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アトリエ
「先輩、アレっすかね」
じわりとしか踏めないアクセルで獣道を走り続け、ようやく開けた道に出ると安堵した口調で伏見が呟いた。
二人の視界に、廃墟とも思える洋館が見えてきた。
「あれか?」
速度を落としたまま伏見が車を建物へ近づけると、指で突けば今にも崩れそうな門柱を横目に、庭らしき場所へと侵入した。
辺りは鬱蒼と生い茂った雑草と、手入れなど一度もされたことのなさそうな、樹木が所々に植栽されていた。重なり合う枝が陰になり、昼間でも薄暗い住処だった。
「凄いとこっすね。こんなとこ、人が住んでるんですかね」
冬には寒風に晒され、夏になると容赦ない太陽の熱を浴び続けたであろう建物は、脆さの中で辛うじて住居と成しているよう見えた。
儚げに建つ隠家は、非凡な画家が絵に没頭するには打ってつけの場所かと妙に納得し、由元に似つかわしいなと藤永は苦笑した。
庭の片隅に車を駐車し、古びた玄関ドアの前で二人は顔を見合わせた。
呼び出しベルが何処にも見当たらないのだ。
「ノックするのか?」
「いや、こんな大きな建物じゃノックしても聞こえませんよ。絶対どっかにインターホンありますって」
伏見は玄関周りをコソ泥のように探し始めた。
「ああ、もしかしたら」
藤永は門まで戻ると、崩壊一歩手前に立っていた門柱を確認した。
そこには取ってつけたように違和感を感じる、真新しいインターホンが設置されていた。
「先輩、ありまし──あ、ここにあったんですね! こんな古い門によく取り付けたな。インターホンだけ新しいのは違和感半端ないっすね。ちゃんとカメラも付いてるし」
「そう言えば、玄関のドアにもセキュリティ会社のステッカーが貼ってあったな」
「こんな人口の少ない場所で、しかも一見廃墟なのにえらく警戒心が強い人みたいですね」
さらりと辛辣な言葉を言う伏見を一瞥しながら、藤永は呼び出しボタンを押した。
電源が通っているのか疑いたくなる程の時間が経過し、門の位置から玄関ドアが開かれるのを待ち続ける。
待機時間に辛抱出来ず、伏見の指が再びボタンを押そうとした時、玄関の開く音が聞こえて柊が姿を表した。
「あれー、マキちゃんだ。何、こんなとこまで来てさ。そんなに俺に会いたかった?」
ゆるりと話す口調にわざとらしさを感じ、藤永は大股で玄関へと向かった。
足裏に怒りを込めて、まっしぐらに近寄ると、気だるそうにドアへもたれかける柊へと威嚇するように睨んだ。
「由元柊……」
「そうだよ、ってかマキちゃんそんな怖い顔してどうしたの」
「わかってるだろう、俺が何者か」
藤永の言葉に一瞬口角を上げた柊が、玄関のドアを広く開け放って見せた。
「どうぞ、刑事さん。俺に話があるんだろ」
家の中には入れないだろうと思っていたのに、警察側の考えを先読みするかのよう、柊はあっさりと家の中へと二人を招き入れた。
「先輩、えらく簡単に入れますね。やっぱりこの人は無関係なんじゃないんですか」
小声で話しかける伏見を横目に、藤永は案内されたリビングへと向かった。
柊から土足のままでいいと言われ、抵抗を感じながらも靴のまま踏み込んだ。
室内を見渡すと、壁際には使用されてない暖炉が蜘蛛の巣を作り、頭の遥か上ではシーリングファンが静かに働いている。あとはソファとテーブルが置いてあるだけの寒々しい部屋だった。
「マキちゃん達、お茶飲む?」
「いや、結構だ。それより君に聞きたいことがある」
「わおっ! 刑事さんっぽいセリフ。さすがだねー」
茶化すような口調ではあるが、それはどこか皮肉めいて聞こえる。
飄々とした態度は想定内だと、柊の言葉を無視し藤永は質問を続けた。
「君の昨日から今までの行動を知りたい」
「アリバイ? 何、俺まだ容疑者なの、ウケるね」
「そうだ、お前は容疑者の一人だ。だから真面目に答えろ」
「ああ。あの事件、まだ解決してないんだ。あれから音沙汰ないから、犯人はもう捕まったのかと思ってたよ」
乱暴にソファへ腰を下ろす柊に視線を向け、藤永は威嚇するように目の前に立ちはだかった。
「ふざけてないで話せ。昨日はどこへ行って、誰と一緒だった」
「まるで俺が犯人って決めつけた口調だね。マレフィセントでは楽しく飲んだ仲なのに。で、俺の指紋とか髪の毛で何かわかった?」
コースターの指紋は殺害現場だったホテルの指紋と一致した。だが、抜き取った髪の毛は、犯人の体に残っていたDNAとは違った。まるでそれを知っているかのような柊の言葉が、藤永の怒りを静かに煽ってくる。
「髪のことも把握済みか。ではホテルの防犯カメラに映っていたのはどう言い訳する。それと犯行現場近くの公園のカメラに、害者が殺害される前の時間にお前は映っていた。それはどんな言い訳をしてくれるんだ?」
「だーかーら。前にも話したけど、公園の方へ行ったのは、行きつけの店があって近道だから通った。他の公園もそうだよ、目的の場所へ行く途中に通っただけ。ホテルはウリ専の店に連絡したら、一番近くにいたのがあの子だったから呼び出してヤった。全部たまたまだよ。何? 俺って道を歩いちゃダメなの? ホテルでエッチしたら違反になるのか?」
腐ったものでも口にしたような顔をする柊を凝視し、「それが真実なんだな」と藤永は冷たく念を押した。
「本当だよ、嘘は言ってない。でもさ、あのウリ専なんてクソだよ。俺とヤる前にもひと仕事してたんだよ、あの子。マジ呆れるわ。他の男のイチモツが入ってた穴に入れたんだよ、きっとバチが当たったんだね」
さも自分が正当なことを言っている口ぶりに、犯人逮捕への闘争心が益々燃え盛った。
「……わかった。事情聴取通りだな」
「何だよ、試したのか。信用ないなマキちゃんには」
「……最初の質問に戻る。昨日はどこにいた」
「昨日か。昨日はね、かわいい子とデートしてた」
下唇を舐めながら嗤う柊に憤怒が湧き上がり、藤永はこぶしの中に怒りを閉じ込めながら質問を続けた。
「……誰だ、その相手は」
「相手はマキちゃんのよく知ってる子。でもご飯食べてすぐに解散したよ。彼、酔っちゃたからなー」
悪びれもなくつらつらと話す態度に耐え切れず、藤永は柊の胸ぐらを掴んで、体をソファから浮かせた。
「先輩ダメです! 手を離してくださいっ」
今にも殴りかかりそうな藤永は、制止させようとする伏見の声で冷静さを取り戻そうとした。だが、目の前のニヤけた顔は手を出せと言わんばかりに、せせら笑っている。
「千乃はどこだっ」
藤永は声を落とし、静かに聞いた。
「ユキちゃん? 知らないけど。だから飯食った後、別れたって」
「本当なんだな」
「本当かどうか調べてみろよ」
「──わかった。絶対証拠を見つけてお前に突きつけてやる。首を洗って待ってろ!」
「はいはい。頑張って、刑事さん」
余裕ぶる態度に怒りの熱は引かないまま、藤永は締め上げていた柊の胸元を解放し、その体をソファへと押し戻した。
「伏見、行くぞ」
捨て台詞のように呼びかけると、藤永は靴底を高々と鳴らし、勢いよくドアを閉めた。
「先輩、あんなこと言ってどうするんですか。本当にゆき君と飯行っただけかも知れませんよ、大学の前で待ち合わせしてたのも、やっぱ由元だったんですよ。それにあんな余裕な素振り──」
「伏見!」
「は、はい」
背中を見せたまま藤永は力強く後輩に声をかけた。
「一旦引き上げて、あいつが住んでいた家をもう一度調べる。役所に聞いて親戚の転居先を調べるんだ。学校の担任とか、近所の住人……いや、岩城のアパートに住んでいた人間に聞いた方が早い。あいつは千乃をどこかに監禁しているはずだ。手遅れになる前に手がかりを聞き出すんだっ! 何としてもな」
肩をいからせ、砂利を踏みにじるように大股で車に戻ると、藤永はドアへ八つ当たりするように音を立てて、後部座席にふんぞり返った。藤永の怒りに反応し、伏見が慌てて運転席へと乗り込む。
「先輩、役所でいいんっすよね」
車を走らせる伏見からの問いかけに、藤永は深いため息を吐いたあと、「そうだ」と一言だけ告げ、そのまま口を閉ざした。
今まで生きて来て、これだけ腹わたが煮えくり返る思いをしたことはなかった。
鮮明に残る、柊のふてぶてしい顔が臍 を噛むほど忌々しい。
藤永は焦る気持ちを紛らわすよう、景色を流し見ていた。その中に溶け込む、朽ち果てた建物を通り過ぎながら。
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