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常連客

「先輩、こっちです」  規制線の向こうから伏見に声をかけられ、藤永は制服警官がテープを上げた下をくぐって現場に入った。  手袋をはめながらホテルの外観を見上げ、確認するよう周辺を見渡す。  正面入口前のロータリーには、数台のパトカーが赤色灯を回転させ、警官が野次馬やホテルの利用者の対応に忙しなく追われている。 「場所は?」 「このホテルの八階の一室が現場です。先輩が来る前に第一発見者の確認は終わってますよ。ほら、あそこの制服姿の従業員です」  伏見の指差す方を見ると、客室係の制服を来た男が呆然と立ち竦んでいる。  年格好は二十代後半くらいだろうか、細身の体が遠目にも震えているのが分かる。  そうなるのもわかる。普通に生きていて、他人の死体を目の当たりにすることなど早々ないのだから。 「取り敢えず先に現場だな。行くぞ」 「了解っす」  伏見を先頭にエレベーターへ乗り込み、八階に降り立つと制服警官に敬礼で迎えられる。  藤永は『八〇二』と表記されているドアを開け、部屋の中へ目を配った。  ハイクラスでもなければ、地方の安ホテルのようにカビ臭くもない。普通の小綺麗なビジネスホテルといった感じの部屋だ。  特に荒らされた様子もなく、遺体はダブルベッドの上で、脱ぎかけのバスローブ姿といった、露わな状態で横たわっていた。 「死因は──と、また絞殺か……」 「これでもう三人目ですよ……被害者が若い男性なのも同じですね」 「で、今回も犯人はご丁寧に置き土産もしてると……」 「はい。さっき鑑識が採取してました。前回と同じように精液を堂々と腹の上に残しておくなんて、犯人は馬鹿なのか」  鼻息を荒くさせ、正体不明の相手を軽視する伏見を、藤永は一瞥した。 「害者の身元は分かっているのか」 「はい、それならさっき。あ、浦上(うらがみ)さん、害者の遺留品を」  伏見に声をかけられ、伸びかけの顎髭を撫でながら浦上がのさりと近寄って来た。 「お疲れ様です。浦上さん、また麻雀で寝不足ですか」  事実を指摘されたのか、高校球児のような頭をかきながら苦笑している。  ごまかすように、浦上がビニール袋に入った学生手帳を差し出してきた。 「エリートさんはうるせーな。害者は桜花(オウカ)大学、鐘撞優也(かねつくゆうや)。この学校の二年だな。害者はウリ専のバイトやってるみたいだぞ。ここに来たのも仕事でだろうな。ほら、源氏名の名刺だ」  そう言って浦上がもう一つの袋を藤永に見せてきた。  中にはブルーの台紙に『れおん』と丸文字で印刷されていた。 「ウリ専……。学生がこんなことしてるとは、嘆かわしいっすね」  苦痛に歪んだ害者の顔を見ながら、伏見が悔し気な表情を見せている。 「お前って意外と古風だよな。結婚を前提にしか付き合わないって普段から豪語してるくらいだもんな」  冷やかし半分、敬意半分な気持ちで藤永は後輩を褒め称えた。  結婚など考えたことのない藤永は、自分の手で他人を幸せにすることが出来る人は尊敬に値すると普段から思っている。  自分にその資格がないことは、身に染みるほどわかっていたからだ。 「豪語って……ロマンチックとか言って欲しいっすね」 「どの口が言ってんだか。馬鹿なこと言ってないで、防犯カメラは確認できるよう手配してるんだろうな」 「もちろんですよ。支配人にはもう許可取ってます」 「そうか、じゃチェックしに行くか」 「了解っす」  伏見の案内で一階のフロントまで戻った藤永は、受付の裏にある事務所へと足を運んだ。  二人を出迎えたのは、正面から見るとわからないが、会釈をすることで心許ない頭頂部を一望できてしまう、ちょっと残念なスーツ姿の男だった。 「し、支配人の真井(まない)です。け、刑事さん、これって殺人事件なんでしょ! ウ、ウチのホテルどうなっちゃうんでしょうかね! ひ、人が殺されたホテルなんて、評判が一気にガタ落ちだ!」  額に汗を光らせながら、縋るように被害者論を訴えてくる。  彼の態度からして、度量のなさが一瞬にして伺えてしまった。  こういったタイプが一番苦手な藤永は、それを悟られないよう、愛想笑いで対応する。 「落ち着いて下さい。警察も犯人検挙には全力を尽くしますので」  定番の言葉でその場をやり過ごすと、藤永は防犯カメラの位置を確認し、伏見に目で合図を送る。  人当たりの良さが定評の後輩は、文句の言い足りない支配人の腕を取ると、モニターの前に誘導している。  こういうとき、こいつは便利なんだよな。  見た目も中身も柔軟な後輩のお陰で、藤永は無理に笑うことも減った。  それは、とても楽だった。 「支配人、モニターの操作お願いしますよ」 「は、はい昨日の画像ですよね」  まだ動揺しているのか、おぼつかない手で真井が昨日の記録を映し出した。  フロント、各階エレベーターホール前に設置されたカメラには、ビジネスマンホテルを謳っているせいか、スーツ姿の男性客が多く目につく。  その中には、若い女性客もちらほら紛れていた。 「ビジネスホテルってだけあって、男性客が多いですね。いや、でも女性も多いか……」 「女性の方も最近多いんですよ。この近くにライブ会場があって、昨日もアイドルだかなにかのライブがありましたから。小洒落たホテルだとそれなりの宿泊料がかかりますからね」 「ライブね……。昨日はたまたま女性が多かったってことか。すいません。じゃ、現場の八階を見せて貰えますか」 「は、はい」 「各階のカメラはエレベーター前にだけですか」  切長の目で真井を一瞥し、藤永は尋ねてみた。  特に威圧した覚えはないのに、刑事にひと睨みされたと思った臆病な男は、無駄に身体を縮こませて目を泳がせている。 「は、はい。ウチのホテルは新しくないものですから、カメラの数も少なくて、型も旧式なんで画像は粗いかと……」  恐縮して話す真井を尻目に、藤永は手慣れた様子で操作を始める。 「確かに画像は粗いですね、ね、先輩」  目を細めながら同意を求めてくる伏見をよそに、藤永は八階で乗降する客層に注視していた。 「見る限りでは、昨夜八階で乗り降りした男性は四人か。支配人、後ほど宿泊者リスト拝見させて下さい」 「しょ、承知しました。あ、でもこの方の説明はすぐに出来ますよ。常連さんなんで把握しております」 「常連?」  真井がモニターを一旦停止させ、画面に映る男を指差す。ちょっと得意げな顔が面白い。 「はい。月に一回か二回は利用されますよ」 「へえ。それはいつからですか」 「えっと、確か一年くらい前からですかね。いつもお二人で利用されてます」 「二人? ではこの日にも相手は映ってますよね。どの人ですか」  藤永は画像を戻し、モニターを指し示そうとした。だが、眉間にわざとらしいシワを寄せ、真井が両肩を上げて外国人さながら、首を左右に振る仕草を見せてくる。 「この日はもう一人の男性は来てません。この方だけでした」  真井の回答に藤永は「男性?」と聞き返した。  てっきり男女で利用してるものだと思っていたからだ。 「ええ、男性ですよ。いつも男二人です」 「お、男二人って……この部屋ダブルですよね──って、もしかしてその人たち……」 「当ホテルはお客様のプライバシーは厳守が必須です。ノーコメントでご理解頂きたい」  急にデキるホテルマンを装い、ネクタイを正しながら言う。  チープなドラマのような仕草にセリフがツボにハマったのか、必死に笑いを堪える伏見の横で、藤永は呆れ顔を全面に出してしまった。 「まあ、個人の性的嗜好は自由ですから……。それより、いつも一緒に宿泊する相手がいないのが気になりますね」 「時々ありますよ。ご予約は二人だったのですが、実際泊まったのはこの画面に映る男性だけってことが」 「害者のような仕事は、シングルの客の部屋に行くのが当たり前に思えるが、二人相手にセックスする場合もあるよな」  平然と行為について語る藤永は、横にいる伏見が顔を赤らめているのに気付く。 「何だ、お前照れてるのか」と、嘆声(たんせい)を漏らした。 「い、いやだって先輩。そんなの想像しちゃうじゃないです。俺は先輩みたいに慣れてないんですからね」 「お前それでも刑事(デカ)か? そんな純情は捜査に邪魔だ」  高揚する頬をつねると、藤永は丸い後頭部を掴んで、モニターの前へ顔を押し付けた。  お前も見ろ、というように。 「痛いですって、先輩。わかりました、見ますよ──って、あれ、この人どっかで……」 「何だ、お前知ってるのか」  伏見がモニターにかぶりつくと、画面に映る客を食い入るように凝視している。だが、旧式のカメラは、伏見の要望に答えてはくれなかった。 「うーん、見たことあるような……。もっとはっきりと見えればな……」 「リスト見れば分かるかもしれないな。取り敢えず支配人、防犯カメラの映像は任意で提出して下さい。それと、昨日より以前のデータはのこってないんですか?」 「あ、はい。二週間毎に自動で上書きしているので、それより以前のものはありません。では宿泊名簿を……おーい。誰か、持って来てくれ」  真井に言われるまでもなく、用意していた気の利くスタッフからファイルを受け取ると、藤永は順にページをめくっていった。 「どうだ伏見。お前の知ったやつはいたか」  名前が連なるのを指で辿っていたが、伏見は首を左右に振っている。 「……知った名前の人はいないっすね。でも確かに見たことある気がして。それに予約の名前は偽名かも知れませんしね」 「どっちにしても鑑識に画質処理を依頼しろ。だが、多少きれいには出来てもさほど鮮明にはならないだろうな」 「じゃこのまま署に戻りますか」 「いや、害者のバイト先へ行く。支配人、今日は一旦引き上げます。また伺うと思いますので、その際はまたご協力お願いします」  軽く会釈をし、藤永が事務所の扉に手をかけようとしたとき、チリリとした視線を感じた。 「どうしたんっすか、先輩」  扉の前で立ち止まっていた藤永は、後ろをついて出ようとする伏見に背中を突かれた。  振り返るフリを装い、視線の元を探ってみる。  伏見の肩越しに一瞬、目が合った人物がいた。けれど、藤永は敢えて気付かない振りをして「いや」と一言だけで済ませる。  脳裏にその男の顔を刻むと、藤永は部屋の扉をゆっくりと閉めた。

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