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第5話 彼との昼下がり

 そして30年にもなんなんとする二人の交際のうちで、最も激しく愛し合ったのはこの時期だった。 「リッチー、毎晩お盛んね」  朝ゴミ出しに出た理知が、アパートの共用廊下で住人の婆さんに言われるのを聞くに及んで自覚した。  こんな安普請のアパートでまぐわってはよがり声を上げていれば、隣近所に筒抜けではないか。男女の交わりではないとすぐばれるに決まっている。 「大丈夫だよ。あの婆さんは実は爺さんだから。言いふらしたりしないよ」  婆さんのような爺さん?   ……都会にはいろいろな人が住んでいる。  そうは言ったものの、間もなく理知は部屋を引っ越した。  後で知ったのだが理知は大学を中退していたのだ。四年生に進級したばかりの春だった。  どうせなら卒業を待てばいいものをと祥真が惜しむ以前に、理知は都心から離れた場所に住まいを移していた。もう通学の便を考えなくて済むから山へのアクセスが良い場所に移ったのだ。そして山岳専門の旅行社に就職していた。  窓ふき掃除のアルバイトにも定期的に行っていた。おまけに臨時で高額バイトがあれば出かけるのだ。特殊清掃(孤独死した腐乱遺体の体液や臭気に満ちた汚部屋の掃除)だの製薬会社の生体実験だの、精神的にきつそうな仕事ばかりである。  薄暗い顔で仕事から帰って来る理知を見かねて言ったこともある。 「少しはバイトを選んだら? いくら登山用具が高いからって……大体、山岳専門の旅行社に勤めてるんだから社内割引とかあるだろう?」 「遠征費用とか……いろいろかかるんだよ」  理知は言葉を濁したが、その後知ったのは国際山岳ガイドの資格を取って世界中で仕事をしたいという希望だった。  日々適当に暮らしているようだが、理知の方が翔真よりはるかに夢や希望を持って生きているのだった。  新たな住まいは、仕事帰りに寄るには遠すぎた。週末に泊りがけで田舎の彼氏を訪ねるのはそれなりに楽しかったけれど、家族持ちが休みの度に遠出をするのもなかなか難しいのだった。  理知が正社員となった旅行社では初心者向けの登山教室も開催していた。トレッキングシューズなどを誂えてそれに参加したこともある。ただ単にガイドする理知の野性的な姿に見惚れたいという不純な動機によるものだったが。  やがて桜が散る頃、佳苗は娘を産み落とした。  妻と義両親で話し合った〝志穂里(しほり)〟という名前を提案されて、翔真は黙って頷いた。  正直、娘には全く興味がなかった。  だからこそ、平気で娘を抱いてあやすことが出来た。哺乳瓶でミルクを与えて、背中を叩いてゲップをさせるなど楽勝だった。 「まあまあ、翔真さんたら何て育児が上手なの?」  義母は褒め称えたが姉の子供、甥や姪にもやったことである。  もともと翔真は生き物を飼うのが好きだった。実家では犬や猫を飼っていた。小学校では飼育係で鶏やウサギの世話もした。思春期以降はすっかり忘れていたが、幼い頃は〝ドリトル先生〟や〝ムツゴロウさん〟といった名前に憧れたものである。 〝自分の血を引いた大切なもの〟という思い入れがなければ、育児は学校の飼育係と大差なかった。口にすれば顰蹙を買いそうだが、娘という生き物を育てるのはそれなりに楽しかった。  お陰で赤ん坊も祥真によく懐いた。ハイハイやつかまり立ちが出来るようになり、自分の膝に乳臭い生き物が転がり込んで来れば笑み崩れる。そしてこの子が男でなくて良かったと思うのだった。女の子なら自分に似ていないことがばれないだろう。  そんな内心を知ってか知らでか妻は赤子に向かって言うのだった。 「志穂里ちゃんはお父さんと同じ血液型なのよ。ちゃんと産院で調べてもらったものね」  なるほど。つまり翔真と同じ血液型の男を選んでやったのだろう。  たちまち頭から冷水をぶっかけられた気分で笑顔も凍る祥真である。  自業自得と思いつつ腹の底から湧き上がる苛立たしさは隠せなかった。  ちなみに理知にも一応出産の報告はした。妻は専業主婦だが夫婦生活の義務を果たせない祥真としては育児ぐらい手伝うつもりだと。 「だから、これからはあんまり会えなくなるかも知れない……」  と、また枕に頭を並べた時に打ち明けていたが、 「ふうん」  理知はまるで興味を示さなかった。以前妻と性交できないと告白したのは忘れたかのようだった。  そして出産祝いなど世間並みの礼儀も示さなかった。いや、それは当然だろう。逆にそんな物を贈られたら嫌味でしかない。  なのに祥真ときたら妻に頼まれて出産祝いのお返し一覧表を作っている時に、ふと竹田理知の名前を並べそうになったのだ。  愕然とした。  自分は一体何を考えているのだ?    今ならわかる。  自分の身に起きたことを理知と分かち合いたかったのだ。  あの複雑な心境をわかって欲しかったのだ。  理知こそが祥真にとって最も近しく心分かち合う身内のような存在だったのだ。  ✻ ✻ ✻    子供が生まれてから祥真は以前のように頻繁に理知に会いに行くこともなくなった。  それでも久しぶりに会えば、獣のような声を上げては一晩中互いの身体を貪り合ったものである。  つきあいが長くなっても翔真は理知に自宅の詳しい住所や電話番号を教えることはなかった。もちろん携帯番号もメールアドレスも。  どうあっても周囲に同性愛者と顕れたくなかったのだ。子供も出来た今となっては、以前よりもっと用心深くなっていた。  理知から祥真に連絡をするには、渡した名刺にある会社の電話番号にかけるしかなかった。だから会社の部署が変わる度に理知には新たな名刺や挨拶状を渡していた。つられて理知も山岳旅行社の名刺を出すものだから、まるで取引先とのつきあいのようだった。  交際が長くなれば理知も個人の携帯番号を教えてくれるようになった。けれど、しばしば機種変更をするからその度に連絡がとれなくなるのだった。  すると実は理知は関係解消を望んでいるのではないか? と不安になる祥真である。  個人の電話が通じなければ、清掃会社や山岳旅行社に連絡するしかないのだが、その勇気を奮い起こすのが大変だった。  なのにこちらの疑心暗鬼も知らぬげに、 「ああ、悪い。機種変したの教えなかったかな。前のは谷底に落として失くしたんだ」  しれっと答えるのだった。 「スマホが岩に弾んで落ちるたびに下から順番にラーク! ラーク!って叫んでんのが聞こえてくるんだ。こっちは岩場から手を放せないしさ。とうとうラクが聞こえなくなって、谷川に沈んだんだろうなあ」 「ラク」とは登山の最中に石や物を落した際、下に続く者に落下物があることを伝えるための合図である。 「気をつけてくれよな。携帯じゃなく、君自身がそんなことになったら……」 「なるかよ」  理知はけらけら笑ったものである。  結局二人の携帯電話やスマートフォンには、互いの連絡先はあまり残っていなかったかも知れない。少なくとも祥真のスマホに〝竹田理知〟の名前は一切なかった。  よくまあ関係が続いたものである。  やがては会うのも間遠になり、それこそ春夏秋冬の年に四回とか、しまいには盆暮れとまるで季節のご挨拶のように成り果てていた。  祥真自身も社内での異動に伴い、転勤が重なるようになっていた。全国あちこち回らされ、理知の住まいとはいよいよ場所が離れていた。  テント泊で高山植物が咲き乱れる初夏の山道を歩いたり、年末のシティホテルでクリスマスツリーを眺めながら食事をしたりして、 「ああ……もうこんな季節になったか」「去年はどこで会ったっけ?」  などと、しみじみ語り合ったりする。  出会い当初のような激しさは消えた穏やかな交際が細くも長く続いたのだった。  その間、翔真が他の男と寝なかったと言えば嘘になる。ワンナイトスタンドだが、浮気といえば浮気だろう。転勤した地にゲイバーなど見つければ、好奇心で出かけては相手を見つけたりする。  理知も理知で、しまいには米国に行ってしまったのだ。グランドキャニオン国立公園で国際山岳ガイドの資格取得に向けて修行を積むという理由だった。  出会ってから十年目、理知が三十路に入る頃だった。  当然、祥真は四十路である。  もちろん事前に相談があるはずもなく、 「年が明けたらロスに住むから」  と事後報告だった。  さすがにロサンゼルスはおいそれと会いに行けない場所である。 「何だ、それは!?」  珍しく声を荒げた翔真だった。  例によって年に数回の逢瀬だった。お盆よりかなり早目の夏休みをとって上高地のホテルに二人で泊まったのだ。  念のため妻には家族キャンプの下見と断っていた。  妻の興味は見事に娘に移っており、夫の動静も夫婦の性生活もどうでもいいようだった。娘の志穂里は十才になっていた。中学校から私立女子校をお受験させるとのことで、英会話のスイミングのピアノのと複数の習い事をさせては付き添って歩くのだった。  もちろん祥真も父親として何かと協力させられていた。夏休みの家族キャンプなどもお受験に有利に働くらしかった。しまいには転勤が続く祥真は単身赴任をするよう言い渡されて一人で地方都市に暮らすようになるのだが。  単身赴任になったら理知を呼んで遊ぼうと期待していたのに、米国移住などと言い出したのだ。 「アメリカって……勝手に一人で何なんだよ、それは!?」 「いや、ずっと言ってたじゃないか。いずれは国際山岳ガイドの資格を取りたいって」 「だからって、僕は……じゃあ僕はどうなるんだよ!?」  何のためらいなくそう叫んでいるのに驚く。理知と会えない時間にゲイバーで拾った男と寝ていた自身の不実さは完全に棚に上げていた。  ただ理知が身近にいなくなる恐怖(そう。寂しさや恋しさではなく完全に恐怖だった)に言葉を連ねずにはいられなかった。    

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