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夕方。閉店作業をして、帰路に就いた。
手には一輪の桃色のバラ。俺とルーにとって、ある種の思い出で大切なものだ。
(持って帰ったら、喜んでくれるかな……)
花弁を軽くつつくと、笑みがこぼれた。
自然と早足になって、ルーが所有する屋敷を目指した。
視界の端っこに屋敷の門が映ると、ほっとする。迷子にならずに無事ついたんだっていう安堵感が胸に広がっていく。
「ルーは帰ってきてるかな」
騎士という職業は不規則な生活になりがちだ。
事件が起きるとそちらに駆り出される。あとでまとめて休みがもらえると聞くが、解決するまで働きづめなのもよくあることだと。
(身体壊さないといいんだけど)
そこはまぁ、俺よりもアベラールさんたちが管理しているだろう。
一人うんうんとうなずきつつ足を進めていると、後ろから馬の駆ける音が聞こえた。
「ユーグ!」
振り向くと、そこには馬に跨ったルーがいた。
驚く俺をよそに、ルーは俺の側で馬を止め、颯爽と降りる。
「……馬」
「あぁ。通勤用だ」
通勤用って……。
馬を見てみる。凛々しい顔立ちをした子だ。黒い毛並みも合わさって、とてもかっこいい。
ルーは慣れた手つきで黒馬の毛を撫でる。気持ちよさそうに、黒馬はルーの手に自分の毛をこすりつけていた。
「こいつはサリム。二歳の雄だ」
視線を黒馬――サリムに向けて、ルーは穏やかに笑った。
「いろいろあって、去年引き取ったんだ」
サリムは本当にルーが好きみたいで、顔をこすりつけていた。対するルーはちょっと鬱陶しそうにしつつも、嬉しそうだ。
「――と。お前も今帰りか?」
今更の問いかけに、俺も笑ってうなずいた。
サリムは俺とルーの顔を交互に見て、きょとんとしている。
「ここで会ったのはラッキーだったな。一緒に乗るか?」
「――え?」
突然の提案に、俺の目が真ん丸になる。
乗馬をたしなむ貴族は多い。特に令息ともなると、八割が馬に乗れるという。
(俺は貴族出身だけど、乗ったことないし……)
サリムの顔を見ると、サリムは俺を見て軽く鳴いた。
……これは、乗れといっているのか。乗るなといっているのか。どちらだろうか。
「こいつ割と大人しいし、俺が側にいたら初対面の人でも乗れるぞ」
俺のためらいをルーは別の意味で解釈する。そ、そうじゃなくてですね。
「お、おれ、馬に乗ったことがなくて」
今にも消え入りそうな声で真実を告げる。ルーはなにも言わなかった。
「だから、無理。せっかくの提案だけど、ごめん」
軽く頭を下げる。
相変わらずなにも言わないルーに、怖くなる。もしかして、幻滅されただろうか?
「――じゃあ、俺が一緒に乗ってやる」
でも、続いた言葉は予想もしていなかったものだった。
「一緒に乗ったら、怖くないだろ?」
「ま、まぁそれは」
「じゃあ、決まりだな」
当然のようにルーが俺の身体を抱え上げる。
そして、軽々サリムの上に載せた。
「ちょ、ルー!」
抗議する間もなく、ルーもサリムに乗る。俺の背中にルーの胸が密着していて、無性にどきどきしてしまう。
「危ないから暴れるなよ。視線は前に向けてろ」
ルーがサリムを走らせる。俺に手綱を握らせ、ルーはその上に自身の手を重ねていた。
(これ、集中するの無理だって!)
早いスピードとか、風を切る感覚とか。そういうものよりも、背中から伝わるルーの体温に一番冷静さを欠いた。あと、手を握られていることも要因の一つだ。
目をぎゅうっとつむってしまう。でも、後ろから「前見たほうがいい」とささやかれ、恐る恐る目を開ける。
普段よりも高い目線に別の意味でドキドキした。
(すごい。未知の感覚だ)
ルーに出逢わず、こんな関係にならなかったら乗馬なんて一生未経験だっただろう。
どういう運命なのか俺は今、好きな人と一緒に馬に乗っている。
「――気に入ったか?」
耳の後ろから聞こえてくる声は甘ったるい雰囲気を持っていた。
心臓の音がもっともっと早くなる。俺は言葉にしない代わりに、首を縦に振った。
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