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4話 悪役令息と昼食
午前の授業が終わり、寮で持たされるランチを手に教室を出ようとしたサッシャは、何故か王子たち一行と、昨日も訪れた中庭の東屋でテーブルを囲んでいた。
(なんで!?)
王子とその側近である三人は、サッシャに対して穏やかに接してくれた。それがまた不穏に感じる。
(僕、なんかやらかした?)
いつだってひとり隠れて昼食を取った後、王子たちのいる場所を探したり、図書館で勉強したりしていたが、今日はそれは出来ない。
「サッシャ君とは一度落ち着いて話してみたいと思ってたんだ」
(サッシャ君……?)
昨日までの王子は、サッシャのことを個別に認識はしていなかった。ただ近寄ってくるその他大勢のひとり、と思っているようだった。それなのに今日は名前を呼んで親しげに話しかけている。一体何があった。
「サッシャ君?」
「え、あ……その、光栄ですぅ!」
だが、これはチャンスだ。その他大勢から個人で認識して貰える。僕は引き攣った顔を必死ににこやかにしながら、王子に話しかけようとした。
「おう……」
「サッシャ、その昼食は寮で持たされているものか?」
「そーだけど……、じゃなかった。はい、左様でございます、キンケイド侯爵令息様」
うっかり昨日みたいに話そうとして、今は周囲に人がいると思い出す。手に持った紙袋には、寮で配られている昼食が入っていた。促されて椅子に座り、テーブルにそれを置くと王子の方を見ながらにこやかに話す。
「この学院は三食きちんと食べられて、勉強も出来て、隙間風なんてない温かい部屋で寝られて凄く嬉しいですぅ」
国の施策が良いから孤児の僕も学園に通えるのだ。王子に感謝していることを伝えない手はない。これは本当に感謝しているから嘘ではないし、孤児である自分がここにいるのは本当にありがたいことだった。
「そうか。サッシャ君はとても優秀だと聞いている。これからも勉学に励んでくれ」
「はい!」
(ふへへ、優秀だって。勉強は楽しいから、褒められると嬉しいなあ! これはもう文官への道が開かれたと言っても過言ではないのでは?)
優秀だと褒められ、僕は嬉しくて作り笑いじゃない笑顔を浮かべてしまった。まずい、僕はヒロイン(♂)なのだから、それなりの可愛く見える笑顔にしないと、と慌ててしまらない顔を整える。
僕はウキウキしながらテーブルに置いた紙袋を開こうとして手を伸ばしたが、直前でそれは目の前から消えた。
何すんだ! とルーファスを睨もうとして、ハッとする。これは昨日話していた王子と会話をさせないようにする行動では! と思いつき、神妙な顔をする。
「……」
ルーファスはサッシャの昼食である紙袋を開き中に入っていたのサンドウィッチをひとつ摘むと、口をつけた。その途端、眉間のシワが三ミリほど深くなったのをサッシャは見てしまった。
(え? なんか不味いもんでも入ってた?)
毎日食べているサンドウィッチだが、特に不味いと思ったことはない。孤児院でよく出ていたものと遜色ない、少し乾燥している硬いパンに具の少ないサンドウィッチだった。前世で食べた病院食の方が少しマシという程度だったから、気にしたことがない。
とりあえず王子が見ているので、いきなりの暴挙に震えるだけしか出来ない平民……じゃなかった、ヒロイン(♂)のふりをする。
(そーそー、BLゲームの悪役令息はこうでなくっちゃ!)
内心ウキウキしながらルーファスの行動を見ていれば、ルーファスはあろうことか王子に問題のサンドウィッチを渡した。その後、幼なじみの三人もそれぞれサンドウィッチに手を出し、同じように厳しい表情を浮かべる。
(え? 何? 何があったの? もしかして毒?)
けれどそれならいくらルーファスが先に食べて毒味を済ませているとはいえ、全員で食べる必要など無いはずだ。
「あの……」
「これは由々しき問題ですね」
「ルーファスの勘は当たったね」
「早急に対処する。すまなかったね、サッシャ君」
「へ? あ、えっと……?」
何がどうなって王子に謝られたのかわからないでいると、王子は侍従に指示を出す。
「サッシャ君にも同じ物を」
「すぐにご用意いたします」
控えていた侍従が礼をすると、サッシャの前にも王子たちと同じ料理が並べられる。王子たちは一時期学園内の食堂で食べていたが、王子がいるとやはり周囲はざわつき落ち着かない為、雨の日以外はここで昼食を取っているのだ。
目の前に豪華な昼食を並べられ、僕はどうしていいのかわからない。ヒロイン(♂)は虐めがあってこそ光り輝くのではないのか。
(なんなんだ? えっとこーゆー時は……)
「平民の食事なんて見窄らしいですよね……」
悲しい顔をしてそう言った後、僕は気づいてしまう。いや待て? さっきのサンドウィッチは寮で持たされた昼食だ。今のセリフではそれを貶していることにならないか?
「えっと、でも僕、食べられるだけで満足というか、味はそれほど気にしないというか。寮の厨房の人は良くしてくれてます! あ、クッキー! クッキーの材料くれて、料理人の聖域である厨房だって使わせてくれました!」
一週間皿洗いした後、クッキーの材料をくれて、厨房を使わせてくれたのは、見習いの料理人だった。サッシャが可愛らしく頼んだら、少し渋りながらも夕食の片付けと皿洗いをすればちゃんと材料を分けてくれた。また次も手伝えば材料は分けてくれると言ってくれたとても親切な人だ。少し、サッシャを見る目が怖かったが、クッキーの材料をくれたのだから、悪い人ではないだろう。
「サッシャ君、昨日のクッキーはとても美味しかったよ。それであのクッキーはサッシャ君の手作りなんだよね。寮の厨房を借りて作ったって昨日ルーファスに聞いたんだけど、本当かな?」
「え、ええ。そうですけど……あ、バイトってダメでした?」
特待生は勉学に集中する為、衣食住を国が負担している。バイトなどして勉学が疎かになるのではないかと王子は危惧しているのか。不安そうな表情を作って問えば、王子はにこやかに答えてくれた。
「ダメではないよ。ただ、厨房からバイトを雇った届出ときみに金銭が支払われていないことが問題かな」
「そーなんですね。あの、でも、僕は……」
厨房で少し皿洗いのバイトをするだけで、届けが必要なんで知らなかった。お金も欲しかったが、それよりあの時はクッキーを作りたかっただけなので、また皿洗いをしようと思っていたのだ。
「特待生がバイトなどしている暇があるのか? そんな暇があるなら本一冊でも読んだ方が自分の為になる」
「ルーファス、確かにその通りだけど、もっと他に言い方があるだろ?」
「キンケイド侯爵令息様……」
王子がルーファスに注意するが、僕はムッとするどころか内心踊り出しそうに喜んでいた。悲しげに見えるよう、瞼を少し閉じて視線を下に向けた。
(キタキタキタキタキタ――! これぞ、悪役令息じゃん! ルーファス、わかってるぅ!)
「まあまあ、ルーファスもそんな言い方しなくてもいいだろ? ほら、サッシャ君、腹減ってんじゃね? 食いなよ」
騎士団長の末っ子リースが場の雰囲気を盛り上げるように明るい声で言い、サッシャの前に並べられている皿に盛られた料理を指す。メインはカリカリに焼いたチキンのソテーにたっぷり掛かった香草のソース、緑野菜とトマトを添えて、スープはとうもろこしのポタージュに、パンもある。午後の授業もあるから簡易的なランチメニューとなっていた。
「ルーファスも座って」
王子に促されたルーファスも、席について食事を始める。サンドウィッチ一切れでは大した量ではないのだろう。
並べられたナイフとフォークを取り、僕はルーファスに視線を向ける。何だ? というように少し首を傾げているルーファスは、今日も目が潰れそうに美しい。僕はテーブルの下でサムズアップして、さっきのセリフはとても良かったことを伝える。
「マナーは気にせず食べていい。ここにはうるさく言うやつはいない」
「へ?」
けれどルーファスには全く通じていなかったようだ。
「ルーファス、それならきみがテーブルマナーを教えてあげたらいいんじゃないか?」
「それは良いですね」
「昔俺にも教えてくれたなー。食器の音を立てずに俺の真似すればいいってだけだったけど、すごく役だったから、サッシャ君も見て覚えればいいぞー!」
「は、はあ……」
テーブルマナーくらい前世で本を読んで知っていたが、それでも実践するのは初めてで、確かに見て覚えるのは良いことだろう。けれどここは悪役令息らしく、ルーファスには振る舞って欲しい。チラチラとルーファスを見てそれを促せば、何を勘違いしたのかルーファスは一口大に切り分けたチキンをフォークで刺して差し出してくる。
「……どうぞ?」
「違うっ!」
思わず怒鳴ってしまったのは、僕が考えていた行動と全く違ったからだ。誰が恋人同士のように「あーん」をやれと言った。それをやるのは王子とであって、悪役令息のルーファスとやることではない。
「あ、その……僕は、その、自分で……」
なんとか先ほどの言葉をなかったことに出来ないかと、言い訳を口にするが、その前に王子がとんでもないことを提案した。
「えっと、サッシャ君。良かったらそれ食べてあげてくれる? ルーファスも必死なんだ」
「は? えっと、はぁ……」
必死とはなんのことだろうと思いつつ、王子に言われたらその通りにするしかない。僕はルーファスが差し出すチキンを前に口を開けた。すぐにチキンを入れられる。口の中で香ばしく焼けたチキンと濃厚なソースが絡み合ってとても美味しい。王子が食べる物だから美味しいのだろうと思っていたが、こんなに美味しくては緊張も霧散し幸せな気分が爆上がりする。
「う、うまーっ!……あ、えっと、美味しいです!」
咀嚼して飲み込むと勢いこんで言い、自分の皿に視線を落とす。みんなと同じようにテーブルに置かれたナプキンを広げて膝に置くと、ナイフとフォークを握る。この握り方でいいのかと、隣に座るルーファスを見れば小さく頷かれた。見様見真似で一口より小さく切ったチキンを口に入れる。美味しさに体が震えた。添えられた青菜のソテーももちろん美味しくてパクパク食べてしまう。
孤児院ではこんなに美味しい料理は出てこない。前世でもこんな料理は食べたこと無かった。いつも味のしないどろっとしたお粥や、消化に良い薄味のものだけで、食欲なんて湧いてこなかったからだ。
「サッシャ、口についてる」
ルーファスはナプキンを取って、口元を拭いてくれた。
「ありが……、いや違う。そーじゃない! ルーファス! 昨日僕が言ったこと……あ、えと、ありがとうございます……」
先程の「あーん」といい、今の口元を拭くのといい、悪役令息がヒロイン(♂)にやることではない。サッシャのマナーの拙さをいたぶるように貶すのが、悪役令息のしての正しい在り方ではないだろうか。それを指摘しようと思ったが、ここには王子とその側近たる幼なじみたちがいる。
(あとでちゃんと話さなきゃ!)
それにしてもこの料理は美味い。肉汁滴るチキンは、外はパリパリに焼かれ、ハーブの香るソースが良いアクセントになっているし、添えられた野菜も新鮮で甘みがある。ポタージュを一口飲めば、天に感謝しそうになるほど美味だった。
柔らかなパンは小麦とバターの味わい深く、いくつでも食べられそうだ。
乾燥して味気ないサンドウィッチとは違い、温かくて美味しい昼食に夢中になっていた僕は、最後のチキンを口に入れた途端、今がどんな状況だったのか思い出す。
(まずい、王子の前でガツガツ食べるなんて……)
ヒロイン(♂)は天真爛漫で素直で少しドジで、可愛らしい少年という設定だったはずだ。自分がそんな可愛らしい性格をしているとは思えないので、擬態するしかないと考えていた。
でもこんなに美味しい昼食を出されたら、擬態なんてやってる場合じゃない。皿に残っているソースの一滴すら残さず食べ尽くしたい。こんな風にお腹いっぱい食べたのは生まれて初めてで、僕は肩の力を抜いて呆然としていた。食べ終わった皿が片付けられ、手伝うために立ちあがろうとしてルーファスに制された。
「次が来る」
「え?」
昼食はもう全部食べ終わったのでは? と思っていると、侍従が恭しく皿を運んでくる。その皿の上には綺麗なショートケーキが乗せられていた。
「ケーキ……」
「苦手か?」
「ううん。初めて食べる」
前世病院で一度だけクリスマスに出た事があるが、見つめているだけで食べた覚えはない。真っ白なクリームの上には、真っ赤に熟れた苺だ。じっと見つめていると侍従に微笑まれ、王子の次に皿を置かれた。食いしん坊だと思われたようだ。
銀色のティーポットから、琥珀色の紅茶が注がれる。真っ白な陶磁器のティーカップの中でそれはキラキラ輝いているように見えた。
「サッシャ君、どうぞ食べてみて」
促されて僕はフォークを持ち、ケーキを飾る苺を刺した。真っ白なクリームと苺を同時に口に入れると、クリームの甘さと苺の甘酸っぱさに唸ってしまう。
「お、美味しい~~」
たまらず声が漏れた。ほっぺが落ちそうなくらい美味しい。自作のクッキーも美味しいと思ったが、これは次元が違う。飾りのなくなったショートケーキは少し寂しく思えたが、クリームがかけられた中のスポンジにも苺が入っており、見た途端幸福度が上がった。昼食のデザートとして出ているケーキなのでそれほど大きくなく、三口もあれば食べ終えてしまった。はしたなくも皿についたクリームをフォークで削いでしまおうかと考えていると、その皿が引かれ新しい皿が置かれた。
「ルー、キンケイド侯爵令息……様?」
「ビンボウニンハコンナケーキナドショクシタコトガナイダロウ」
先ほど口元を拭いてくれた時に、昨日言ったこと……と口走ったので、悪役令息らしく振る舞うことを思い出してくれたのだろう。少し棒読みだが、ちゃんとヒロイン(♂)を蔑む言葉をかけてくれた。
ルーファスは無表情ながらも、これでいいか? と目線で問うてくる。僕は大きく頷きたいのを我慢して、目配せで大成功だと褒めてやる。
(後でちゃんと褒めてあげなきゃ! ルーファス、良くやった!)
チキンのあーんから始まって悪役令息をやる気あるのかと思っていたが、ちゃんとわかっていたようで安心する。しかもケーキを食べて良いと言ってくれてる。本当は断る方がいいのだろうが、もう二度と食べられないかと思うと、とても美味しい苺のケーキを断ることは出来なかった。
貧乏人と言われたことが悲しく見えるように、少し俯き加減に震え声を意識して礼を言う。
「え、っと、ありがとうございます、キンケイド侯爵令息様」
「ん? サッシャ君、ケーキ好きなのか? 俺のも……睨むなよ、ルーファス。わかったから!」
丸テーブルの向こうからリースが声をかけてくれたが、ルーファスに睨まれて言葉は途中で止まったようだ。なんだろうと思っていると、手の甲が温かいものに包まれる。ルーファスが僕のフォークを取り上げ、皿の上の苺を刺し口元に運んでくれる。「あーん」第二弾だ。でも僕はなんだかふわふわな思考で考えられず、口を開けてしまった。大きい苺に絡んでいたクリームが唇についてしまう。でも僕は口いっぱいに入っている苺と格闘していて、それを拭う暇もない。
モゴモゴと咀嚼していると、ルーファスの指が伸びてきて、口の端についたクリームを拭ってくれる。目を見開いてそれを見ていた僕の目の前で、ルーファスはあろうことかその指についたクリームをぺろりと、舐めたのだ。
前世は殆どを病院のベッドの上で過ごし、今世は孤児の僕にだってそれが普通ではないことくらいわかる。驚いているのは僕だけではなかった。王子たちも一瞬ざわつき、それからコソコソと何か話している。でも僕はそれを気にするだけの心の余裕がなかった。
ルーファスの行動を見た途端、顔に火がついたように熱くなる。
「ルーファス、あんたっ」
そこまで声を出した後、僕は周囲を見渡す。ニヤニヤしている幼なじみたちと驚いたような表情を浮かべている王子が見えた。
これは良くない。
絶対何か変な誤解をされている。僕はルーファスからフォークを取り戻し、皿に残っているケーキを一口で飲み込むと、少し冷めた紅茶を一気に煽り、無作法だとわかっていながら音を立ててソーサーにカップを戻し、無表情ながら驚いているルーファスの腕を掴む。
「キンケイド侯爵令息様、一緒に、来て、くれますね?」
「……わかった」
ナプキンをテーブルに置いたルーファスは、僕に促されるまま立ち上がる。僕は一歩歩いてから振り返り、王子に向かって礼を言う。
「王子、とても美味しい昼食をありがとうございました。中座する無礼をお許しください」
「構わないよ。あとで二人とも戻ってきてね」
「はい。えっと、はい?」
これは最初で最後の昼食会ではないのかと思っていると、王子の隣に座っていたアンドリューが爆弾発言する。
「これから毎日昼食は一緒に食べようね、サッシャ君」
「へ?」
「それから勉強は俺が教えてあげるからさ、デューダー先生の時間を……もがもがっ」
「なんでもないよ、サッシャ君。でも勉強ならわたしたちで教えてあげられるから、わからないことがあれば気軽に聞きにくればいい。わたしたちが教室にいなければ、ここか、生徒会室にいるからね」
「はあ……は?」
なんだその自分に都合の良い展開は? と驚いていればルーファスに反対の手を引かれた。
「俺が教える」
「は?」
「わからないこと、疑問に思うこと、知りたいこと、なんでも教える。俺がわからなければ一緒に調べていこう」
「ルー、キンケイド侯爵令息、様……」
なんだかわからないがすごいことを言われている気がする。そして頷いたら何かとても不味いのではないかと思う。でも僕は今ここから逃げ出して、ルーファスに話があるのだ。
「わっかりました――っ! じゃあ、僕はキンケイド侯爵令息様に少しお話があるので、失礼しまっす!」
大声で叫んでルーファスへの返事はうやむやにしつつ、僕はその場から逃げ出した。もうゲームとかシナリオとか考えている場合じゃない。今はここから逃げるのが先だ。ルーファスにはもっとちゃんと悪役令息たる行動言動について教えなければならない。
僕は真っ赤になった顔を自覚しながら、昨日も訪れた渡り廊下のそばにある木立にルーファスを引き連れて向かったのだった。
僕は渡り廊下からも見えない木立にルーファスを押し込め、昨日と同じように壁ドンならず木立ドンをする。身長差がある為、手をついた場所はルーファスの腰あたりだが気にしない。
「ルーファス、僕がなんで怒ってるかわかる?」
「……ケーキが少なかった?」
「ちっがーう! ケーキは十分足りたよ、ルーファスの分まで食べちゃったんだから」
ケーキを食べ足りないなんて思ってない! と頬をふくらませれば、安心したようにルーファスは表情を緩める。
「そうか。良かった」
「すっごく美味しかった。ありが……って違う! そうじゃなくて、悪役令息らしい言動なんて勉強しろってところと貧乏人のところしかなかったよ! もっと僕をいじめてくれなきゃ困るんだけど!」
初めて食べた美味しいケーキに礼を言おうとして、僕は思い直す。さっきの昼食中での言動、行動は悪役令息的には三十点もいかない。
「いじめる……」
「そーだよ。なんのためにこんな打ち合わせしてると思ってるの! 僕が悪役令息のルーファスに虐められて、王子に庇われてそこから恋が芽生えるイベントが発生する為なんだからね!」
「恋……」
「な、なんだよ。今更やめたなんて言ってもダメなんだからな!」
ルーファスが考え込むように呟くのを聞き、僕は不安になる。やっと悪役令息っぽい行動を取って貰えるようになったのに、それがなくなったら、イベントなんて何も起こらず、王子の周りを彷徨いている石ころみたいな存在になってしまう。
「ルーファスは悪役令息をやってくれるって、言った……」
不安でいっぱいになり、木の幹に手をついたままルーファスを見上げれば、そこには木漏れ日の中に立つルーファスが見えた。
葉の隙間から漏れる陽の光があたり、ルーファスの姿は光り輝いて目が潰れそうなほど美しい。
(う……この顔を見ながら怒り続けるのって難しくない?)
僕はこれはまずいと思いながら、瞼を伏せルーファスの顔を視界から外す。そうしないとじわじわと湧き上がってくる何かで顔が赤くなってしまいそうだった。前世でやったゲームの中では意地悪な表情が多くて、美しいと設定されていてもルーファスには全然心惹かれなかった。けれど今は無表情ながらその瞳だけは感情を持って見つめてくるからタチが悪い。
「ちゃんとやるから、教えてくれ」
僕が俯いた途端、頬に流れたふわふわのピンクの髪を、ルーファスはひと房手ですくって流す。温かくて優しくて、世界中で一番大切なもの、みたいな扱いに僕の心臓は早鐘を打つ。
(……こんなにドキドキしても、心臓は痛くない……痛くはないけど、なんか変な感じがする……)
前世と違い、今の僕は超健康体だ。それに学園に入学するまで暮らしていた孤児院では小さいうちから自分の出来ることは自分で行う。小さい子の髪を梳くことはあっても、もう大きくなったサッシャの髪を梳いてくれる人はいない。僕は胸に湧き上がる何かを必死で飲み込んだ。
「勝手に触れてすまない」
触れられるまま何も言えずにいた僕の様子に気づいたルーファスは、ハッとしてその手を離す。同じように木についていた手を離した僕は、触れられた髪のことが気になって仕方ない。それでもルーファスが気にしないように言い添えるのを忘れない。
「べ、別に髪に触られたくらいで僕は騒いだりしないよ。それより、これからのことなんだけど、もっと僕を貶めて、会話に入れないように無視するとか、嫌味を言ったりするとかしないとこのままじゃ全然進まないじゃん!」
「嫌味……?」
「そうだよ。さっきのさ、バイトしてる暇があったら、本の一冊でも読めとか、貧乏人にケーキを恵んでやるとか最っ高に悪役令息ぽくて良かったよ。でもそれだけじゃダメなんだ! もっと僕を蔑んで!」
「蔑む? こんなに可愛いのに?」
「かっ……!」
そんな返しがくるとは、悪役令息恐るべし! 僕はポカンと口を開けてルーファスをまた見上げる。
「かわ……いい?」
聞き間違えかもしれないと一縷の望みをかけて問えば、手のひらで頬を包まれる。晴れた日の空の色をしたルーファスの瞳がゆっくりと細められる。
「とても」
言葉少ないルーファスは、そう言って頷く。肩に流された黒髪がサラリと揺れる様も神々しいくらい美しい。
「やめて! 僕を惑わせないで! いやいやいや、僕が可愛いのなんて、世界がそれを望んでいるからなんだ。そう、僕はヒロイン(♂)だからね。可愛いのは当たり前……」
そこまで言ってルーファスを見れば、少し首を傾げて見つめていた。美しい空の色の瞳は少し心配そうに細められていて、胸がきゅっと絞られるような気がした。
「い、イケメン滅びろ! 僕は絶対に惑わされないぞ。ぼ、僕は、王子と恋するんだ。こ、恋……」
混乱して何を言ったのかわからなかった。胸がドキドキして苦しい。もしかして心臓病が再発したのだろうかと不安になる。ぎゅっと胸を押さえると、大きく息を吸い込み、瞼をぎゅっと閉じた。
「……サッシャ?」
名前を呼ばれた僕は、閉じていた瞼を開いてルーファスの体に指を突きつける。
「噂通り公正明大、清廉潔白、汚いことなんてなんにも知らない男だな! あんたさぁ、その顔面偏差値がどんだけ高いかわかってんのっ!?」
「……わからない」
これは多分僕が言った顔面偏差値の意味が理解出来ないということだろうが、この時の僕は興奮していてそれを考えることが出来なかった。
「悪役令息にヒロイン(♂)がいちいちときめいてちゃ、イベントすすまねーだろ! そんなんじゃ苛められヒロイン(♂)なんて、やってらんないんだよっ! 僕は王子と恋をするんだから、惑わせるようなことすんな――っ!」
「……すまない」
素直に謝られると怒っているのが恥ずかしくなる。勝手にルーファスにときめいたのも、惑わせられたのも自分なのだから、怒る相手がいるとすればそれは僕自身だ。
怒鳴った所為で荒くなった息を整え、僕は反省する。
「あ、あー……、謝らなくていーから。悪いの、僕、だから……僕の方こそごめん」
カーッとなって怒鳴り散らし、そしてすぐに謝るのは僕の良いところのひとつだと思う。そして恥ずかしさにぺらぺらと話し出す。
「そりゃルーファスは王子の婚約者になる悪役令息なんだから、顔が良いのは当たり前だよね。なんてったって、王子の婚約者なんだし。そんな顔が良くて優しいルーファスが、婚約者を取られまいとヒロイン(♂)を苛めるからこそ、王子との恋は盛り上がるんだから! そ、それに王子だってルーファスに負けないくらいイケメンだしね!」
自分自身に言い聞かせるように言葉に出し、ぐちゃぐちゃになった思考をなんとかしようとした。
「ルーファスの顔がいいのは、当たり前なんだ。手入れの行き届いた真っ黒な長い髪がサラサラして手触りよさそーとか、射抜かれたら身動き出来なくなりそうな真っ青な瞳とか、身長も高くて多分百八十センチ超えてたり、細身なのにちゃんと筋肉ついてるところとか、指の先まで整ってるとか、……だから、当たり前、なんだ!」
ルーファスにドキドキしてしまうのは当たり前だという理由をこれでもかと、ペラペラと口にしてしまう。そしておもむろに、僕は両手を開いて自分の顔をパチンと両方から叩く。
「サッシャ!」
驚いたようなルーファスの声がするから、視線を上げればはっきりと焦ったような表情を浮かべていた。無表情がデフォルトのルーファスの顔が変化したのを見て、僕も驚いてしまう。
「ルーファス……?」
どうしてそんなに焦っているのか聞こうとする前に、ルーファスの手に頬を包まれる。
「なにか気に入らないことがあったのか? サッシャの顔を叩くくらいなら、俺の顔を殴れ」
「は?」
一体何を言っているのか理解出来なかった。この国宝のような顔を殴れと言ったのか? と僕は呆然としてしまう。
「あんた、何言ってんのっ! その顔殴れとか正気? ほんの少しのかすり傷だったとしても世界の宝の損失だよ!」
僕の頬を包んでいるルーファスの手首を両手で掴む。指が回りきらないくらいの太さだ。美しく繊細に見えながらもルーファスは立派な体格をしている。周りきらない指でぎゅっと掴むと、そおっと頬を包む手のひらが離れた。
「ルーファスの顔は国宝指定されてもおかしくないんだから、大事にしなよ! 言っとくけど、その顔に傷ひとつでもつけたら、僕がその相手を殴りにいくからね」
「肝に銘じる」
真剣な表情で頷くルーファスに、誤解のないよう再度伝えてみる。
「ルーファスを殴るんじゃなくて、その相手だよ?」
「サッシャが殴ってこの小さな手が傷つくくらいなら、俺がその存在ごと消す」
「え?」
驚く僕にルーファスは、はっきりと微笑んだ。美しい空の青の瞳を細めて、唇の端を上げ、笑みと呼ばれるモノを見せている。麗しい微笑みのはずなのに、見つめているとなんだか怖くなった。
「えーと、ルーファス?」
「安心して欲しい。顔に傷はつけない」
「う、うん? それなら、いーけど。あ、そーだった。こんな話するためにここに連れてきたんじゃなかった! 悪役令息たるもの、どんな行動をするか、ルーファスにみっちり教えて……」
そこまで言った後、昼休みの終わりを告げる鐘が聞こえてきた。
「あ……。まだ王子の婚約者たる悪役令息のルーファスになることについて話してねーのに」
結局、先程の昼食時にルーファスが言った程度では、恋のエッセンスにはならない。吊り橋効果はもっとおおきな障害でないといけないのだ。でも授業に遅れるなんて、必死に勉強して学園に入学したサッシャに出来るはずもない。
特待生であるサッシャは授業についていくだけではダメなのだ。もっと知識を吸収して、自分の中に落とし込み、さらに発展させなければならない。どうしようと悩んでいれば、ルーファスから提案された。
「授業が終わった後、またサッシャの部屋に行っても良いか?」
「いいの?」
背に手を回されて、渡り廊下へと促される。素直に歩き出しながら話を続けた。
「もちろん。部屋で待っていてくれ」
「わかった!」
きちんとした打ち合わせが出来るなら、とても嬉しい。僕はにこにこ笑ってルーファスを見上げる。
「あ、でも僕の部屋にはもうクッキーがないんだ」
今日食べたとっても美味しい昼食が普通の貴族であるルーファスが、あんなクッキーくらいで残念に思うことはないだろうが、一言言い添える。
「部屋で少し待っててくれたら、皿洗いと引き換えにクッキーの材料貰って作ってくるけど……」
それはとても良い考えに思えた。皿洗いを一週間すれば、クッキーの材料と場所を貸してもらえることは実証済みだ。けれどルーファスは首を横に振って、必要ないと答える。
「でも……」
「今日は俺が菓子を持参する。それから部屋に入ったらしばらく外に出ないで欲しい」
「へ? なんで?」
「理由は……危険だから」
学園の寮内でなにが危険なのか聞こうと思ったが、バタバタと渡り廊下を走る生徒の姿が見えたので、もう時間がないと知る。その後ろから次の授業の担当である担任が歩いていたからだ。
「ルーファス、僕たちも走ろう!」
「わかった」
その途端、サッシャの体は宙に浮いた。ルーファスに横抱きにされた事に気づいたと同時に走られてしまい、止めることも出来なかった。
「ひえっ」
「口を閉じてくれ。舌を噛む」
ルーファスに抱えあげられ、長い足で廊下を走られると、確かに体が揺れて危ない。それでもどうしてもこれだけは言いたかった。
「お、降ろせ――っ!」
あの、公正明大、清廉潔白、無口無表情だが下の者を見下さず誰にでも公平な、キンケイド侯爵令息が、暴れる孤児を抱いて廊下を走っていたと、見た者が噂を流すのはすぐだった。
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