夕飯は外食で、などと言ったものの、今夜はクリスマスイブだ。  味も雰囲気もよくて、洒落ている店となれば、どこもかしこも、クリスマスディナーを楽しみたい客で溢れていて、入店までに大仰な待ち時間が設けられていた。  空いていると思って覗けば、『本日、ご予約者様のみ』、という1枚の看板によって門前払いにされてしまう。  今夜は元々、二人で夕飯を食べるという明確な予定は無かったから、店の予約を入れずにいたことは仕方がないことなのだが、もし、こうなると分かっていたら、二人でゆっくり食事できるところをぬかりなく探して、恋人と過ごすイブの晩餐を楽しめたのにと、どうしようもないことながら、悔しく思ってしまう。   結局、二、三軒、目ぼしい店を回ったあとで街の中心に戻り、ショッピングモールに立ち寄った際に見つけた洋食店での、ごく普通のメニューによる、ごく普通な夕食となってしまった。  それでも市村が、自分の隣で楽しそうにしてくれるから、土方は随分救われた気になった。    しばらくして土方の自宅マンションに着き、二人でエレベーターに乗り込んで、目的の階を目指す。  ちらりと市村を見れば、いつもより彼が小さく、それでいて少しそわそわしているように見えた。  今までも、市村を自宅に呼ぶことはできたのだろうが、呼ぶにあたって然したる理由も見つからないし、何より呼んだら呼んだで、自ら〝不祥事〟を招いてしまいかねなかったから自重していた。  簡単に言えば、自宅という密室で、愛しい人を前に、理性など最初から無かったかのような行動を易々ととってしまいそうだったからやめておいた、ということだ。  市村なら、呼べば素直に部屋に来てくれそうだったから、余計に妙な考えは慎んでいた。  「入れよ」  「お、お邪魔します」  扉を開けてやれば、市村がおっかなびっくりといった様子で、玄関に足を踏み入れる。  脱いだ靴を綺麗に揃えると、ルームシューズを履くよう土方に促され、室内にあがらせてもらう。  黒・灰・白といったモノトーンの配色でコーディネートされた、落ち着きのある部屋の雰囲気と洒落た内装に、市村は目を丸くした。  マグカップなど、赤い色をしたちょっとした食器などが、きりっとした差し色となって良いアクセントを生み出すことに一躍かっている。  自分が住んでいるアパートは飾り気の無いワンルームで、部屋作りに拘れるような環境ではないし、2LDKのこの部屋も、とても広く感じた。  まるで別世界にでも招待されたかのような気がして、そわそわしてしまう。  「部屋、すぐに暖かくなるから。そのへん適当に座ってくれ」  どこか落ち着きない市村の背を軽く叩き、土方はハンガーラックにコートを掛けると、珈琲を淹れるため、カウンターキッチンの電気ケトルに手を掛けた。   ケーキくらい買ってくりゃ良かったかな、と言う土方に、まだ明日がありますよ、と市村は返しながら、コートを脱いだ。  そして、ハンガーにコートを掛けながら、改めて周囲を見回してみる。  部屋の片隅に置かれた白いシェルフには、本が綺麗に並んで収められている。  リビングの中央には黒色のテーブルがあって、そのテーブルをL字に囲うように、座り心地のよさそうなソファが置かれていた。  存在感のある大きめのテレビは、まるでリビングの顔であるかのように壁面に掛けられている。  インテリアは少な目で、すっきりとした印象があり、生活感があまりないように感じられるが、それ由来の冷たい印象はあまり無い。  床などに置かれた間接照明の、暖色で柔らかな光がシェードから漏れる様子が、あたたかみを感じさせてくれるからだろうか。  また、その広いリビングには、天井からカーテンが下げられて間仕切りされている空間もあった。  市村が何気なくそこに視線を送っていると、沸いた湯をマグカップに注ぐ土方が声をかけた。  「そこはベッドルームだ。開けてみろよ」    市村が、土方に言われたとおり、遮光タイプと思われる黒いパーテーションカーテンをレールに沿って静かに開けると、そこにはダブルベッドが堂々と鎮座していた。  これにも市村は目を丸くした。  尤もなのだが、自分が普段使っているシングルベッドの面積とはだいぶ違う。  体の小さめな自分が寝たら、3人分くらいになるのではないかとさえ思える広さだ。  「大きいですね」  「そうか?普通のダブルベッドだぜ」  独り暮らしにしては大きめに思えるそのサイズは、180cm以上ある土方くらいの長身には丁度いいのかもしれない。  実際、体躯に合わせて選んだと言われて、納得もいった。  こうやって、市村と普段通り、何とはない会話を交わして珈琲を淹れながらも、土方の内心はざわついていた。  いきなり、話題がベッドになるとは予想していなかった。  とりあえずは、あたたかいものでも飲みながら、ソファで二人まったりと、何気ないことでも話して、雰囲気が〝そうなった〟ら、そのまま…くらいに考えていたのに。  色々と計算外のことが立て続けに起きる日だ。  もうこうなったら、流れに乗るしかない。  「…寝てみろよ。気持ちいいぜ。気に入ってるんだ」  「いいんですか?」  「ああ」  土方がそう返すと、市村はゆっくりベッドの縁に腰を下ろし、そのままシーツに背中を預けるように後ろにこてんと倒れた。  重力の存在を忘れかけるような、何とも言えない弾力に体が包まれる。  市村はベッドに仰向けに倒れたまま、湯気の立ち昇るマグカップをトレーに二つ乗せて持ってきた土方に視線を送った。  「すごく気持ちいいです」  「だろ?」  土方は、ベッドのサイドテーブルにトレーを置くと、元からそこに置かれていて普段から愛用している、海外製のガラスのオイルランプに火を灯した。    「わぁ」  市村が感嘆の声を上げる。  丸みのあるそのフォルムの中に、揺らめく小さな火をたたえた透明のオイルが、ガラスを通して暗がりに幻想的な光の模様を広げる。  僅かに火が揺れると、それにつられるように、壁と天井に散った光も揺れた。  寝室であるここには、あまり照明らしい照明は置かれておらず、天井に埋め込まれた小さめのシーリングライトとベッドのフットライト、そしてオイルランプが主な光の在処だった。  優しい光の揺れる様子に、先ほど見た夜景が思い出されて、ささやかながら、イブの夜の雰囲気が楽しめる気がした。

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