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2話 悪役令息の行動原理
渡り廊下の脇にある周囲から見えない場所から出た僕とルーファスの二人は、学園の隣に建てられている寮の方へ並んで歩く。
泣いたばかりの赤紫の瞳は少し赤くなり、目元は少し腫れているのか熱を持っている。くすん、と鼻をすすり顔を上げて隣を歩いているルーファスを見れば、身長差の所為で高い位置にある国宝級の美貌がこちらを見下ろしていた。
(……近くで見ても離れてても迫力ある美形、心臓に悪い)
あまりの美しさに泣いていたのも忘れて、見惚れてしまいそうだ。
「あ、の……」
思わず上目遣いで見上げならか声をかければ、なんだ? と言うように首を傾げられた。キラキラと輝く効果がつくような容貌で見つめないで欲しい。動悸がする。なんだか、目眩までしてきた。
「僕はもう寮に帰るのでこっちで良いのですが、キンケイド侯爵令息様は門の方なのでは?」
立ち止まるとルーファスも一緒に足を止めじっと見つめてくる。寮に入っているのは僕みたいな特待生や、毎日ここまで通うのが大変な平民、領地が遠く王都に邸がない地方貴族などだ。
もちろんルーファスには王都にちゃんと邸があり、そこから毎日馬車で通っていることくらい知っている。
「……」
質問に答えないルーファスをこちらも負けずに見つめてやれば、大きな手が伸びてくる。もしか今度こそ殴られるのか! と思って思わず目を閉じたが、衝撃なんていつまで経ってもやってこない。
そっと目を開けてみれば、目の前には無表情の筈が、少し目を見開いているルーファスがいた。
「サッシャ・ガードナー、俺は騎士道に反する様なことはしない」
「へ?」
「無辜の者に暴力など振るわない」
誤解していたことがわかり、僕は顔を真っ赤にして恥じた。ルーファス・キンケイド侯爵令息は、公正明大、清廉潔白、下々のやるようなみみっちい真似はしないのだ。もちろん体格的に弱っちい僕に暴力なんて振るわない。
「ご、誤解してしまい申し訳ありません」
俯いて頭を下げると、両肩を強い力で掴まれた。
「……っ」
「顔を上げてくれ」
「……」
はっきり言って肩が痛くて顔をあげられない。肩の骨までぎゅっと掴まれている所為で、痛みに脂汗まで浮かんできた。
「サッシャ・ガードナー?」
なぜ顔をあげないのかと思っているようだが、痛みに動けないのだ。
「サッシャ・ガードナー?」
もう一度呼ばれて、僕は必死に顔をあげ怒鳴りつける。
「肩がいてーんだよ! 離せ、このばか力!」
ハッとしたように手を離したルーファスは、離した手をどうしたらいいのかわからないように宙に浮かせていた。でも僕は痛い思いをしてしまったからか、つい本音で捲し立ててしまう。
「普通、こんなか弱いヒロイン(♂)の肩、力いっぱい掴むか!? 無邪気で無知なヒロインには初めツンツン冷たくして、その後デレんだ。BLゲーの鉄板だぞ。笑顔に絆され、平民の無邪気さに憧れ、何気ない優しさにキュンとくんだろーが! あんたの所為で何一つ上手くいってねーわ!」
「……すまない」
素直に謝られると調子が狂う。
「あ、謝ればいーってもんじゃ……」
そこで僕は相手が高位貴族の子息であり、ヒロイン(♂)のライバル的存在悪役令息だということに思い至る。
悪役令息を教えてくれと言われたが、貴族の気まぐれだろうし、そんなことが現実世界であるとは思えない。
(いや、ここはゲームの世界にすげー似てるけど、僕はここでちゃんと生きてるし……)
ゲームの世界とはいえ、僕はそこまで盲目的にこの世界で無双出来るなんて思ってない。ゲームの中ではハーレムエンドなんてものもあるそうだが、そんなエンドは望んでいなかった。ただ堅実に生きて幸せになりたいと思っているだけだ。
だからヒロイン(♂)とはいえ、貴族に無礼を働いたら殺される場合もあると知っている。
なので僕は苦渋の決断をして、ルーファスに向かって頭を下げた。
「先程までの数々の非礼、大変申し訳ありません。痛みのあまり、我を忘れ失言致しました。キンケイド侯爵令息様の寛大な心でお許しいただければ……」
あんたに掴まれた腕が痛かったから、乱暴な話し方になったんだと暗に言えば、思ってもみなかった返事が来る。
「先程のように普通に話してくれ」
「は?……」
(普通ってなに!?)
考えてもわからないので、僕は対王子の話し方をする。いわゆる外向けの仮面を被るのだ。
「僕、肩が痛くてぇ、それでお口が悪くなっちゃったんですぅ。ごめんなさぁい……って、どうしたんですかぁ?」
奇妙なモノを見るような眼差しが、ルーファスから向けられていた。
「それはローラント用の言葉遣いだろう」
「……チッ。うっせーな。これでいーのかよ」
慇懃な態度もダメ、甘えたような言葉もダメなら、もう素の自分しかない。
舌打ちまでしてしまいもう誤魔化しようもないので、唇を尖らせて不機嫌な顔をルーファスに向けた。
「大体あんた何? なんで僕の後ついてきてんの? ストーカーなわけ?」
「泣いていたから……」
ルーファスはそう言って、指先で赤くなっている目元を優しく撫でてくれた。
労りを込めた触れ方に、かぁっと頬が赤くなるのを感じる。
「な、泣いてたからってあんたが心配……心配?」
言いかけて本当にそうなのか? と考えていると、目の前の美形の首が縦に動く。
「なんで僕の心配してんの?」
高位貴族が平民を心配するなんてありえないと思う。
「何故……?」
こちらが聞いたのにルーファスは首を傾げるばかりで答えそうもない。僕は諦めるように嘆息すると、着いてくるように促すとルーファスの腕掴む。
「こっち来て」
僕の歩みに合わせたルーファスは、拒むことなく素直に着いてくる。ちらりと後ろを見れば、目が潰れそうなくらいの美形がいて、驚いてまた前を向く。
(王子はこんな綺麗な人が婚約者なのに、本当に僕なんか好きになってくれんの?)
前世で読んだ異世界転生物では、ヒロインがゲームの強制力にあぐらをかいて悪役令息に反撃を喰らうことが良くあった。いわゆる逆ざまぁと呼ばれるものだ。
(もしかして、ゲームと違う行動してるルーファスは、僕と同じ前世を覚えてる設定とか?)
「サッシャ・ガードナー?」
じっと見つめていたことに気がつき、周りを見渡せばもう目的地である、男子寮の三階にある自室に到着していた。
「あ、えーっと、……どうぞ?」
僕は孤児だ。前世では病院が家みたいなものだったし、今世の孤児院では大人数で大部屋を使っていて、個別に私室なんてなかった。前世を含めて今まで自分の部屋なんて持ったことが無いので、この学園に入って始めて自室を持った。
(自分だけの部屋に他人を入れるの、初めてだ)
なんだか急に恥ずかしくなり、胸がドキドキしはじめる。
(シーツは今朝綺麗にベッドメイクしたし、床にゴミだって落ちてない。パジャマは畳んでクローゼットの中にある)
部屋を散らかしそうなものなんてない。僕にはろくな私物がないんだから、気にしなくても良いはずだ。
長年使われた部屋のドアを開けると、あまり生活感のない部屋が見えた。
(ちょっと殺風景、だよな……)
寮の前にある花壇の花でも飾った方が良いのかと考えていたが、それどころじゃなかったと思い出す。
「あー、その、キンケイド侯爵令息様、その辺に……えっと、椅子は一脚しかねーから、それに座って」
ここは貴族子息が入る部屋ではなく、平民が入る部屋だ。貴族子息向けの部屋はもっと広くて豪華だと聞いたことがある。けれど初めて自分だけの部屋を持てた僕にとって、ここは宝物のような場所だった。
それでも貴族令息の目に映れば、物置小屋みたいなものだろう。
けれどルーファスは何も言わず、示された椅子に座ってくれた。
「えーっと、クッキー食べる?」
王子に渡したものは比較的綺麗に焼けたもので、見栄えの悪いものは取り除いていた。でも一枚食べてみれば味は美味しかったので、勉強後のおやつにしようと部屋に置いていたのだ。貴重な甘味だが、前世読んだ漫画やアニメ、ドラマ等で客にはお茶と菓子を出すものだと僕はちゃんと学んでいた。
ルーファスの体を避け、備えつけられていた勉強机引き出しを開けると、そこからくしゃくしゃの油紙に包まれたクッキーを取り出す。
勉強机の上に広げれば、ふわりと甘い匂いが立ち上がる。
(後は、茶か……厨房に行けばあるだろうけど、依頼を出すためのお金がない)
孤児院でも客には茶を出していた。けれどその茶葉は子どもたちの口に入ることはない。学生生活や日々の食事、衣服については必要な時に現物が支給されるが、私物を買える金銭が僕にはなかった。
「……」
じっとクッキーを見つめていたルーファスは、視線を上げて僕を見つめた。
「お茶は出せない。……ごめん」
僕が今出せるものは、少し焦げたクッキーしかない。前世、病院に長期間入院している時も、決まったものしか食べていなかったし、孤児院でも食事が出るだけで幸せだと言い聞かされていた為、嗜好品を欲しいと思ったことがなかったからだ。
「このクッキーは、先程ローラント王子に渡したものと同じか?」
「そーだけど……、あ! そっか、毒味か……、なら、僕が食べたら毒味になるだろ! 本当に王族や高位貴族ってめんどくさいな、クッキー一枚で命の危険があるなんて!」
それでも毒味がいなければ何も食べれないほどの事があったのだと思えば、代わりに食べてやることくらい出来る。
一枚クッキーを手に取り、口に入れようとした時、その手を止められた。
「なに?」
「毒味は必要ない」
「だって、毒味しないと食べられないんじゃ……?」
「このクッキーには必要ない」
「まあ、僕が作って僕が出してるんだから犯人まるわかりだもんね。でも、不安じゃないの?」
ルーファスの体に何かあった場合、最初に疑われるのは紛れもなく僕だ。けれど、僕は毒なんて入れてないので、安心して食べられる。
「サッシャ・ガードナーが人に毒を盛るとは思ってない」
「……あ、そ。ならどーぞ」
きっぱり言い切るルーファスの言葉に、信用されているのがわかり少し面映ゆい。
「……」
でもルーファスは僕が差し出したクッキーを凝視していて、手を出そうとしなかった。きっともっと上等のクッキーを食べ慣れていて、毒が入ってないと思っていても僕が作ったクッキーなんて口に出来ないのだろう。
「あっそー! そんなに食べたくなけりゃ食べなくてけっこー。僕だって味見の一枚しか食べてないんだから、食べたくねーやつに食べさせるクッキーなんてねーんだよ!」
「……」
手を引っ込めようとした時、ルーファスの顔が動いて僕が摘んでいたクッキーを一口齧った。そんなに大きなクッキーではなく、一口で食べれそうなクッキーだ。指先で摘んでいる部分以外がルーファスの口の中に入る。オマケにその唇の柔らかな感触が、指先に伝わってくる。
「ヒェッ」
「……美味い」
「いや、いやいやいや、そこから食べるとかなくない!? 普通受け取ってから食べるんじゃない!? え、違うの!? 貴族のマナーなんて僕知らないよっ」
僕の対人スキルはそんなに高くない。前世は普段接していたのは医師と看護婦だけだったし、家族も見舞いに来ないと可哀想に思われていたのか甘やかされていた。
現世は孤児院で同じ年頃の子どもはおらず、下に十数人いたのでお世話することに慣れただけだ。
「……美味い」
同じ言葉を二度繰り返すということは、お世辞ではなく本気で美味しいということなのだろう。そう言われて嫌な気はしない。
「そ、そう?」
「今までクッキーを美味いと思ったことはなかった。だが、このクッキーは毎日でも食べれるくらい美味い」
ルーファスの言葉に嬉しくなり、先程指に触れた唇のことも忘れ、僕は指で摘んでいたクッキーの残りを口に放り込む。
「あ……」
さっきまで手に持っていた食べかけのクッキーはルーファスが口をつけたものだ。
「えっと……その、まだあるから、そっちの新しいものを食べて」
ルーファスは自分の食べ掛けを僕が口にしても、特に感想はないようだ。頷いて勉強机に広げているクッキーの中から一枚手に取って食べ始める。
たったクッキー一枚のクッキーを食べるだけのその姿は、どこかの宗教画のように神々しくまた、美しかった。
(クッキー食べるだけでなんかの宗教始められそうだな)
「って、おい全部食うなよ!」
僕だってまだ一枚と欠片をひとつ食べただけなのに、勉強机の上にあったクッキーはもう油紙しか残っていない。
「……美味かった」
「う、……ま、まあ、また厨房でバイトして作ればいーけどさ」
「バイト?」
「そ。厨房で夕食後に皿洗いの手伝いを一週間やって、クッキーの材料と厨房貸して貰えたんだ。僕の努力の結晶なんだから、味わって食べろよー」
「……とても、美味しかった」
表情はほとんど変わらないが、満足そうに言うルーファスに僕は気を良くした。
「レシピも教えてもらったんだ。他のクッキーのレシピもまたバイトしたら教えてくれるって言ってたから、また作ってやるよ。あ、王子のついでにな!」
そこははっきりしておかないと、と思っていると意外なことを聞かれる。
「厨房に依頼しないのか?」
「はー? ああ、お貴族様は良く厨房に色々頼んでるみたいだけど、僕みたいな特待生には無理だから」
「何故? 寮の厨房は三度の食事だけでなく、依頼書を出せば柔軟に対応するようになっている。それに特待生は学生生活に困らぬよう国から支援が出ているはずだ」
「まあね。勉強に集中出来るように、衣食住は足りてるよ。でも、こんな風にクッキーを作るには、お金が必要なんだ。だから、今も厨房に依頼出来なくてあんたに茶の一杯も出せない。僕にはそれを得る方法がないから。厨房の料理人に相談したら、一週間夕食後の皿洗いをしたらお金は渡せないけど、材料と厨房を使わせてくれるって……なんか怒ってる?」
「いや……とても美味しかったからまた食べたいと思っただけだ」
「そ、そう? えへへ、王子も美味しいって言ってくれるかなー?」
毒味が済めば王子の口にも自分が作ったクッキーが入るはずだ。ゲームではあの東屋で「あーん」をする予定だったが、食べて貰えるならシナリオ通りになるだろう。
「ローラントは……美味しいと言うと思う」
「ほんと? やったね、 実は初めて作ったんだよね。前はベッドから起き上がるのも大変だったから、お菓子作りなんてしたことなかったし」
病院食に出るデザートはゼリーなんかが多かったし、後半はほとんど手をつけられず点滴に変わっていた。
今こうやって自由に体が動くことが夢じゃないのかと思う時がある。
「病気だったのか?」
「うん。心臓が弱くてさ、学校も全然行けなかったし、ベッドの上でゲームするのが唯一の楽し……あ、今のなし!」
思わず前世のことを口にしてしまい、慌てて否定するもルーファスは驚いたように聞き返してきた。
「心臓?」
なにか言い返す前にルーファスは立ち上がり、僕を椅子に座らせる。
「立っていてはダメだ」
「あー……えっと、今はもう平気。走っても息切れしないし、胸も痛くならない。大声で叫んで、飛んで、ちびっこ共を捕まえて風呂に入れることだって出来る。前は出来ないことが、ここでは全部出来るんだ」
自分の手のひらを広げてみれば、血色の良い肌が見える。土気色で張りがなくかさついて見えた前世の手とは全く違う。
顔を上げればルーファスも僕の顔をじっと見つめていた。まるで不調がないか確認するように真剣な眼差しだった。
高位貴族令息なのに、悪役令息の筈なのにルーファスは本当に優しい。
(こんなに分け隔てなく他人に優しい人が、悪役令息なんて……もしかして前世を覚えていて悪役令息にならないよう振舞っていたり?)
前世を覚えているか物凄く気になる。同じゲームをしていたか聞きたい。
「あんたさ、あの……前世ってわかる? BLゲームは?」
「前世? びーえるゲームとはなんだ?」
「本当に知らないの? 僕、あんたが本当に王子のこと好きで、結婚したいと思ってるならちゃんと諦めるよ。ゲームしてた時からなんとなく、婚約者がいる相手と恋愛するなんて本当はいけないんじゃないかって思ってたし……。世界の強制力なんて聞くけど、僕がなんとかする!」
「婚約は契約だ。それより、サッシャ・ガードナーはその前世とやらを覚えているのか?」
教えて欲しいと心配げに囁かれ、僕はもうやけくそになっていた。だってルーファスは目が奪われるほどとても綺麗だ。そんな綺麗な人が自分を心配そうに見つめてきたら、なんでもほいほい話してしまう。
「僕は……」
心臓が弱く病弱だった前世。
ほとんど学校には通えず、病院に入院していた。友だちもおらず体調の良い時に漫画や小説、アニメ、そしてゲームをすることが唯一の楽しみだった。
死ぬ前にやっていたBLゲームとそっくりなこの世界に生まれて育つうちに、自分の前世を思い出したこと。
自分はヒロイン(♂)でルーファスは悪役令息だった。だからルーファスを警戒していたけど、悪意なんて欠片も感じない相手に焦ってしまっていた。
ルーファスはゲームとは全然違う。
「ゲームっていうのは、うーん、動く物語みたいな感じ? 本の中身が自分の意思で動かせる、みたいな」
そこで僕はヒロイン(♂)になりきって、王子と恋をする為に色々なイベントを起こす。
「僕は王子ルートしかやったことないんだけど、他にも攻略対象がいるんだ」
そこで僕はゲームの内容を詳しくルーファスに話聞かせる。
無邪気で明るい孤児のヒロイン(♂)が学園に入り、学園生活の中で王子と恋をして行く。
いくつかある攻略対象の中で王子とのルートしかしていないが、王子の側近たちも攻略対象者だった。どのルートに行っても、悪役令息はルーファスになると聞いたことがある。それは攻略対象者全員と幼なじみだからだ。
婚約者がいるのは王子だけだが、他の攻略対象者も様々な闇を抱え込んでいてゲーム攻略の華となっていた。
「僕はやったことないから攻略サイト見ただけなんだけど、あんたの幼なじみたちって仲良さそうに見えて、幼なじみに対してものすごく嫉妬したり敵愾心持ってたりする? 仕事は出来るけど、家庭内では失言の嵐で家庭内不和の宰相の次男タベルット・カーヤは自分の言動に似たところがあると落ち込んじゃったり、騎士団長の末っ子、リース・ハルベリーは兄たちにものすごいコンプレックス持ってたり、法務大臣の甥であるアンドリュー・ダンカンは本当は甥じゃなくて息子だったり、学園のきょ……いや、えっと、もしかしてそれ全部解決済みだったりする?」
学園の教師であるラツェリ・デューダーは担任ではあるが、個人情報などいくらルーファスでも知らないと思い、僕は口を噤む。話してしまった情報だけでも結構まずいものがあったからだ。
けれどゲームとは違う行動を取るルーファスならヒロインと出会って解決するはずの悩みも全てその手で解決済みなのではないかと思った。
「……その情報は全てサッシャ・ガードナーの前世……、生まれる前にやったゲームというもので知ったということか」
「そう! そうなんだ。僕が知ってるのは前世でゲームの中で見たことで、実際どこかで聞いたり見たりしたことじゃないんだ!」
流石、頭のいい人間は理解が早い。
「そうか。解決済みではないが三人とも悩みを持っていても、それで潰れてしまう程ではない」
「そっか、良かった」
本当に心からそう思う。始める前に攻略サイトを見ていた時、攻略対象者を王子に決めたのは三人の悩みが自分と似ていたからだ。
「サッシャ・ガードナー?」
「あー……、なんでもない。三人にヒロインが必要なさそうでホッとしたっていうか」
「ローラントの悩みも知っているのか?」
「……幼い頃から決められたキンケイド侯爵令息様との婚約に、その、疑問と劣等感を持ってる、みたいな」
兄二人は国外から伴侶を選び、第三王子のローラントは王家と貴族の橋渡しの為に、侯爵家であるルーファスとの婚姻を結ばれた。
自分の意思など一切無視した、生まれた時からの契約である。
異性ならばそれも仕方ないと諦められただろう。でも好きでもない相手であり、自分より能力が上の同性の相手に劣等感を持つのは当たり前だ。
そして無邪気で無垢なヒロイン(♂)が学園に入学してきて、自由に生きているのを身近で見て、自分もそんなふうに生きてみたいと思い、そして心惹かれていくのだ。
そんな王子とヒロイン(♂)の間に立ち塞がるのが、悪役令息たるルーファスだった。
「悪役令息とは、どんな存在なんだ?」
「悪役令息っていうのは、その……ヒロインの恋のライバルだよ」
「恋のライバル……」
「うん。ゲームの中では愛し合ってるふたりの間を引き裂こうとする、悪いやつって認識だった……けど」
今ルーファスを目の前にして、こんなに綺麗で心も優しい相手から、婚約者を奪うことが正しいと思えなくなった。
どちらかといえば僕の方が浮気相手ではないのだろうか。自分がとても汚い人間に思えて、俯いてしまった。
「愛し合ってなどいないが……」
「え?」
ルーファスの言葉に僕は顔をあげて見れば、麗しい顔が見えた。
「先ほども言ったように、この婚約は契約であり、そこに個人的な感情が入り込む隙はない」
ルーファスの言葉に僕はなんだかホッとする。だって、王子に対して恋心を持っているようには思えないからだ。僕も恋なんてしたことなかったが、それでもいっぱい読んだ物語と比べて、ルーファスの行動が側近や幼なじみ以外の気持ちを持っているとは思えなかった。
これまで感じても考えないようにしていた、罪悪感に潰れそうな心が軽くなっていく。
「あんたさ、本当に前世の記憶とかないの?」
こんなにゲームと違う行動を取っているのだから、もしかしたら……と思い再度聞いてみるが答えは肩の力が抜けるようなものだった。
「すまない。三歳くらいからの記憶しかない」
「そっか⋯⋯なら、……その、あんたさ、王子のこと本当に好きじゃないの?」
「……ローラントと俺は幼なじみだ。大事とは思うが、サッシャ・ガードナーの言うような気持ちはない。私たちの婚約は王家と議会、そしてキンケイド家当主で決められたことだ」
その言葉を聞いた僕は、希望が心にともる。
「なら僕が王子に恋しても良いの?」
僕はこの世界で初めての恋をしたい。ゲームの中で、王子はヒロイン(♂)に恋をしていた。同じようにとはいかないかもしれないが、悪役令息であるルーファスの協力があれば、ゲームとは少し違うこの世界でも上手くいくんじゃないかと思う。
「僕、王子に恋したいんだ。だから協力して欲しい!」
「それが悪役令息というわけか」
「うん!」
「わかった。その悪役令息を教えてくれ」
「ありがとう! 僕、キンケイド侯爵令息様に酷いこといっぱいしたのに」
僕はルーファスが悪役令息だからと睨んだし、邪魔に思ったし、思うように行動しないので怒鳴ったりした。それなのにルーファスは気にした様子もなく、協力してくれるという。
「気にしてない」
ルーファスは本当に凄く良い人だ。
容姿だって極上で、身分だって雲の上の人なのに、それを鼻にかけてもいない。平民で孤児の自分の作った拙いクッキーだって美味しいと言って食べてくれた。
自分の婚約者である王子に近づく自分だって許してくれる。
「もしかしてキンケイド侯爵令息様も王子と婚約破棄したいの?」
協力してくれる理由なんてそれ以外思いつかない。
「……ローラントが婚約破棄したいというならそれに従う」
「違うよ。僕が聞きたいのは、キンケイド侯爵令息様がどうしたいかってこと」
もしルーファスが婚約破棄したくないと言うなら、この恋は諦める。今は健康な体が手に入ったのだ。学園だって通えている。
王子とは違うかもしれないが、いつか別の人と恋も出来るかもしれない。ルーファスを悲しませてまで貫くようなものではないと思う。
「俺が……? サッシャ・ガードナーが泣かなければ良い」
「え?」
座っている僕の頬を、ルーファスは大きな手のひらで撫でてくれた。とても優しく、労りを持って。
「キンケイド侯爵令息様、優しすぎない?」
こんなに優しくて魑魅魍魎が跋扈するって言われてる貴族なんてやってけるのだろうか。
「サッシャ・ガードナー、俺のことはルーファスでいい。家名も様付けはいらない」
「んー……でも、あんたはお貴族様だから、人前では様付けにすんね。今はルーファスって呼ぶけど。僕のこともフルネームじゃなくて、サッシャで良いよ」
「わかった。サッシャ」
その言葉はまるでこの世で一番大切にされているように優しくて、恥ずかしさとくすぐったいような温かい気持ちになる。
「ありがとう。ルーファス」
穏やかな微笑みを見て、こんなに綺麗な人が自分の味方だと思うと嬉しくなる。
世界にひとりぼっちだと思っていた僕はこの世界に転生して初めて、心からほっとしたのだった。
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