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 あれからどうやってポエミに戻って、仕事をこなしたのか。帰路に就いたのか。俺にはわからなかった。  頭の中にはずっとルーと、かの男の人の姿がある。  ぼうっとしながら屋敷に戻る。門を開けようとして、手が盛大にからぶった。 「ユーグさま。おかえりなさいませ」 「……アベラールさん」  俺に向かって一礼をしたアベラールさんの手には、大きなカバンがあった。 「どこかに行くんですか?」  興味本位で尋ねてみる。俺の問いかけに、彼は穏やかに笑った。 「実はセザール坊ちゃんに届け物がありまして。よろしかったら、行かれますか?」  アベラールさんは間違いなく親切心から言っている。普段の俺だったら、喜んで行っただろうし。  けど、今はそんな気分じゃない。  俺はあいまいに笑って首を横に振った。 「いえ、実は少し頭が痛くて。横になりたいんです」 「さようでございますか。お医者さまをお呼びしましょうか?」  心配そうな眼差しに、胸がチクリと痛む。嘘をついていることに対する罪悪感が、胸中に渦巻いた。 「たぶん疲れているだけなので、寝たら治ると思います」 「……承知いたしました。お疲れもたまる時期でございますからね。しかし、なにかありましたら遠慮なく申し付けてくださいませ」  俺のうなずきを見て、アベラールさんは俺の隣を通り抜けた。  ちらりとこちらを見た眼差しには、不安そうな感情が宿っていて。余計な心配をかけてしまったことが心苦しくてたまらない。 「でも、言えるわけないって。……ルーには俺以外にいい相手がいるかもしれないって」  彼は俺とルーの関係を喜んでいた。俺のことだって歓迎してくれたあの人に、気を遣わせたくない。  ……まぁ、心配をかけるのも考えものか。  敷地に足を踏み入れて、庭を眺めながら歩いていく。青々とした木々。先日少し手が入ったらしく、来たころより花が増えていた。  赤色、桃色、黄色――白色。たくさんの花は、風に吹かれて揺れている。俺の足は自然とそちらに近づく。 「……きれい」  ポエミでバイトを始めてから、花がもっと好きになった。  花を手にしたとき、人が嬉しそうに笑うのが好きだ。  真っ赤な花の花弁に触れる。俺は笑顔になれなかった。 「きちんと問いただすべきなのかな。……でも、答えてもらえる保証はないよ」  浮気だったとして、素直に認めるわけがない。むしろ、問い詰めて認められて、「別れよう」なんて言われたら?  俺は一体、これからなにを信じて生きていけばいいんだろうか。それが怖い。 「なぁ、どうしたらいい?」  風に揺られる花に声をかけた。花弁をつついても、返事なんてもらえない。なんで俺は、花に答えを求めているんだろう。 「誰かに答えを教えてほしいよ。こういうとき――こうしたらいいんだって」  兄さんなら、教えてくれたかな? いや、兄さんのことだ。  自分で考えて答えを導き出したほうがいいって、言いそうだな。 「今日の夜、ルーと話してみよう。きちんと話さないと、なにもはじまらない」  たとえそこで自分にとって不都合なことを言われたとしても。俺はきちんと受け入れよう。  このままずっと目を逸らして生きていくなんて、無理だ。そんなことをしたって、あとからくるダメージが大きくなるだけだ。  今ならまだ、受け入れることができるはず。傷は浅いはず。  俺の決意は固まった――はずだった。

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