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微睡

 今日は記念すべき日だな……。  千乃は隣で眠る藤永の顔を見つめながら、まだ夢の中にいるような感覚に浸っていた。  頬にそっと触れてみると、愛しい人の滑らかな肌で、淫らな言葉の数々を発してしまった甘美な夜がよみがえる。  ひとりで赤面していると、指先が藤永の顎に触れてチクリと痛みを感じた。  髭……生えてる。  一緒に朝を迎えたのだと実感し、千乃は愛おしい気持ちで胸がいっぱいになった。  そうだ、今日もまだ捜査があるって言ってたな……。  枕元で聞いた愚痴は、藤永には申し訳なかったけれど千乃は嬉しかった。  弱音を見せてくれることが心を許してくれていることに繋がり、前よりもっと藤永を近くに感じることができた。  体温を分け合える距離がこれまでの辛かったことを、全部ちゃらにしてくれる。  好きな人と一晩過ごす、それだけでとても幸せだった。  まだ眠る藤永を起こさないよう、千乃はそっとベッドから出ると、身支度を済ませて台所に立った。  厳しい捜査が控えているなら、力が出るように美味しい朝食を作ろう。  米を洗って土鍋で炊き始める。この方がご飯が美味しいくて、最近知ってハマっている。  定番だけど我ながら上手くできた朝食をテーブルに並べていると、「おはよ、早いな」と、愛しい人の声が聞こえた。 「おはようございます、真希人さん」 「お、メシ作ってくれたの? うまそうだな」  寝起きの顔に上半身は裸、下は千乃の持ち物で一番大きなサイズのスエットだ。それでも藤永の足首は丸見えで、宇宙一秀麗で可愛い姿に溜息が出そうになる。 「あ、あの洗面所に歯ブラシとタオル用意してます。使ってくださいね。あ、あと髭剃りも。その間にご飯の用意しておきま──どうかしましたか、真希人さん。俺の顔に何かついてます?」  藤永がジッと見てくるから、自分の顔をペタペタと触っていると、ふいに手首を掴まれて藤永の胸に閉じ込められた。 「真希人さん?」  いきなりの抱擁に戸惑っていると、「千乃、可愛い。好きだ」と、蜜が滴るような甘い囁きをくれた。 「俺も大好きです……。さあ、顔を洗ってきてください。一緒にご飯を食べましょう」  千乃の言葉に渋々体を離した藤永が、洗面所に消えるのを見届けると、熱った頬を自身の手で包んでなんとか冷やそうとする。  朝から甘すぎる藤永からの抱擁は贅沢だし、恋愛初心者にはキャパオーバーだ。  食事を終えてあと片付けをしていると、千乃のスマホがテーブルの上で鳴った。  濡れた手を拭きながらスマホを掴もうとしたら、お茶を飲みながら上目遣いで見てくる藤永の目と合った。その顔は明らかに不機嫌な顔をしている。 「こんな朝早くからお前に電話してくるやつは誰だ」  怒っているような声だった。でも、藤永の態度は明らかに拗ねている。  不謹慎にも可愛い、なんて思ってしまった千乃は、八束さんかもと言ってスマホを手にした。 「あ、眞秀だ。もしもし、お早う。どうした、朝から」  会話をしながら、千乃は相手が眞秀だったと目で伝えた。けれど不機嫌は治らない。 「え、今? マジで! あ、いや、不味くはない、けど……」  答えながら、千乃はチラッと藤永の顔を見た。聡い藤永が口パクで、『なんだ』と聞いている。  千乃がそれでも口篭っていると、スマホを奪われてスピーカーフォンにされてしまった。 『だからさ、ゆきが食いたいって言ってた、限定のクロワッサンをゲットしたんだって。もうすぐお前ん家に着くから一緒に食おーぜ』  会話の内容に心当たりがあり、千乃は駅前にできた新しいパン屋の、数量五十個限定クロワッサンを食べたいと、眞秀に話していたことを思い出した。 「それはそんなに美味いのか。朝早くから千乃の家に来るほど」  急に藤永が声を発するから、千乃は慌ててスマホを奪い返そうとした。けれど背の高い藤永に敵うわけもなく、電話の向こうから眞秀の叫ぶ声を大人しく聞いていた。 『な、なんでアニキがそこにいるんだっ』

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