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「あ、俺が応対してくるから。ユーグはここで待ってて」
立ち上がろうとした俺をソファーに戻し、デヴィットさんは扉のほうに向かった。
扉を開け、誰かと話を始める。俺はうつむいて時間を過ごした。
(というか、来客だったら俺は帰ったほうがよくないか?)
打ち合わせとかは終わっているし、後はナイムさんに報告するとこの仕事は終わりだ。交渉だって上手くいっているし、ここに長居する必要はないだろう。
「あの、デヴィットさん。俺、やっぱり帰ります――」
立ち上がってデヴィットさんに声をかけたときだった。扉のほうから「ユーグ?」と俺の名前が呼ばれた。
驚いて目を見開いた。だって、この声には聞き覚えがあった。違う、そのレベルじゃない。
普段の甘ったるい声とは少し違う。どことなく凛々しいような声。
(けど、間違えるわけがない)
長年セフレという関係を続けているのだ。
ルーのことだったら、なんでもわかると自負していた。
が、頭の中は混乱していた。どうしてルーがここにいるんだろうか。なにもかもがわからなくて、俺の思考回路はめちゃくちゃだ。
「え、えーっと」
ソファーにすとんと腰を下ろした俺を見て、デヴィットさんが俺のほうに駆けてきてくれた。
彼の後ろには一人の男性がいる。男性はルーだった。いや、違う。彼はルーであって、ルーじゃない。普段のラフでどこか怠そうな恰好じゃない。
目をぱちぱちと瞬かせ、視線をそっと逸らす。だって、そうじゃないか。
(ルーなのに、ルーじゃない)
まるで知っている人物が、別人になったかのような感覚だった。
というか、多分。それは違うんだろう。ルーは元から俺に本当のことをなにも見せていなかったんだ。
「おい、デヴィット。お前、これはどういうことだ」
聞いたことがないほどに、低い声。
自分に向いているわけじゃないのに、背中を丸めた。情けないほどに俺は震えてしまっている。
「ちゃんと俺は言いましたけど。女性騎士からの要望で、花を飾ることにした。そのために花屋を呼ぶって」
「……それはそうだが」
「それともなんです? セザール団長は彼を呼ばれたら困ることでもあったんですか?」
デヴィットさんの言葉に俺はハッとする。
今、デヴィットさんはルーのことを見て「セザール団長」と呼んだ。
(え? どういうことだ? ルーが騎士団長? それも、王立騎士団の――)
頭の中がさらにこんがらがって、どうするのが正解かわからなくなった。
うつむく俺の前に誰かが跪く。
デヴィットさんじゃないことは、靴でわかった。
「――ユーグ」
「な、んでしょうか?」
とりあえず、ただの知り合いを装う。もしもルーに男のセフレがいるとバレたら、ルーの立場が悪くなる可能性がある。
セフレっていうだけでも不誠実なのに、挙句相手が男だなんて……。
「なぁ、こっち向いてくれ」
ルーが俺の頬に触れた。いつも通りの指なのに、別の人が俺に触れているみたいだった。
唇をぐっとかみしめ、首を横に振る。
「ユーグ」
なのに、そんなに悲しそうに呼ばれたら、反応してしまうじゃないか。
恐る恐るルーの顔を見た俺は、息を呑んだ。
ルーでいるときは、いつだって髪の毛は乱雑だった。はっきりと顔が見えないような髪型だった。
けど、考えを変えるとそれは当然だったのだ。
(あれだけ人気の高い人なら、別人みたいな恰好で街を歩くよな)
騎士団長セザール・ルメルシェは人気者だ。そのままの格好で街を歩いていたら、すぐに人だかりができてしまう。
それは簡単に想像がつく。
「ユーグ」
「あ、あの、俺急いでいるので帰りますね!」
ルーの指が俺の唇に触れそうになったとき。俺はルーの身体を突き飛ばして部屋を出て行った。
後ろから「おい!」と叫ぶ声が聞こえて来たけど、早足で資料を抱きしめて逃げる。
(なんで)
どうして俺は逃げているのだろうか。理由も意味もわからない。
ただ俺の心の中には「もうルーには会えない」という落胆が強く存在していた。
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