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3-8
先輩との食事を終え、アパートに戻る。すると、部屋の前に男がいた。
「――亜玲?」
名前を呼ぶと、うつむいていた亜玲が顔を上げる。俺を見て、笑った。
「突然ごめん。やっぱり心配だったから」
亜玲が肩をすくめる。
……邪険にはできない。この間のこともあるし。
「祈はこの時間までなにしてたの?」
「……先輩にご飯奢ってもらってた」
鍵を開けてドアノブを回す。扉を開けて、亜玲のほうを振り返った。
「ちょっと寄ってく?」
「いいの?」
「この間のお礼」
亜玲は少し迷って、うなずいた。
俺に続いて亜玲が室内に足を踏み入れる。狭いワンルームのアパートは亜玲の部屋とは全然違う。
「適当に座ってて」
床には衣類が散らばっているし、布団も敷きっぱなしだけど。
「邪魔だったら衣類、端に避けておいてくれたらいいから」
冷蔵庫から麦茶を取り出しつつ、二つのコップに注ぐ。
生活スペースを見ると、亜玲が部屋の隅に腰掛けていた。……なんでだよ。
「確かに汚いけどさぁ」
ローテーブルの周りを適当に片づける。空いたスペースに亜玲を座らせて、俺は真ん前に座った。自分の衣類は尻の下だ。
テーブルの上にコップを置く。亜玲はきょろきょろと忙しなく視線を動かしていた。
「こういうのが普通の大学生の部屋だから」
「俺のは普通じゃないって?」
「当たり前だろ。お前、お坊ちゃんじゃん」
庶民の俺とは全然違う。
「……そんないいもんじゃないよ」
亜玲の手がコップに触れた。麦茶を飲んで、俺を見て笑う。
「俺は二番目だ。けど、二番目じゃ許されない」
意味深な言葉だった。
「祈は知ってるよね。……俺の家庭事情」
「まぁ、うん」
亜玲には兄が一人いる。人当たりが良くて明るい。優秀でたくさんの人に囲まれているアルファ。
ただ、俺は亜玲の兄が……こういってはなんだが、苦手だった。
そして、その兄と亜玲は『異母兄弟』なのだ。
「母さんは、俺が兄さんに勝つことを望んでいる」
コップをぎゅっと握って、亜玲がつぶやいた。
「俺こそが上月を継ぐべきだって言うんだ。小さなころからずっとそうだった」
俺は亜玲の母親の顔を思い浮かべる。
雰囲気は穏やかで、ふわふわしたオメガの男。いつだって物腰柔らかで、俺にも親切だった。
「とっても人当たりのいい人だから、誰も母さんの本性には気づかないけどね。母さん、俺にだけは厳しくて」
亜玲の声が震えている。俺は、どう声をかけたらいいんだろうか。
「俺、母さんの期待に応えなくちゃならなかった。『上月の優秀な子息』でいなくちゃならなかった」
「……うん」
「ただ、俺はわかってたんだ。俺じゃあ兄さんには勝てないって」
――そんなことない、と言えたら、よかったのに。
「本当の俺は泣き虫で、祈にくっついていないと駄目な子のままなんだ。肝心なときに、勇気が出なくて臆病だ」
「この間俺を助けたのも、それが理由?」
亜玲の双眸を見つめる。
「あのとき、亜玲には俺を無理やり番にするチャンスがあった。だって、俺のヒートに当てられたって言えば、誰も亜玲を責めない」
俺も、きっと亜玲を責めなかった。許しただろう。
「なのに、亜玲は俺を番にしなかった。……なんで?」
亜玲の返答を待った。亜玲は渇いた笑いをこぼす。
「そうだよ、正解。『ここで番にしても誰も責めない』っていう考えは頭の中にあったよ。でも、これじゃダメだ。目を覚ましたときの祈が絶望したら――俺は、きっと後悔する。そう思った」
「お前、ちぐはぐだよ」
「知ってる。俺も自分自身の気持ちがわからないんだよ。自分がどうしたいのか、もうずっとわからない」
亜玲の目から涙が溢れたのがわかった。
あぁ、そうだ。亜玲は――。
「俺、どうしたいんだろ。気づいたら祈のところに向かってたし、もうなにもわからないんだよ」
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