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勝手な大人
ケーキのロウソクにひとつずつ火を灯すように、夕暮れの街を街灯が照らす中、藤永達は待ち合わせのカフェにいた。
「由元のことを知る人はいなかったっすね。みんな空振りかぁ」
注文したメロンソーダのさくらんぼを頬張りながら、ストローの袋を縮めたものに水を一滴垂らして遊んでいる。
「あと一人、仕事が終わればここへ来てくれるその人が、住人の中で一番の古株だからな。彼女にかけるしかない」
朝から走り回った挙句、収穫を得られず疲弊していた藤永は、カンフル剤代わりの珈琲を口にしながら言った。
「土岐 榮 さん。今六十歳だから当時は五十歳くらいで、身寄りがなく独り暮らし……か。由元のこと、覚えてますかね」
「どうだろうな」
「今も現役で働いてるなんて、年配者は元気ですよね。俺も頑張らないとなー」
メロンソーダを勢いよくストローで吸い上げる伏見を尻目に、藤永は「クソ寒いのに」と、身震いして見せた。
「あ、先輩。外、外見てください」
伏見の声で窓を背にする藤永は身を捩らせると、視線の先に看板を見上げながら檻の中のクマのようにウロウロと、常同行動する年配の女性が目に入った。
「あの人か……」
「俺、行ってきます」
勢いよく席を立って外へと飛び出した伏見が、女性へと声をかけている。
伏見が伴って来た女性に、席へ案内するのも待てず「土岐榮さんですか」と、藤永は彼女に尋ねていた。
「ええ。何んですか、私に岩城荘のことでお話しがあるとか……」
小柄で少し膨よかな女性、土岐が目の前へ腰掛けるのを待ち、藤永は、実は──と言いかけようとした。だが、スタッフがオーダーを取りにきた声で、会話は一旦中断された。
土岐が珈琲を注文すると、孫でもおかしくない二人へと訝しげな目を向けてきた。
「刑事さんが雁首揃えて尋ねに来るようなこと、あのアパートでは何もなかったと思いますけどね」
少し疲れた様子の土岐を前に、恐縮しながら藤永はさっき言いかけた言葉の続きを口にした。
「由元柊君……覚えてますよ。あの子はよく学校の帰りに大家さん、ああ、息子の方よ。お父さんは亡くなってるから。その息子によく会いに来てたから」
「時間がないので単刀直入に聞きます。由元君がその息子さんに悪戯されていた──と言うのを土岐さんは知りませんか?」
藤永は老婆に聞いた話を、直球で投げかけてみた。すると土岐の表情が曇り、瞳に暗雲がさすとテーブルに視線を落としてしまった。
「刑事さん達は知ってたんですね、あのことを」
「本当だったんですね。では、なぜさっき、何もなかったと言ったんですか」
藤永の質問に、土岐が急に手で顔を覆うと、おいおいと泣き出した。
「ちょ、ちょっとどうしたんですか。いきなり泣き出して……」
「……す、すいません。あの、刑事さん。死んだ人間も罪を問われるんですか」
突拍子もない質問に、藤永が呆気に取られていると、土岐がぼろぼろと泣きながら何か呟いている。聞き取れなかったせいで耳を傾けると、土岐がとんでもないことを言い出した。
「えっと、ちょっと待ってください。今、なんて言いました? 大家の男があなたの息子……? じゃ、あなたは岩城の母親で……でも、住人? いや、一旦話を整理しましょう」
自分に言い聞かせていると、人目もはばからず土岐がまた泣き出した。
老人とスーツを着て向かいに座る男二人。
周りから見れば、女性を脅している取り立て屋にでも見えていそうだ。
藤永は泣き止ませと、伏見に目で合図を送った。
「と、土岐さん。ちょっと落ち着きましょう。そうだ、甘いものでも食べましょうか。ケーキ? プリン? 何にします?」
伏見の誘いに泣き声が止まり、小さな声で、ケーキ……と呟いている。
藤永は店員を呼ぶと、『おススメ』の文字がついていたケーキの写真を指さして注文をした。
程なくしてテーブルにお待ちかねのものがやってくると、さっきまで泣いていたのが嘘のように土岐がケーキを頬張っている。
「土岐さん。もう一度聞きますけど、元の大家さんが亡くなった後、息子さんが引き継いだんですよね。で、その息子さんはあなたの実子だと? それは間違いないですか?」
嬉しそうにケーキを頬張りながら、土岐がうんうんと頷いている。
「あなたは、息子さんを庇うために最初、我々に嘘を吐いた、と言うことですね」
「だ、だって。あの子は不憫な子なんだよ。奥さんが出ていって、当時の大家が寂しそうだったから、つい関係を持って、私はあの子を産んだ。すくすく育ってたのに、美術の大学に通ってる時に作品を盗まれて、あの子は引きこもりになったんだ。かわいそうだろ? だから好きなようにさせてやったんだ」
「作品のことはお気の毒だと思います。でも、息子さんが由元君に何をしてたのか、あなたは知ってて知らんぷりをしていた。由元君がが何度も辛い目に遭ってても、見て見ぬ振りしてたんですね」
「……それはそうだけど、由元君も嫌なら来なきゃいいのよ。自分も気持ち良かったから息子のところに来てたんじゃないの? 合意の上よ、合意!」
藤永は呆れてものが言えなかった。
目の前の女は、本当にそう思っていたのか。もし、そうだとすれば、親の、人間の風上にもおけない。
「あなたは本気でそう思ってるんですか? 息子を庇っているだけでしょう」
切り付けるように言うと、土岐は急にケラケラと笑い出した。
「刑事さん。持ちつ持たれつって言葉知ってるでしょ。あの子は息子の絵の技術を盗みたかった。息子は溜まったモノを処理する捌 け口が欲しかった。ほら、えっと、なんて言うのかしら。若い子がよく言う……、ああ、そうそう。ウィンウィンってやつよ」
あの子は本当にかわいそうなのよ、とまた泣き出しそうだったので、藤永は大きな溜息をわざと吐き出して区切りをつけるよう、本来聞きたかった話しを切り出した。
「あなたに今日ここへ来てもらったのは、由元君があの町に思い入れがありそうな場所を知らないかを聞きたいんです」
「思い入れねぇ。でも、なんでそんなことを聞くの、刑事さんは」
さっきまで泣きそうだった姿はどこかへ消え、至って普通の質問をしてくる。
彼女に詳しく説明することは危険だと思い、藤永はちょっとした事件に関わっているからだと適当に返した。
「そうなの。でも由元君は大人しくて優しい子だから、事件に巻き込まれちゃったのね。かわいそうに。きっとどこかに隠れているのよ、悪い奴が来るかもしれないからって」
「隠れている? 心当たりがあるんですか。警察が行って彼を保護しますよ」
そうしてあげて、と上から目線で言ってくる土岐に我慢し、藤永は居場所をもう一度聞いてみた。
「あの蔵かもね。岩城荘の庭の隅っこに古いお蔵があるのよ。息子と二人でそこに籠っていつも楽しそうにしてたわ」
楽しそう……。そう思い込みたかったのかもしれないが、紛れもなくその場所で、柊は息子に悪戯をされていたのだろう。
想像してゾッとした。
息子が近所の子どもに性的虐待をしていても、母親なのに見て見ぬふりをしていたことに。
「その蔵は今でも残ってますか。アパートは壊されてましたが」
「さあ、まだあるんじゃないのかしら。古くて頑丈なお蔵ですもの、壊すのは大変よ。そんな場所、あの町には他にも結構あったけどね」
間違いない、千乃はそこに監禁されている。
藤永の直感が脳に指令を出すと、一秒でも早く土岐を解放し、柊の育った町に戻って蔵に行きたい。そんな衝動に駆られ、伝票を手にして席を立とうとした藤永に、甲高い声で土岐が、そうだわ、と何かを思い出した素振りをしてくる。
「どうかしましたか」
爪先はもう店の外へと向いていたが、一応、土岐の言葉に耳を傾けた。
「由元君のお母さん、あの子が暮らしてた親戚の人の話によると、どこかの地主? 大金持ち? だったかしら。そんな人と結婚したとか言ってたわね。息子の面倒を見てるお礼にって、たんまり謝礼をもらったって嬉しそうに話してたわ。こっちだって絵を教えていた授業料を払って欲しいのに」
「それは本当ですか。どこの家に嫁いだかは聞いてますか」
興味深い話しだったせいか、藤永はもう一度椅子に腰を下ろした。
「土岐さんは、由元君の母親が結婚した相手の名前は聞いてますか?」
伏見も前のめりになって質問をしている。
「ええ、聞きましたよ。確か……にすぎ──仁杉艶子って名前だったわ。艶子って私が若いときに水商売してたときの源氏名と同じだったから覚えてるのよ、間違いないわ」
「い、今、『ニスギ』と仰いましたよね。相手の、結婚した相手の下の名前はわかりますかっ」
「ちょ、危なっ! 先輩、水が溢れちゃいましたよ。いきなり立ち上がってどうしたんですか。知ってる人なんですか」
勢いよく土岐に詰め寄った藤永の膝がテーブルにぶつかり、水の入ったコップが倒れてしまった。
紙ナプキンでテーブルを拭く伏見に叱責されながらも、藤永は目を見開き、口は半開きだった。
「刑事さん。どうかしました?」
「あ、いや失礼しました。で、名前はご存知じゃないんですか」
「下の名前まで知りませんよ」
全く、服が濡れなくてよかったわ、と土岐の文句を聞きながら、藤永は頭の中である仮説を思い浮かべていた。
「土岐さん、お仕事終わりでお疲れのところ、お話し聞かせてもらって感謝します。我々はもう一度、由元の育った町へ行ってみます」
そう言いながら土岐を残し、藤永達は店を後にした。ちらりと振り返ると、何食わぬ顔でケーキを頬張っている。
「先輩、いったいどうしたんですか。何を閃いたんです?」
下から顔を覗き込んでくる伏見に、「それを今から確かめる」と、告げた。
「今からまた岩城荘に戻るんですよね。でも先輩、自分が酷い目にあった場所なんて、思い出すだけでも辛いはずなのに、わざわざそこを利用しますか? もしかしたらあの町じゃなく、もっと都会のゴミゴミした場所かもしれませんよ。人が多い場所の方が隠しやすいって言うし」
伏見の言うことも一理ある。けれども藤永の頭の中では、散らばった点と点が、繋がっていくのが見えていた。
都会の喧騒に紛れ、冬枯れの木々達が騒めくのを眺めながら、藤永は胸ポケットからスマホを取り出すと、帳場で待機する仲間へと電話をかけた。
「藤永です、ちょっと調べて欲しいことが。仁杉晴臣、神奈川県在住の男です。住所? いや、入りませんよ。名前だけですぐ見つかる有名人です。調べて欲しいのは彼の家族、妻の名前、過去を出来るだけ早く詳しく調べてください。はい、よろしくお願いします」
通話を切ると、ちょうど伏見が車をパーキングから出庫している所だった。
「先輩、赤ラン回しますよ」
尋ねてはいたが、伏見の手は既に着脱式の赤色灯を車の屋根にのせていた。
全身に重力が掛かり、車は制限速度を超えたスピードで高速道路へと向かった。
逢う魔が時の街に、けたたましいサイレンの音を棚びかせながら、車は再び柊の暮らしていた町へとアクセルを唸らせていた。
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