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「――ユーグ!」  声には聞き覚えがあった。長兄のものじゃない。  ここにいるはずのない人物の声に顔を上げた。 「……ルー」  そこにはルーがいた。しかも、普段のルーじゃない。騎士の制服に身を包んだ、見慣れないルーだ。  あと、なによりも。見たことがないほどに怒りを宿した表情をしていた。  俺の手がルーの衣服をぎゅっとつかんだ。  ルーは俺を一瞥して、口元を緩める。そのまま片手でぎゅっと俺の身体を抱いて、剣にもう片方の手をかけようとする。  一瞬で剣を引き抜き、長兄の首元に突き付ける。  本気で切りつけるつもりなんてない、ただの威嚇行為。しかし、長兄には効果抜群だったらしい。 「ひっ」  情けない悲鳴をこぼし、長兄がしりもちをつく。ルーは剣の切っ先を長兄に向け続けた。 「あ、あんた」  長兄が頬を引きつらせつつ、ルーを見つめた。目には恐怖や怯えが宿っている。  あと――美しすぎる存在に対する畏怖。  そんな感情が確かに宿っていた。 「なにをしようとしていた」  地を這うような低い声でルーが問いかけた。  長兄は露骨に視線を逸らし、口をもごもごと動かす。なんとも情けない姿だ。  先ほど俺に見せたような強気な態度は見る影もない。そこにいるのはただの情けない男だった。 「べ、つに。兄弟喧嘩してただけ、だ……」  長兄の視線が忙しなくさまよった。  その言葉に、ルーが俺に視線を向ける。俺に向けられた視線は、長兄に向けられたものほど厳しくはない。合わせ、ルーの目の奥には確かな心配がある。 (――あぁ、ルーなんだ)  不意に実感した。  俺は心のどこかで騎士団長のセザール・ルメルシェさまはルーではないと思っていた。  同一人物であって、同一人物ではない。なんともちぐはぐな感情を抱き続けていた。  けど、それは今消えた。ルーは、セザールさまは。同じ人だ。ぶっきらぼうでも優しい。強くて人を思いやることができる。正義感もとても強くて――。 (俺、ちゃんと向き合わないと)  セザールさまの衣服を握る手に力を込めた。自身の手の震えが彼に伝わったらしく、彼は俺の背中を数回軽く叩いた。  まるで本当に愛おしいものに触れるような手つきだ。 「それにしては、物騒なものを持っているな」 「これは……」  長兄の手にあるナイフを見て、セザールさまの視線が厳しくなる。 「お前の目的はどうであれ、正式な理由がないとなると一度取り調べをしないとならない」 「べ、別にいいだろ! 護身用だよ!」  ……それはさすがに苦しすぎるだろう。  か弱い女ならばまだ通じる言い訳だと思う。だが、長兄は立派な男だ。そんなか弱い存在には見えない。 「ほ、ほら、俺、一応貴族の生まれだしさ……」 「狙われることが、多々あると?」 「あぁ、そうだよ!」  これ幸いとばかりにセザールさまの言葉に乗っかった長兄。  その姿はもう憐れだった。怒りなんてちっともわいてこない。むしろ、しぼんだ。 「そうだと仮定して、どうしてこんな薄暗い路地にいる。危機感の高い貴族の生まれならば、自らそんなところにはいかないだろ」  さすがにその言葉には上手い切り替えしが見つからないみたいだった。  長兄が唇を噛んでうつむいた。 (なんていうか、本当に無様だ)  その姿を見ていると、俺の胸の中に芽生えたのはそんな感情だけだった。同情でも、親族としての情けでもない。  こうなって当然だと。そういう納得の気持ち。 「答えられないのか。まぁいい。おい、この男を連行して取り調べておけ」  後ろを向いたセザールさまが指示を飛ばすと、数人の騎士がやってくる。彼らは敵意を喪失した長兄を担ぎ上げ、運んでいく。素晴らしいまでに手際のいい動きだ。 「では、団長。俺たちは戻りますが、団長は……」 「俺はもう少ししたいことがあるから、後で戻る。書類は執務机の上に積んでおいてくれ」 「承知いたしました」  騎士がきれいな一礼をして、場を立ち去る。そうなると、残されたのは経った二人。  俺とセザールさまだけだ。

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