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第6話 彼との昼下がり

「理知がいなくなるなら……。そんなんなら、あの時屋上から飛び降りていればよかった!」 「おいおい……」  ぽかんと口を開けて完全に呆れ顔の理知である。  かつて祥真がこれほどまでに感情を露わにしたことはなかった。 「人の自殺を止めたんなら、その命に責任を持てよ! 理知は……理知には僕の人生を引き留めた責任があるんだ。勝手にアメリカなんかに行っていいと思ってるのか!?」 「…………」  理知は口を閉じるのも忘れて祥真の顔を見つめている。  出会った頃は祥真よりかなり若く見えた理知だが、この十年のうちに逆に祥真より年上に見えるようになっていた。  山岳地帯は平地より太陽が近い。そんな場所を日々歩いていれば日に焼けて肌年齢も上がってしまう。顔に皺が刻まれている。けれど無駄な贅肉ひとつない鋼のように引き締まった身体にふさわしい精悍な容貌になっていた。  対する祥真ときたら、日々のデスクワークでうっすら身体に脂肪がつき、背中も丸くなっている。最近では髪に白髪も混じるようになっていた。理知のしなやかな手で愛撫されるたびに、己のだらしない身体に恥じらいを覚えるばかりだった。  けれどこの時は、恥じらいもクソもなかった。目にじんわりと涙まで溜めて怒鳴っていたのだ。いい中年が。 「別にそれ程のことじゃないだろう」  と伸ばされた手を力一杯払いのけていた。 「それ程のことだっ!!」 「じゃあ、五十嵐も一緒に行くか?」  ホテルの窓からは森の奥に穂高連山が遠く望める。山の早い夕陽は既に落ち、うっすら黒い山容と化していたが。  理知は祥真から離れてその景色を眺めながら言うのだった。  向こうではシェアハウスに住む予定だという。山岳愛好家が一軒家に集って暮らしているらしい。今ならまだそこに祥真を押し込む余裕もあるかも知れないとのことだった。  今度は祥真がぽかんとする番だった。 「俺だってずっと一緒にいたかったよ。でも五十嵐には家庭があるし……」  決断を迫られている。  これまで一度も己で下したことのない身の処し方を、今度こそ一人で決めなければならない。 「一緒に来てくれるか?」  振り向いてまっすぐ目を見つめられた。  何も言えなかった。  そこにホテルのフロントから内線が入った。夕食の知らせだった。  二人は黙って食堂に降りて、夕食を摂りながらワインを吞んで目の前の料理のことやら家族キャンプのことやらよしなしごとを話すばかりだった。  その夜は互いに酔って、抱き合うこともなくそれぞれのベッドで寝落ちしたのだった。  その後、理知が祥真をアメリカに誘うことはなかった。  祥真もその話を蒸し返すことはなかった。  あの時が人生を変え得る一瞬だったのだ。  今更気づいても遅いけれど。  ✻ ✻ ✻  渡米の前に理知と二人で成田のホテルに泊まった。  その時は床を共にした。祥真は出会った当初のように激しく攻め立てた。もうこれが最後と思えば、やめることが出来なかった。 「ちょ……待っ……ギブ、ギブ。やめてくれ」  珍しく自ら降参して理知はさっさと浴室に行ってしまう。  取り残された気分でそれを追ってしまう祥真は、まるで赤ん坊の後追いである。湯を弾く理知の滑らかな肌にすがりつかずにはいられなかった。唇を寄せて愛噛を残す。 「……祥真(しょうま)」  湯音の中にかすかに聞いた。  聞き違いかと思わず理知の目を覗き込んだ。  節くれだった指先で祥真の頬を撫でると、 「本当に一緒に来ないか、祥真?」  最終確認だった。  雨音のようにシャワーの音ばかりが狭い浴室内に響いていた。  シャワーの水滴が一粒ずつ止まって見えるような短くも長い一瞬だった。  祥真は理知の指を取って口づけをした。 「……無理だよ」  許しを請うようにそっと指を吸った。  その翌日、理知はアメリカに旅立った。  成田空港には実家の家族や親戚、会社の同僚、山仲間などが集ったとのことだった。  そうしてそれから三か月後、祥真はアメリカに飛んでいた。社用の出張である。  社内で散々転勤を繰り返した後、祥真は海外輸送部門に課長として異動になっていた。そして数人の社員と共に、ロサンゼルス支部の開設準備委員会に任命されたのだ。委員達と共にホテルに滞在して関係各社に挨拶をして回る海外初仕事だった。  アメリカでは感謝祭も終わりクリスマス商戦が始まる頃だった。仕事の合間に無理にも時間を作って、理知が暮らすシェアハウスを訪ねたのだ。 「何だよ。もう来たのかよ」  からかうように言われたが、その顔はにやにやしまりがなかった。理知は自分の感情に嘘がつけないのだった。  その一軒家には何人も暮らしているようだったが、感謝祭で帰省した者がまだ戻らないようだった。残っていたのは赤毛の大男ジェフとチャッキーという十代の女の子だった。チャッキーはどの住人の子供なのか知れないが、アジア系で米語があまり話せないようだった。  共同のキッチンで器用に料理をしてくれたのは大男のジェフである。料理人ではないそうだが手つきは実に器用だった。レタスやら見たことのない青菜が千切って盛られたサラダや、シンプルなトマト味のパスタが、想定外の大皿に盛られて供された。二郎系ラーメンの比ではない。 「これ……一人分?」  子供でさえ平気でわしわし食べている大皿パスタを毒気を抜かれて眺めている祥真に、 「五十嵐は無理だろう。いいよ。半分寄越しな」  理知はフォークとスプーンでパスタの山を半分程自分の皿に取るのだった。 「日本人は少食だ」といった意味のことをジェフがため息まじりに言っていた。 「少食なのは五十嵐だけだ」  すかさず理知が言い返したのは流暢な米語だった。  何故だかこの時初めて、竹田理知が遠くに離れてしまったことを実感した。  そしてほんの数時間の滞在を終えて別れ際、理知は言ったものだった。 「いい時に来てくれたよ。ここはもう引っ越すことになったんだ」 「またかよ」と言いそうになった。  ヨセミテ国立公園内のロッジに職を得たのだという。住み込みで働きながらしばらくは山歩きを堪能するという。本当に一時も一所にじっとしていないのだ。  別れ際、皆が見ている前で理知は祥真を強くハグした。アメリカに来てよかったと思った瞬間である。誰憚ることなく力強い腕に身を任せることが出来た。自分からも理知の身体を抱き締めたものだった。  やがて理知はアメリカから一旦日本に帰国したようだが、今度はオーストラリアのブルーマウンテンズ、アフリカはキリマンジャロ、かと思えばヒマラヤに登りにネパールへ、次はヨーロッパアルプスと世界各地を飛び歩いていた。  もはやめったに電話も寄越さなくなっていた。  ちょうどこの頃、会社から社用携帯電話が貸与されるようになった。ガラケーがスマホに席巻された時代である。  その社用スマホには祥真も理知の連絡先を登録して使うようになっていた。もっとも名前は〝山岳ガイド〟としていたが。もちろん異動の際には、登録はきれいに削除して返却していた。  理知からは、たまに会社宛てに絵ハガキなどが届くようになった。これはかなり時差があるようだった。ハガキに書いてある携帯電話の番号に社用スマホで連絡すれば、既にもう別の国にいたりする。目新しい理知の生活を聞いては心弾ませたものだった。  理知は海外に居てもしばしば日本に帰省するようで、盆暮れの挨拶程度に顔を合せはした。ホテルに一泊して、まるで修学旅行の男子生徒のようにベッドの中でいつまでも話し続けていた。理知の滑らかな肌や乾いた土の香りを身近に感じるととても心が落ち着くのだった。  いつの間にか外でハグをするのも抵抗がなくなって来た。それは単に世の中が〝ハグ〟を外国式挨拶として受け入れるようになったからである。決して同性愛者を受け入れるようになったからではなかった。  

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