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 それからのことは、よく覚えていない。  心ここにあらずの状態でナイムさんに報告をし、早退の許可をもらった。  そして今、俺アパートに帰るための道をとぼとぼと歩いている。 (ルーは、騎士団長だった)  うまくかみ砕けない真実を、何度も何度も頭の中で言葉にする。  ほんの少しずつ理解し、呑み込んでいく。  ルーは侯爵家の子息で、騎士団長で。人望があって、人気もあって――。 (俺とは全然違う)  本当は薄々ルーが貴族の生まれだって、察していた部分はある。  ルーの仕草はとってもきれいで、無駄がなかった。マナーも完璧だった。  だから彼はいい家柄の生まれだって、頭の片隅ではわかっていた。  なのにそれを言葉にしなかったのは、ルーとの関係が壊れるのが怖かったからだ。  まぁ、まさか騎士団長だったとは予想していなかったけど。 「……ルー」  足を止めた。同じように歩いていた人たちが、俺の横を通り抜けた。  なんだか、このまま帰りたくないと思ってしまった。 (ルーのことを忘れたい)  心の奥底から湧き上がる願い。唇を噛んだ。  かといって、誰にこんなことを吐きだせるというのか。  長年のセフレが騎士団長だった。だから、忘れるために一緒にいてほしい――なんて、口が裂けても言えるわけがない。 (――兄さん)  頭の中に優しい兄さんの顔が浮かんだ。  俺は天涯孤独だ。いなくなっても悲しむ人なんていない。  ナイムさんは少しくらい悲しんでくれるかもだけど、所詮はそれだけ。ルーだって、正体を知られてしまった以上俺の側に居続けることはないだろう。 (兄さん、会いたいよ)  胸の奥から膨れ上がる願望。けど、兄さんはもう居ない。墓地に行って、お墓の前で泣くのもなんだか嫌だった。 (今はとにかく、落ち着こう)  帰って、酒でも飲んで。一晩眠れば落ち着くだろう。あわよくば、これが全て夢だったことにならないだろうか。  ――なんて願ってしまった罰なのだろうか。 「……ルー」  俺の部屋の前にルーが立っていた。彼は扉に背中を預けて、俺に視線を向ける。  フードを被っていて、顔は見えなかった。ただ、ルーだってわかる。背丈とか体格とかが、全部ルーだったから。 「ユーグ。一度話がしたい」  ルーの声は静かだった。 (話って、なんだよ)  一瞬思ったけど、俺には話すことなんてない。 (いや、別れ話かな)  付き合っているわけではないので、別れ話というのもある意味おかしなことかもしれない。でも、今はそれしか考えられない。  ルーのほうに近づいて、彼の顔を見上げる。目の奥が揺れていた。 「関係は終わりっていう話だよな。いいよ、終わりで」 「あのな、ユーグ」 「この三年、ずっと楽しかった。ルーと一緒にいて、楽しかったよ。ありがとう」  出来る限り明るい声で、笑って言ったつもりだった。けど、自分の声が震えているのがよくわかった。 「っていうか、ルーは律儀だな。セフレなんだから、終わらせるとしても一々会いに来なくていい――」 「ユーグ!」  俺の言葉を遮るように、ルーが声を荒げた。  こんな態度、初めて見た。自然と目を瞬かせると、ルーは俺の両肩に手を置く。ぎゅっと肩を掴まれると、爪が食い込んで痛い。 「話を聞け」  まっすぐに見つめて、ルーが迫力のある声で言う。話なんて俺にはない。 「俺にはないよ。だから終わり。帰ってよ、騎士団長さま」  皮肉たっぷりに役職で呼ぶと、ルーの表情が悲しそうになった。こんなにも感情を露わにするルーは珍しい。 「なぁ、ユーグ」  それにしても、どうして悲しそうに俺の名前を呼ぶんだろうか。これじゃあ、こっちが悪いことをしているみたいじゃないか。  不誠実なのはお互いさまだった。俺だけが罪悪感を抱く必要なんてこれっぽっちもない。 「俺のこと、嫌いになったんだよな。わかるよ。だって俺、ずっとユーグに不誠実だったから」 「それは、お互いさまだから」  小さな言葉を返す。ルーはなにかをこらえるようにじっと唇を噛んでいた。
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