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「――本当、祈は祈だね」
亜玲が小さな声でつぶやいた。かと思えば、テーブルに頬杖をつく。その双眸が柔和に細められた。
「きっと、祈は誰にでも優しいんだ」
「は?」
淡々とした亜玲の言葉に、怪訝な声を上げてしまった。亜玲は首を横に振った。
「俺だけに優しいわけじゃない。ほかの人間の心も、いとも簡単に解かしていく。俺は、それが憎たらしかった」
きれいな指先が俺の頬に触れた。まるで、本当に愛おしいものを見るかのような視線が俺に注がれる。
喉を鳴らした。昨日の行為の際の亜玲もかっこよかったけど、今のこの姿も――。
(って、なにを考えてるんだ……! あれは、嫌々だった!)
首をぶんぶんと横に振って、頭の中に浮かんだ考えを消す。そんな俺を見て、亜玲がにたりと笑った。
「みんな、祈を好きになるんだ。こんなに優しくて可愛い子、逃がしたくないって思うよ」
「……買いかぶりすぎだ」
俺がみんなに好かれるなんてことない。なんだったら、亜玲のほうが――。
「俺はね、周囲が理想とする人間を演じなくちゃならないんだ」
「どういうことだ?」
目を見開いてしまう。亜玲は一体なにを言っているんだろうか?
「俺は完璧じゃないとダメなんだ。そうじゃないと、存在価値がない。俺は理想のアルファでいなきゃならない。そう思ってきた」
亜玲の指が今度は俺の目元を撫でた。まるで壊れ物に触れるかのようなほどに、優しい触れ方。心臓が高鳴る。
「作り上げた『上月 亜玲』を演じるのは、初めは楽しかったよ。……けど、どんどん苦しくなった」
「……そっか」
「みんなが好きなのは『俺』じゃない。『上月 亜玲』というどこかにいる俺じゃない同姓同名の人物なんだって思ってた」
俺は、亜玲の苦しみにちっとも気づかなかった。
いや、違うのか。亜玲は俺にそれを隠していたんだろう。
幼馴染である俺に知られたくなかったのかもしれない。
「俺、嫌われるのが怖いんだ」
どこか呆れたように亜玲がつぶやく。その言葉は、何故か俺の胸にすとんと落ちてきた。
「じゃあ、なんで」
でも、同時に疑問も出てくる。だって、亜玲は俺に嫌われるようなことばかりしてきた。
嫌われるのが怖いなら、あんな行動はとらないだろう。……普通は。
「俺は、祈の全部が欲しかった。身体も、心も。なによりも特別になりたかった」
口が動かなかった。全部が欲しいなんて言われても、今までだったら信じなかった。質の悪い冗談だと蹴り飛ばしていた。
だけど、今はそんな空気じゃない。冗談ではない。俺は肌でそれを感じ取っていた。
「お人好しの祈は、すぐに人に好意を向けるのに、嫌悪だけは向けない」
「……あぁ」
「仲良くしていても、それは祈の中の不特定多数の友人に分類されるだけだ。……だから」
「――俺に嫌われて特別になろうとしたのか」
亜玲の言葉を引き継いで、問いかけた。亜玲は静かに頷いた。
もしも、もしもの話だ。亜玲の言っていることが全て真実なのだとするならば。
亜玲は嫌われるのが怖い癖に、俺に嫌われようとしていた。ちぐはぐな考え。その行動原理はすべて俺で――。
「正直、初めは祈に嫌悪感を向けられることに、くじけそうにもなったよ。好かれたいのに嫌われたい。特別になりたいのに、特別になろうとすると祈を傷つける」
「……うん」
「けどね、いつしかこれでいいって思ったんだ。俺は祈が欲しい。恋人になって、いずれは結婚して家庭を持ちたい。かといって、俺と一緒にいるのが祈の幸せになるとは限らない」
「……そっか」
「なのに、人間って強欲だよね。欲望のまま罠にかけて、そこにかかった獲物に優しくなんてできないんだ」
亜玲の言葉はきっと的を得ているのだ。
そして、亜玲の中の獲物が――俺。抗議に行って、まんまと罠にかかった憐れな小動物。
「頭の中ではずっと幸せだった。祈に好かれて、両想いになって、俺のことを愛してくれる。現実じゃありえない妄想をしてた」
「――いつからだ」
俯いて、言葉を返した。亜玲がぱちぱちと目を瞬かせる。だから、俺は口を開く。
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