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13話 悪役令息とイベント

 翌日の朝、僕はルーファスが部屋に呼びに来る前に部屋を出て、学園に向かう。どんなに時間が無くても僕は朝食を抜くことはしなかったのに、なんだか胸がいっぱいでなにも喉を通りそうにないし、ルーファスに会うのが恥ずかしい。  寮から学園までの道のりで、温かい風が首元をくすぐり、制服のタイを揺らした。 「ルーファスを置いてきちゃった……」  呟いた後、自分の言葉を否定するように僕は首を振る。そもそもルーファスが悪い! 僕はキスをしたことがあるのかと聞いただけで、したいなんて言ってない!  それなのに「してみるか」なんて軽く言って実践してしまった。おかげで今でもルーファスの唇に触れた感触が忘れられなくて、ぐっすり眠ることも出来なかった。ぷりぷり怒りながら歩いていると、すぐに学園に到着する。 「たまには、学園内を探検してみようかな」  入学式の後、僕はBLゲームのイベントを始めるか迷っていた。ここはBLゲームの世界に酷似しているとはいえ、今の僕はここで本当に生きている。王族と恋なんてしてもどうせ結ばれない、とどこか現実的な心で諦めていた。けれど、強制力と呼べるようなものがあるのか、僕は王子を見つけてしまい、しかも怖気付いて逃げ出そうとして転んでしまった。今世のこの体は病気知らずの健康体だが、何故かよく転ぶ。  あの日もそうだった。やっぱり関わるのを止めようと思ったのに、結局王子とその幼なじみ、そしてルーファスを見つけてしまったのだ。  ゲームのヒロイン(♂)としての自覚はあったけれど、出会いイベントでもないのに、なにもないところで転ぶんなんて屈辱でしかない。自分の身体能力に問題があるのかと思ったが、違うようだ。  僕はあの日、ルーファスを初めて見た時を思い出していた。 ***  入学式だ! 僕は見事特待生枠をもぎ取って王立学園「ニーラサ」に入学した。僕の異世界転生人生はここから始まるといっても過言じゃない。日本のBLゲーム会社が作ったからか、この世界には桜がある。日本で食べられる野菜や果物、肉魚も同じようなものだ。少しヨーロッパ系なので醬油や味噌はないけれど、おおむね同じようなものだ。  まあ孤児院は貧乏なので、高価な調味料なんて滅多に手に入らないし、肉も魚もあまり出ない。でも十六歳になった僕は孤児院を出て、王立学園「ニーラサ」の寮に入った。  ここで一生懸命勉強して、王城の文官になれば一生食いっぱぐれない。  そして、もうひとつ気になっていることも調べられるだろう。それは本当にここがゲームの世界と同じなのか、ということだ。  この国の第三王子の名前はローラント、僕が生前プレイしていたBLゲームの攻略対象者と同じ名前だ。婚約者の名前も調べたから知っている。 「ルーファス・キンケイド侯爵令息……。ゲームと同じだ」  他の攻略対象者である幼なじみの側近候補もいるらしいが、あまり興味がないのでろくに調べてない。どちらにしろ孤児の僕に調べるというか、聞く相手は神父様しかいなかったけれど。  入学式が始まる前に、僕は前世画面上で見ていた風景と同じような王立学園内を歩きながら、どうするべきかまだ悩んでいた。  第三王子には婚約者がいる。ゲーム内では悪役令息と呼ばれていた侯爵家の次男だ。入学前に準備のために寮に入り、日々を過ごしていれば噂話は嫌でも耳に入る。  眉目秀麗、清廉潔白、公平で身分で人を区別しない素晴らしい貴族令息らしい。また見た目もそれは美しく整っていて、さまざまな逸話があった。  まだこの世界では悪役令息を見たことはないけれど、ゲーム内でも王子を落とすことにしか興味がなくて、ろくに顔を覚えていなかった。 「ローラント、急がなければ入学式に遅れますよ」  渡り廊下に差し掛かった時、向こう側から声が聞こえてきた。僕は咄嗟に木立の中に入って、木の裏に身を隠す。 「わかっているさ。タルベット。リース、アンドリューも準備はいいかい?」 「もちろん」 「準備できてるよー」  賑やかな声が聞こえてきた。そして聞き覚えのある名前が並んでいることにドキドキする。 「ルーファス、きみは?」 「ああ」  その名前を聞き、僕は悪役令息の顔を拝んでやろうと、そっと木の幹から顔を出した。  柔らかな風に髪が靡びいているのが見える。長い脚が一歩一歩出されて、渡り廊下を歩いていく。貴族という特権階級でしか手に入れられない恵まれた容姿、均整のとれた肢体、指先まで洗練され、手入れされた美しい外見が見えた。  その横顔だけでもわかる美貌は、息が止まりそうになるくらい美しかった。  なよやかな雰囲気は全くなく、ただ美だけがそこにあった。僕の視線に気付いたのか、その美しい人が視線を動かし僕を見つけた。 「!」  吸い込まれそうなほど空の色をした青い瞳、天使の輪を作る黒髪は艶やかで一度でいいから触れてみたいと思ってしまう。濃いまつ毛に縁取られた瞳が、瞬きし僕を射抜くように見つめていた。 「ルーファス」 「ルーファス、早く」  足を止めていた悪役令息、ルーファス・キンケイド侯爵令息は王子や幼なじみたちに呼ばれて、僕から視線を外して去っていった。 「イケメン滅びろ」  あんな綺麗な婚約者がいる相手に、恋するなんて無謀すぎる。僕なんてその辺のぺんぺん草みたいなもんじゃないか。一瞬で僕は諦めようと考えた。  そうだよ、そうだ。いくらここがゲームの世界に似ているとはいえ、僕は今ここに現実として生きている。幸いこの学園にも入れたし、このまま頑張って勉強すれば未来も開けるんじゃないかと思う。無理してBLゲームと同じことをすることはないと、頭のどこかで声がする。 「すっごく綺麗だった……」  高貴な存在の美しいものに手をかけて、さらに美しくしたように思えた。今の自分じゃ……、いや前世の自分だって全く叶わないような存在だ。  ぎゅっと拳を握って、天に突き上げる。 「僕だって、やる時はやるんだ! 恋を、するぞ!」  あんな綺麗な人を捨てて、僕を選んでくれるならそれはきっととても幸せになれるだろう。ちっぽけな孤児の自分が選ばれるなんて、今でも信じられないけれど、それでも頑張るだけなら出来る。  勉強だけの学園生活なんて味気ない。僕は王子と恋をする。そういえばさっき王子もいたけれどろくに顔も見ていなかった。それくらいルーファス・キンケイド侯爵令息の美貌は衝撃だったのだ。  ふん! と鼻息荒く僕は木立から出る。その時、何かに躓いてしまう。 「げっ」  この制服はまだ真新しく、こんなに綺麗な服を着たのは初めてだった。汚れてしまう、と思ったが僕の体は地面に転ぶことなく、何か力強いものに引き上げられる。 「え?」 「……」  転びそうになった僕に声をかけるでもなく、支えてくれる腕があった。徐々に視線を上げていくと、目の前にルーファスがいた。至近距離で見ても整った容貌に、転びそうになったのも忘れて見惚れてしまう。 「目が潰れる」  思わず漏らしてしまった感想に、ルーファスは珍しいものを見て驚いたように瞬きを繰り返す。 「ルーファス、引き返したと思ったらどうしたんだ?」 「ちょっとルーファス、入学式に第三王子が遅刻とか洒落にならなんですけどー」 「何かあったのか?」  王子がルーファスに支えられている僕とルーファスを交互に見て、問いかけてくる。 「あ、の……その、僕が転びそうになったのを助けてくださったんです。ありがとうございます、ルーファス・キンケイド侯爵令息様」 「名前……」  おっと、ここは貴族がいる世界である。身分高い者が話す前に、下位の者が話しかけてはいけなかった。子供でも知っていることだ。けれどここは学園内なので、表向きは許される。 「僕、特待生のサッシャ・ガードナーでぇす。これからよろしくお願いしますぅ」  BLゲーム内のヒロイン(♂)の言動を思い出しながら、僕は天真爛漫きゃるるんキャラに擬態する。  世界の強制力か何か知らないが、ここで出会ってしまったからには突き進むしかない。僕は、ここで恋をするんだ。  悪役令息に虐められたって負けないぞ!  なんて、そう思っていた時期が、僕にもありました。  結局ルーファスは僕を虐めることなんて一度もなかったし、その反対に助けてくれることばかりだった。今だって僕が願ったから悪役令息なんてやってくれている。 「だからって、昨日の……あれは、ない」  キスっていうのは、両思いになって、恋人になってからするものだ。僕が前世散々読んだり見たりした物語の中ではそうだった。憧れていたキスをルーファスをしてしまったことについて、嫌だなんて思ってない。それが問題だった。 「あーもう考えてもわかんないっ」  僕は早朝の校舎を歩きながら、ぼんやり考えていた。入学式や今度のダンスパーティーがある講堂の前まで来ると、その階段を上がり始めた。二階へ上がる外階段から、校舎への渡り廊下が通っているからだ。涼しい風が吹くその場所に少し座って休憩しようと思っていた。その時、なんだか胸がざわついた。足を止めようと思ったが、もうあと一段で階段を登り切る。僕はなんともいえない雰囲気に、周囲を見渡す。  なんだろう、嫌な予感がする。僕はこんな予知なんて全然持っていなかったのに、よくないことが起きそうで、不安が募る。  その時、シュル……っと何か長いものが伸びてくるような音が聞こえた。ハッとして振り返れば、真っ白なもので視界が覆われる。  え? と思った時には、足が階段から離れていた。スローモーションみたいに景色が見え、僕は腕を振り回す。けれど落下していく体は止めようもない。  ゲーム内でヒロイン(♂)は悪役令息の手によって、階段から突き落とされるイベントがあった。王子の目の前で行われたその凶行に、王子の怒りが爆発して婚約者への情が木っ端微塵になったのだ。  けれどここには王子もルーファスもいない。僕だけだ。ふわりと体が持ち上がって、階段を落ちていく。でも痛みなんて感じなかった。  あ、これもしかして走馬灯? と考えた時、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。 「サッシャ――ッ!」  悲愴なルーファスの声に、そんな声を出させてしまった事に罪悪感を感じる。そして僕の意識はブツリと切れた。  サッシャの体が講堂の階段から落ちるのを為す術もなく見ていることしか出来なかった。段差にあちこち打ちつけながら、サッシャの体が階下まで落ちてくる。すぐにサッシャの倒れて傷ついた体を抱き寄せ、もう一度名を呼ぶ。 「サッシャ!」 「キャ――――っ! キンケイド侯爵令息様がっ」 「うそ、特待生を突き落としたっ!?」  後ろからそんな声とバタバタと去る足音が聞こえるが構ってられなかった。自分の目の前でサッシャが傷ついた。怒りがぶわりと湧きあがり、目の前が真っ赤に染まった気がした。 「ルーファス様、お怒りをお納めください。それよりもこの方を医師に見せる方が先かと」  姿は見えないが背後からの静かな声に、ルーファスは自分の怒りを抑えた。力なく横たわっているサッシャの体をそっと持ち上げ、抱え上げる。いつもの軽快さはなくじっとして目を閉じている姿を見て、吐き気がするほどの恐怖を感じる。  そっと顔を近づければ、小さく呼吸しているのがわかり、安堵する。すりっと額を擦り合わせて、信じてもいない神に感謝したくなった。 「ルーファス様」 「保健室に行く」 「早朝でまだ養護教諭が来ておりません。キンケイド家から医師を呼びますのでひとまず寮の部屋へお連れください。わたくしは医術の心得があります。医師が到着するまでわたくしが診ます」 「わかった」  サッシャの体をぎゅっと抱きしめ歩き出す。こんなことを仕出かしたやつには、死ぬより辛い制裁が必要だ。惨たらしく凄惨に苦しめてやる。 「ルーファス様」  再び怒りを出していることに気付いた影が、そっと名を呼ぶ。サッシャに呼ばれる時と違い、いらだちしか感じなかった。 「周囲を警戒、なにひとつ見逃すな」 「はっ」  遠目で見ている時から、サッシャが階段から落ちていく動きは歪だった。まるで何かに押されたように思えたが、サッシャの周りに人影はなかった。 「これまでわかったことを全て報告。全影に周知」  ざわり……と周囲の空気が揺れて、ルーファスの周囲を取り込むような気配がした。キンケイド家の影はその姿を見せて、主人であるルーファスの周りを囲んだ。 「……消えた」  一瞬でその気配は消え、周囲は静かになる。 「う……っ」  サッシャの体を強く抱きしめた所為か、呻き声を上げた。ルーファスはまるで宝物を抱えるようにサッシャを抱き寄せ、寮へ運んだのだった。  寮の自室へ運んだサッシャは、治療が終わっても目覚めなかった。目を閉じて眠るサッシャを見るのは初めてだ。真っ白な肌を汚していた土埃はすでに拭われ、制服も脱がせ全身の治療は終わっている。怪我をして休むことは、使いを出して学園に伝えていた。  先に診た影と同じようにキンケイド家から呼んだ医師によれば、打ち身程度でそのうち目を覚ますだろうと言われたが、目が覚めないサッシャを見ていると不安が消えない。  もしこのまま目覚めなかったらと思うと、この世の全てを何もかも壊してしまいたい気持ちになる。  奇跡的に頭部に怪我はなかったが、それでも体中痣だらけになっている。  顔色悪く眠っている姿を見ているだけしか出来ない己の不甲斐なさに、苛立ちを感じた。手首に巻かれた真っ白な包帯を見つめて、そっとその手を取る。二度とこんな怪我はさせない。身も心も全て守ってみせると、自分に誓う。 「ルーファス様」  呼ばれたルーファスは、サッシャの手をそっとシーツの下に隠す。そしてベッドから離れて窓際に移った。 「報告を」 「講堂の周りに怪しい者はおりませんでした。早朝に登校した生徒が二人おりましたが、ルーファス様がこの方を階段から落としたと話しておりましたので、第三王子殿下と幼なじみの方々が動いております。また、これは関係ないかもしれませんか、王家の方も動いております」 「王家が?」  キンケイド家は王家の影である。建国から続く由緒ある家でもあるが、王家の表に出せない部分を請け負っているのだ。 「この方のお生まれに関係あるかもしれません」  また他の声が聞こえてきた。先ほどこれまでわかったことを報告するように伝えたのでこれから次々にやってくるかもしれない。 「引退した爺が言うには、明かさぬ方が良いと」  サッシャは孤児であることを恥じていた。表面上はそんなふうに見せていないが、それでもあの日思わず口に出してしまっただろう言葉をルーファスは忘れていない。 「調べろ」  王家の恥なら恥で良い。お綺麗な系譜ではないことくらい知っている。知ったからと言ってサッシャが納得するような理由なんてないだろうが、それでも自分が誰なのか知る権利はある。 「それから、この方が落ちられた時に、不審な感覚があったと報告がございました。魔術を、使ったのでは、と」 「魔術?」  この国に魔術師はそれほど多くない。魔力を持って生まれたとしても、それを教え導く者がいないからだ。いつの日からか、魔術持ちは生まれなくなり、隣国の魔術大国「マーシャル」から魔術師が任意で派遣されているだけだ。その数少ない魔術師は王城で働いている。 「王城の魔術師を調べろ」 「承知いたしました。それから第三王子殿下がこちらへ参られるそうです」 「断っておけ。サッシャが眠っている」  まだ目覚めないサッシャを誰にも見せたくない。きっとサッシャもこんな自分を誰にも見せたくないだろう。 「すでにこちらに向かっていらっしゃいますが……」  影がそう伝えた途端、隣の部屋のドアが開いて誰かが入ってきた音が聞こえてきた。 「サッシャを守れ。命にかえても」 「承知いたしました」  ルーファスの寮の部屋は寝室と応接室、それに衣装を入れる部屋などがあり、今いるのは寝室である。本当は影でさえ、この場に残していきたくない。  けれど自分が向こうの部屋に行かなければ、ローラントたちがこちらに来てしまう。ルーファスは影に命じてから、踵を返して隣の応接室に入って行った。 「ルーファス! 学園中ルーファスがサッシャ君を階段から突き落としたって噂がすごい勢いで回ってる!」  いきなり押しかけてきたが、寝室に入るのは止めて応接室のソファーに座っていたローラントと幼なじみたちは、ルーファスを見て立ち上がる。 「静かにしろ、ローラント。サッシャが眠っている」  本当は目覚めるまで一時もそばを離れたくない。今もこの部屋にいるローラントと幼なじみたちに苛立ちを覚えていた。帰って欲しいと伝える為だけに、ルーファスはここに来たのだ。 「え? サッシャ君ここにいるの?」 「ふ、不純同性交遊!?」 「ルーファスがひとりで大人になっちまった!」 「三人とも馬鹿なことを言ってないで……、怪我したサッシャ君は大丈夫なのか?」 「……わからない」 「え!?」  四人とも驚いたように固まり、そして寝室に繋がるドアへ視線を向けた。ルーファスは四人の視線を遮るように、ドアの前に移動する。 「怪我は大したことがないと言われた。でも、目を覚まさない」  眠っているサッシャの邪魔をするなと言わんばかりの言い方に、四人はほっとするような寂しい気持ちになる。けれど、それを隠してからかってきた。 「狭量だな!」 「えーでもさ、これが正しい姿じゃない?」 「恋ってすげーなー」 「ルーファス、わたしたちに出来ることはあるかい?」  ローラントの問いかけに、ルーファスは少し考えた後口を開く。 「サッシャが階段から落とされた時、周囲に人はいなかった。魔術が行われた可能性がある。調べて欲しい」 「わかった。調べておくよ。さあ、邪魔しないようにわたしたちは学園に戻るよ。なにかあったら知らせて欲しい」 「ああ」  ローラントに促されるように幼なじみたちも立ち上がる。 「でも、ルーファスのあの噂……っ俺たちは全然信じてないけど、ものすごい勢いで広まってるんだ」 「サッシャ君を階段から突き落としたって!」 「婚約者にまとわりつく平民に罰を与えたとか言われてるよー」 「俺たちは全然信じてない!」  ルーファスはそんなことをしない、と幼なじみたちは憤りながら言い切る。それに今朝のことなのにもう学園中に噂が拡がっていることにも不審がっていた。 「でもこの国で魔術を使うなんて目立つだけじゃないか」 「珍しいよね。隣国の魔術大国マーシャルならともかく」 「魔術ってローラントの服に掛かってるやつみたいなの?」 「まあ色々やり方はあるようですが、魔力がなければ、何も出来ないんですよね」 「ああ、魔術と魔力は繋がっていると聞いている。そして、魔術師たちは、マーシャルで学ぶ。とりあえず、王城の魔術師たちに聞いてみるから、任せてくれ」 「……ありがとう」 「サッシャ君が早く良くなるといいね」  ルーファスは頷き、四人は部屋を出ていった。きっと学園中の噂のことや、魔術が絡んでいることを表で調べてくれるのだろう。ルーファスは去っていくローラントと幼なじみたちを見送って、すぐに寝室に戻るのだった。 ***  ルーファスは静かにドアを開け寝室に入ると、影ひとりがサッシャのそばについていた。守っているはずのその相手に苛立ちを感じる。 「下がれ」  影は静かにその場から消え、寝室にはルーファスと眠るサッシャしかいなくなる。  ゆっくりとベッドに近づき、サッシャの顔を覗き込む。静かな呼吸音が聞こえてきたが、サッシャが消えてしまいそうで恐ろしくなり、ベッドに乗り上がる。  階段から落ちていくサッシャを見ていることしか出来なかった絶望感に、胸が締め付けられた。今にも消えてしまいそうで、恐ろしい。今後は絶対にそばから離れることが出来ない。 「サッシャ……」  瞼を開いて赤紫色のキラキラと輝く瞳を見せて欲しかった。むくれたり、怒ったり、笑ったりとくるくる変わる可愛い表情を見せて欲しかった。ピンク色の柔らかな髪に触れ、優しく撫でる。一筋たりとも傷つけたくない。いつだって大切に包んでいたい。  王子と恋したいと願うなら、協力でもなんでもしてやる。泣き止んでくれるなら悪役令息という者にだってなってやる。 「……サッシャ」  そばにいて欲しい。欲と言うものを初めて知った。サッシャの頬に触れ、親指を伸ばしてそのふっくらした唇を撫でた。  勝手に触れてはダメだとローラントは言っていたが、サッシャはルーファスに触れられるのは嫌いじゃないと言ってくれた。言い訳じみているが今だけは許可を取らずに触れることを許して欲しい。  サッシャが生きていると言う証明が欲しい。 「サッシャ……」  いつも名前を呼べば「何?」と言うように瞳を輝かさせて嬉しそうに振り向いてくれた。今のように瞼を閉じて、じっとなんてしていなかった。  胸を上下させて眠る姿に心臓が締め付けられる。 「目を、開けて」  切ない思いが湧き上がり、サッシャの額に自分の額を押し当てる。 「開けないと、またキスする」  ルーファスはゆっくりと顔を傾けて、サッシャにキスした。柔らかな唇に触れ、表面を擦り合わせる。サッシャは温かくて柔らかくて良い匂いがした。 「ん……」  唇を離すとサッシャは何度も瞬きを繰り返し、ルーファスが見たかった大きな瞳を開く。 「……ルーファス」  サッシャが目を覚ました。 ***  すごく気持ち良い気分で目が覚める。窓から柔らかな陽の光が入り、目の前にいたルーファスを輝かせている。その光景に綺麗だなと素直に思う。  空や星や花を見た時と同じように、そこにあるだけで美しいと感じた。  ああ、これは夢か。すごく良い夢だ。だって、ルーファスがそばにいてくれる。そのことが嬉しくてにっこりと笑ってしまった。ヒロイン(♂)らしくない腑抜けた笑いだからか、夢の中ルーファスは驚いたように目を見開いていた。そんな表情をしても、ルーファスの美貌は損なわれない。  美しいって偉大だなと思う。 「ふふ、ルーファスがいる」 「サッシャ」 「僕ねぇ、ルーファスに名前を呼ばれるの好きだよ」 「そうか。俺だけに呼ばせてくれ」 「うん」  これは夢なんだから、僕はルーファスに甘えても良いはず。 「キスしていいか?」  ルーファスはそう言ってくれるのを待っていたように僕は頷いた。夢の中でくらい自分の望みをルーファスに告げても良いはずだ。 「いいよ」  言い終わる前にちゅっとキスされた。気持ちよくて幸せでドキドキする。まるでBLゲームの中で見たヒロイン(♂)が王子と想いを通じ合わせた時みたいだ。 「んんっ」  もう一度唇が触れ合って、口を開けたルーファスが僕の唇を愛撫するように吸いついてている。そこで僕はおかしいな、と思う。自分のキスのイメージは唇を触れ合わせるだけの軽いものだ。それなのに、ルーファスはもっと深くサッシャを貪ろうとしている。サッシャは腕を上げてルーファスの頬を包む。その時長い黒髪にも触れてしまい、もしかしてと考えた。 「ちょ、ま……待って、ルー……んんっ」  思考がはっきりしてきたサッシャは、これは夢じゃないとはっきり自覚する。けれど制止の声もろくに上げられず、ルーファスにキスされてしまう。唇を擦られ緩く開いた口の間から、なにか湿ったものが入ってきた。ルーファスの舌だ。びくっと体が震えた。 「あ、ふっ……んん、ん……っ」  息が出来なくて苦しい。ルーファスに縋るように頬に触れていた手を胸元に落とし、服を引っ張る。それに気づいたルーファスはやっと唇を離してくれた。 「……は、あ、ルーファス! 何すんだ! キスは王子とって言っただろーが!」  今度こそ殴ってやるぞ! と思ったが、至近距離にある美麗な容貌に僕は殴るのを諦めた。けれど別のことで仕返しをしようと、もう一度ルーファスの頬に手を伸ばした。 「反省、して!」 「らが、あふゅほーひはへんへんすすんれらい……」 「ん? なに? なんて言った?」  頬を摘まれたままで話すルーファスなんて、珍しいものを見たなと思いながら、手を離してやればルーファスはもう一度繰り返してくれた。 「だが、悪役令息の苛めからのアプローチは全然進んでない。……別の方法も考えるべきでは?」 「確かに一理ある。でも別の方法?」  別の方法と言っても、僕の恋愛行動は全てBLゲーム内の出来事しかないから他になんて思いつかない。 「だから練習すれば良い」 「なにを?」 「……キスを」 「は?」 「こんな風に押し倒して、体を使って篭絡するんだ」 「篭絡……」 「サッシャ」  篭絡の意味を考えていると、砂糖菓子みたいに甘く響く声で名前を呼ばれた。そして、ちゅちゅっと唇を触れ合わされる。  思考回路がショートしそうだ。でも、ルーファスを止めなければならないことだけはわかる。 「いやいやいやいやいや、待て待て待て待て待て、僕にはハードルが高過ぎる!」  ルーファスにキスされると頭に血が上る程興奮してしまう。こんなこと恥ずかしいこと練習でなんてできるはずもない。  確かに王子とのイベントでボディータッチからの心の接近もあったが、あくまで接触という感じだ。頭を撫でられたり、頬を撫でられたり、あーんされたり、したり、怪我をしたら抱えあげられたり。  ん? 待てよ、全部ルーファスとしてるな、僕。あ、キスもだ。  と、そこまで考えて、顔に火がついたように赤くなった。 「無理! むりむりむり!」  ルーファスは少しムッとしたような顔をして、覆いかぶさっている。 「……無理でもやらないと、先に進めない」 「そーだけどさぁ、ルーファスは嫌じゃない?」  僕はルーファスとキスするのは嫌じゃない。でも、ルーファスは?  確かに僕は入学式の時、努力しようと腕を振り上げた。けれどこんな努力の仕方は知らないのだ。それにキスはひとりでは出来ない。恥ずかしいがルーファスに問えば、なんでもないことのように答えられた。 「嫌じゃない」  ルーファスはなんだか嬉しそうに、僕にキスした。僕は心臓がバクバクいって、今にも死んでしまいそうだ。それでもルーファスが練習させてくれるというなら、それを受けてみようと思う。唇の表面を擦り合わせ、緩く開いた後は舌が差し込まれる。  口腔内を探るような動きに、僕は翻弄される。引っ込めた僕の舌をルーファスの舌は追いかけて来る。舌を絡めて少しざらざらした表面を擦られる。ぞくぞくするような感覚が体に走り、僕は腰を無意識に動かした。  まるで逃がさないのいうようにルーファスの腕が僕の顔の横にある。指先で耳の先を撫でられ、身震いしてしまう。 「……ん、っ」  むずむずする感覚に我慢出来なくて体を揺らせば、キスで塞がれた唇から嬌声が洩れる。深いキスに慣れなくて息が苦しい。握った拳をルーファスに軽くぶつければ、それに気づいてくれて唇が離される。ルーファスの手はまだ触り足りないとでも言うように、僕の耳の裏を撫で、首筋をたどり、シャツの襟へと落ちていく。 「わわわ、なにっ!?」  僕はもういっぱいいっぱいだった。キスだけでも何かが溢れそうなのに、ルーファスの手のひらが触れているともう爆発してしまいそうだ。  柔らかな布地で作られたシャツの上から手のひらが下に下がっていく。ルーファスを見上げれば、空の色をした瞳を細めて僕を見つめていた。 「あ……」  ぺたんこな胸を撫でられて、僕はもう一度びくんと反応してしまう。恥ずかしくてたまらないのに、ルーファスは平気そうに僕を翻弄する。 「わ、もう、なにっ!? ……っていうか、この服なに?」  僕の手持ちにこんなに着心地の良いシャツなんてない。そして周囲を見渡せば全く見覚えのない場所だった。ベッドも窓も部屋も、何もかも知らない場所だ。  まるで貴族の屋敷にある部屋のような豪華さに、目覚めてからやっと気づいた。 「ここどこ?」 「俺の部屋だ」 「キンケイド家ってこと?」 「寮の部屋だ」  寮の部屋と聞き、自分の部屋の間取りを思い出す。前世でいうところの、六畳一間にベッドと勉強机、それに洋服ダンスが置かれた殺風景な部屋と、この部屋とは天と地ほど違う。 「僕の部屋の隣、こんな部屋だったの!?」  全くもって何もかもが違った。置いてある家具もだか、壁紙や天井、窓枠すら違う。ここがキンケイド家の屋敷だと言われたら素直に信じてしまっただろう。寮の部屋と言われた方が信じられない。  「広さも全然違う。あ、ナイジェル様が工事の音してたってこれか……」  そりゃあ、この部屋を作るためなら工事が必要だろう。この寮は出る時に元通りに戻せば在学中に家具を持ち込んだりすることは可能だった。僕はほとんど身一つ時でここにきたので、備え付けの家具をありがたく使わせて貰っている。 「キンケイド家の部屋とは見劣りする」 「そーなんだ……」  僕の部屋なんて家畜小屋みたいなものかもしれない。よくルーファスは毎日僕の部屋に来ていたなと思う。僕の部屋にルーファスは似合わない。  僕は起き上がって体を見下ろした。真新しいシャツを着ているが、その下には包帯が巻かれていた。 「包帯?」 「……痛みはないか?」 「へ? 痛み?」  キスっていうのはどこか痛くなるのだろうかと思っていると、自分が気を失う前に何があったのかを思い出す。 「あ、僕……階段から落とされ……、いや、落ちたんだった」  あれは白い何かに落とされたのだが、ルーファスにそれを話す事は出来ない。優しいルーファスは、僕が誰かに階段から落とされたなんて知ったら、相手にどんな報復をするのかわからないからだ。自分の問題にもうルーファスを巻き込みたくなかった。 「僕、足を滑らせて落ちちゃったんだね」  ルーファスは僕の言葉を信じていないような目をしていたが、何も言わなかった。 「それで、痛みは?」 「え? あ、ないよ! あ、包帯巻かれてるけど、僕怪我したの?」  怪我をしていると考えた途端、痛みが出てきたような気がした。痛くないと言った手前、僕はそれを我慢したがルーファスには見抜かれていた。 「痛み止めを処方して貰っている。飲んでくれ」  薬なんて高価なものはこの世界に生まれてから飲んだことはない。僕は躊躇しながらルーファスから丸薬とコップに注がれた水を貰って飲み干した。 「苦ーい」 「すまない」  こちらの世界の薬は味が全く改良されていないのか、苦味と渋みとなんだか甘ったるい味がした。舌を出して不味さを散らそうとしているとルーファスが謝ってくる。 「えー、この苦い薬、わざとなの? もっと美味しい薬ある?」 「そうじゃない。サッシャが怪我したことだ」 「なんで僕が階段から落ちて怪我したことに、ルーファスが謝るのさ。それより僕を運んでくれたのもルーファス?」 「ああ」  頷かれた僕は、ルーファスに飛びついた。 「ありがとう、ルーファス!」  僕は昨日のキスに悩んで、ルーファスを避けて登校したのに、部屋にいない僕を心配して学園まで探しに来てくれたのだろう。大切にされているようで嬉しくなる。だらしない笑い顔を浮かべながら、僕は抱きついたルーファスの匂いを嗅ぐ。温かくて優しい匂いがした。 「起きないから、不安、だった」 「あ……っ」  抱きしめ返してくれたルーファスは、小さな声で呟く。階段から落ちて気を失い、ここに運んで暮れたのならすごく驚いただろう。意識がなくなる前に聞いた声はルーファスだったような気がする。  ちょっと階段から落ちただけで目覚めなかった理由なんて簡単だ。昨日よく眠れなくて、眠かったからだ。起きた今は少し体が痛いくらいで、きちんと睡眠を取ったからか、すごく元気だ。 「ごめんね」 「心配した」  ルーファスの胸から顔を上げて見つめれば、眉間の皺は二本あった。そっと指を伸ばして、その皺に触れる。 「ルーファス、眉間に皺があっても綺麗だよね」 「……」  反省してないと思われたのか、ルーファスは何も言わずにキスしてくる。  このキスがルーファスにとって何の意味もないことくらいわかっている。これは練習だ。 「んんっ……これって練習?」 「……練習」 「……もう少し練習、する。王子に下手くそだと思われたくないし」  これは練習であって本物のキスじゃない。王子とのキスがヒロイン(♂)にとって本物のキスに決まってる。  でも僕にとってはこのキスは本物だ。ルーファスとする、本物で、本当で、真実のキスだ。僕は、ルーファスとキスしたい。  どうしてルーファスをキスしたいのか考えると、身悶えしたくなるような答えに辿り着きそうで僕は思考をやめた。考えている時間なんて、勿体無い。このチャンスを一回も逃したくなかった。 「ルーファス、キスして」  ルーファスはもちろん僕のお願いを聞いてくれる。温かくて優しい心の持ち主だ。キスもとても上手かった。

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