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気づいたら、俺は亜玲の隣に移動していた。亜玲の大きな背中を優しくなでる。
「……なぁ、なんか食べようよ」
どう声をかけたらいいかわからなくて、結局こんなことを口にしてしまった。
「とにかく食べて、寝よう。そうしたら、少しは落ち着くだろうし」
俺は立ち上がる。冷蔵庫にはなにもなかった。あ、明日の朝食用に買った食パンならある。そこにジャムでも載せよう。
なんて考えつつ移動しようとした俺の手首を、亜玲がつかんだ。
「いかないで」
亜玲が俺を強引に座らせて、自身の膝の上に載せた。
力いっぱい抱きしめられ、身動きが取れなくなる。
「腹減ってるだろ」
「減ってない。それより、俺は祈といたい」
強く強く、すがるみたいに抱きしめられる。この状態では逃げることができない。
ため息をついて、俺は移動をあきらめた。
「今日、泊めてよ。祈と一緒にいたい」
「……無理だって言ったら?」
「祈の部屋の前で一夜を明かす」
「やめろ、風邪ひくって」
泊める以外の選択肢、はじめから用意されていないじゃないか。
「俺はいいけどさ。お前、その。今日一緒にいた男はいいの?」
亜玲は昼間、城川と一緒にいた。城川は「今日は一緒にいる」と言っていた。まだ日付は変わっていない。
「元から夕方までの約束だったから、いいんだよ」
「……あいつと、どういう関係?」
なんで俺はこんなことを問いかけたんだろうか。
これじゃあ恋人面してるみたいじゃないか。俺、別に亜玲の恋人じゃないのに。
「……別に大した関係じゃない」
「嘘言うなよ。あいつ、お前のこと好きだって豪語してるよ」
「一方的に好かれてるだけだよ。俺の気持ちはあの男には向いてない」
だったら、どうして今日は一緒にいたんだよ。
あふれかけた言葉を、必死に呑み込んだ。
(亜玲にとって、城川はどういう相手なんだよ。俺、もやもやするじゃんか)
別に亜玲に好意を抱いているわけではないけどさ!
「今日、あいつと仲良さそうだったじゃんか」
亜玲の胸に顔をうずめて、気づいたらぼやいていた。
「はたから見たら恋人みたいだった」
「祈?」
「お前、浮気性なのかよ」
俺のこと好きって言っておきながら、別のオメガと親しくするな――と、言ってしまいそうになる。
しかし、俺は亜玲のことが好きじゃない。亜玲がどんな人と親しくしていても、俺の知ったことではない。
亜玲だって、俺には関係ないって突っぱねると思っていた。
「違うよ。俺には祈だけ。あの男、城川とはそういう約束だっただけだよ」
「約束って」
「この間、祈がヒートを起こしたでしょ。あのとき、城川に抑制剤分けてもらったの」
……ってことは、俺を助けたのは亜玲であって、城川だったのか。
「その対価として、一日恋人になるっていう約束だったの」
「……ごめん」
俺のせいなのに、勝手に変な想像をしていた。
「いいんだよ。祈のためだしね」
亜玲が俺の背中を撫でる。
鼻に届く亜玲の香りは、どうしてかすごく落ち着いた。俺、このにおいすきかもしれない。
「――亜玲」
名前を呼ぶと、顎をすくいあげられた。
見つめ合うような体勢になって、亜玲が俺の目を覗き込む。喉が鳴った。
「祈、可愛い。ねぇ、一緒になりたい。抱いていい?」
亜玲の指が俺の背骨をたどるように皮膚をなぞった。身体に火が付いたみたいに、熱い。
「……ダメ」
「お願い。……祈のこといっぱい気持ちよくしてあげるから」
そんなこと言われても、ダメなものはダメだ。
俺はこいつとそういう関係になることは望んでいない。恋人になることなんて望んでない。
「恋人じゃないのに、セックスするの不誠実だって」
「じゃあ、今から恋人になろう。俺と祈は、そういう運命なんだから」
どういう運命なんだろうか。
抗議するより前に、亜玲の唇が俺の唇をふさいだ。
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