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第29話 はじめまして、王子様

「……う」  どれほど意識を失っていたのだろう。僕は見知らぬ森の中に倒れていた。状況を把握するため、森の出口へと向かう。飲水を飲み、1度心を落ち着かせる。  ここが天上の国?  森を抜けた先には、緑豊かな自然が広がっていた。3000メートルはありそうな山の尾根。それに連なるようにして高い白い壁が建てられている。  あの壁の向こうに王子の住む王宮があるのか。どうやって行こう。ひたすら歩くしかないのかな。  そんな思案にふけっていた僕は、背後からにじり寄る怪しい人影に気づけなかった。  ごっ、という鈍い音が後頭部から生まれる。 「い、っ痛……」  そのまま口元に布を押さえつけられる。塩素のような匂いがして、酸欠になりそうになる。じたばたと手足を動かすも、相手の頑丈な手からは逃れることができない。瞬く間に腕を鎖で拘束されてしまう。そのまま塩素の匂いに頭がクラクラとしてしまい、意識を失ってしまった。  がや、がやと騒ぐ声が近くから聞こえて目が覚めた。少し肌寒い。  僕は布で目隠しをされ、口も布で縛られて喋れない。僕は横になっているらしい。ジスのベッドとはまるで違う、硬い砂利の上に横たわっていた。 「お待たせしました。さあさ、こちらへ。今日は目玉商品がありやすぜぇ。旦那」  ダミ声の男の声が、近くで聞こえた。ダミ声の男は、どすんどすんと重量のある足音を立ててこちらへ向かってくる。 「おい。お前らそいつを立たせろ」  ダミ声の男の指示で、僕の身体は無数の手によって無理やり立たされた。殴られた頭部がじんじんと痛む。  僕はどうすれば……。  ガタガタと震えているのがバレたのか、ダミ声の男が僕のほうへ近づいてくる気配がした。 「ほうら。旦那。こいつなんて結構いい顔してるでしょう。夜伽にぴったりですぜ」  ゲラゲラ、と卑猥な笑い声を立ててダミ声の男が僕の顎を掴む。そうして、目隠しの布を外した。 「っ」  醜い表情をした人型の生き物が目の前にいる。ファンタジー映画の中でしか見たことがない。ゴブリンと思しきそれは、後ろに控えている人物に僕の顔をグイ、と持ち上げて見せつける。  その瞬間。 「はぁっ……っあ」  どくん、どくん、と心臓が一気に激しく脈打つ。息を吸うのも辛いくらいの早鐘に、手足の力が抜けていき、地面に膝をついてしまう。 「っ」  ゴブリンの後ろに控えていた人物も、様子がおかしい。胸の辺りを押さえて僕を凝視する。その表情には驚きと、微かな微笑が浮かんでいた。  それに、なんだろう。この甘い匂いは……。  花々の蜜を集めたかのように、ぶわりと香る。それは、目の前のゴブリンには匂わないらしく、平然としている。 「どうしやしたあ、旦那!? どこかお悪いので?」  旦那、と呼ばれた、ゴブリンの後ろに控えていた男がジリジリと僕ににじみ寄る。 「この男を買おう」  僕の頬に男の手が添えられる。花々の匂いが頭を支配していく。 「待っていた……この時を。俺の運命の番」 「!?」  男は恭しく僕の髪の毛に口付けを落とす。雪のように儚い印象の男は、襟足まで長く伸びたウルフカットの髪。瞳は菫の花を水で溶いた絵の具のような色をしている。 「王宮に連れ帰る。牢に入れて馬車に乗せろ」  男の髪は、真っ白で、月の光に照らされて蒼く光る。 「まさかこんなところで出会うとはな」  いくらか僕の呼吸も落ち着いたところで、白銀の髪を夜風に吹かせる男の、ぽつりとした声に耳をすました。 「俺の名前はシュカ。フォリーヌ王国の第1王子だ。お前の名は?」  僕の口の布を解きながら、氷のように冷たい声音で聞いてくる。 「っ」  この人がフォリーヌ王国のシュカ王子。僕のターゲット。 「阿月」 「珍しい名だ」  王子の長く、白い指が僕の前髪を持ち上げる。 「我が運命の番よ。その身を全て俺に捧げよ」  ああ。ジスに会いたい。   「ふん。涙が出るほど嬉しいのか」  シュカ王子はくっくっ、と喉の奥で笑う。  違う。僕はジスに会いたいだけ。ライアとメビウスに会いたいだけ。 「案ずるな。すぐには喰わない」  くくく、と喉を鳴らす王子。  僕はもうこの王子の檻から逃れられない気がした。

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