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14話 悪役令息の所業

 僕はルーファスに寮の部屋に三日閉じ込められやっと外に出られた。寮の食事もキンケイド家から来たという従僕が毎食運んでくれる。下水道の整った世界だから、部屋にトイレと浴室があったからまだ耐えられた。  ルーファスも僕と一緒に学園を休むと言ったので、無言で部屋を叩き出してやる。その姿を見て従僕は驚いたようだったが、懸命にも何も言わなかった。従僕はベットの上で寝ているだけの退屈な僕の為に、図書館の本を借りて来てくれたので、夢みたいな食っちゃ寝生活を送っていたが、一日で飽きた。だって僕は前世、病院にずっと入院していてベッドで一日中過ごす日々なんて二度とやりたくないと思っていたからだ。  それなのにルーファスは、僕を無理やり自分の部屋に留め置いた。  怪我が心配だからと言われたら、階段から落ちた僕をここまで運んでくれて医者を呼び薬を飲ませてくれた相手の願いには黙って頷き、世話を焼かれるしかない。  でもたいした怪我でもなかったのに、学園を三日も休んでしまった。まあ、ルーファスが授業のノートを見せてくれたから、授業についていけないということはない。  今もルーファスは僕の隣を、寮から学園の教室まで一緒に歩いてきた。今朝はやっと食堂で朝食を食べられた。それから学園へ行く準備をして、ゆっくりと歩いてきたからか、教室にはほとんどの生徒が登校してきていた。ドアを開けて教室に入ると、僕とルーファスを見て一瞬静かになった教室内が一気にざわめく。 「おはようございます」  そんな周囲のことなど気にせず、きちんと挨拶をして教室に入る。一番後ろの自席に向かえば、ルーファスも付いてきた。階段から落ちた傷はほとんど癒えている。もう体は大丈夫だと言っても、ルーファスはずっとそばに居たがった。凄く心配性なのだろう。  いつもなら特待生の僕なんて一切気にしない貴族令嬢である女生徒たちが、一気にこちらに向かってきた。  なんだ、僕は喧嘩を売られると買うタイプなので、女性でも容赦しないぞ! と思いながら表面上はにこやかに接する。 「皆様、おはようございます」 「こちらへいらして、ガードナー君」 「へ?」  ルーファスから引き剥がすように腕を取られ、引っ張られる。よろめきながら促されるままそちらに足を向ければ、ルーファスを睨みながら女生徒はさらに言い放つ。 「ここにいては、危険ですわ」 「あの方に近寄ってはなりません」 「は? あの、一体なにを仰っているのか僕にはわからないのですが」  危険ってここは学園の教室内だ。身分差があり、不敬を買えば最悪退学もあり得るが、大人しく勉強していれば危険なんてないはず。酔って暴れ回るような奴らがいる下町なんかと違って、安心安全な世界である。  そう考えていると、今度は貴族令息たちも集まってきた。 「高位貴族だからこそ、やってはいけないことがある」 「下々の者も平等に学ぶことが出来るのが、この王立学園ニーラサだ」 「はあ、ありがとうございます?」  こちらも口々に何か言いながら、ルーファスから僕を守るように周囲に群がってくる。下々とは僕のことなんだろう。口では平等と言いながらも、滲み出る通わせてあげてる感がすごい。これが普通の貴族令息なんだろうな。 「孤児とはいえ、学園の生徒に害意を持つなど、貴族令息として、この学園の一生徒として許せん」 「あのぅ、一体なにを仰っているんですか?」 「もう黙っている必要はないんだ。きみが侯爵令息に虐められていることは、みんな知っている」 「誤解ですよ。僕は……」 「庇う必要なんてありませんわ」 「あなたを突き落とす場面を見たという方がいらっしゃるの。それにわたくしたちが力になりますわ」  へえ、僕を階段から落としたのが、ルーファスということになっているのか。そんな誤解は綺麗に解いておかないと。ルーファスとは違い、こいつらは口ばかりだ。 「力になるとおっしゃいますが、キンケイド侯爵家に反旗を翻すおつもりですか?」 「え、その……それは……」  ほらやっぱり、口先だけで守るといい、侯爵家に逆らうつもりなんてさらさらないのだ。 「それに心配されるようなことは、なに一つございません。キンケイド侯爵令息様は公平でとてもお優しい方です。それに僕が階段からは落ちたのは足を滑らせたからです」  きっぱりと言い返したら、なんだか変な雰囲気になった。 「なんで純粋で清らかな特待生なんだろう」 「まるで伝承にある光の妖精だ」 「悪役令息を庇うなんて、演劇の中のヒロインのようじゃないか」  勇者がその輝く容貌と、心根の美しさに宝剣であるエッケザックスに宿る光の妖精が力を貸してくれたという。伝承って尾鰭背鰭がついたものが多いし、それが本当かどうかなんて確かめるすべはないけれど、そう信じられていた。  僕の周りで騒ぎ出すクラスメートをルーファスが今にも蹴散らしそうな雰囲気だったが、王子や幼なじみたちが抑えてくれている。  感謝しかない。ルーファスの評判が落ちている時に、暴れたりしたらますます悪評が立つ。 「サッシャ君にも友達が出来るのは良いことだろ?」 「楽しくクラスメートとおしゃべりしているのを邪魔するのはまずいって」 「束縛男は嫌われるっていうのが定石だよ」 「……楽しくクラスメートと話している訳じゃないと思うけど、今ルーファスが暴走するのはまずい。サッシャ君がクラスメートの誤解を解いてくれるなら、任せておこう」  王子がそう言って、僕に小さく頷く。それを見たルーファスはローラントの目の前に手を差し出してその視線を遮った。 「まあ、なんてこと」 「第三王子殿下の視線を遮るくらい、嫉妬なさっているなんて」 「やはり婚約者たる方が原因ですのね」 「嫉妬とは醜い感情だ。貴族令息たるもの、常に平常心を持っておらねば」 「愛らしいガードナー君と比べて、あの方は顔は整っていらっしゃいますけど無表情でなにを考えているのかわかりませんものね。第三王子殿下のお気持ちもわかりますわ」  なに言ってんだこいつ、と思う。王子がルーファスに勿体ないんじゃない、王子にルーファスは勿体ないんだ! こんなに公平で優しくて人を大切にしてくれる人なんて滅多にいない。それも貴族令息なの平民の僕をだ。  ぎゅっと唇を噛み締めなければ、僕の方がクラスメートに暴言を吐いてしまいそうだった。その時ドアが開いて、担任のデューダーが入ってきた。 「おや、ガードナー君か。もう体は平気かい?」 「……はい、ご心配をおかけ致しまして申し訳ありません。すっかり元気になり、本日から登校いたしました」 「そうか良かった。ん? 何かあったのかい?」 「なんでもありません。皆様、授業が始まります。席に着きましょう」  僕はほんの少しホッとしながら、クラスメートを促し自分の席についた。  そして先ほどクラスメートたちが話していた内容について考える。あれは悪役令息のヒロイン(♂)虐めが発覚した時のイベントだ。でも今の僕はそんなこと望んでいない。もうルーファスに悪役令息なんてやって欲しくない。どうにかしてこの状況を打破しなければならないが、BLゲームのイベントの止め方なんて知らないから困ってしまう。ルーファスが悪役令息をやらないから、イベントが始まらないことは多々あったがそれを止めるとなるとどうすればいいのか途方に暮れた。 「ガードナー君、教科書六十三ページを読んで」 「……」 「ガードナー君、どうした?」 「え?」  いきなり名を呼ばれたような気がして、僕は急いで立ち上がる。 「はいっ?」 「……教科書六十三ページを読むんだよ」  隣の男爵令息がこっそり教えてくてたおかげで、僕は恥をかかなくてすんだ。目線で礼を言うと、僕は教科書を読み始める。  考えるより行動だ。僕は教科書を上の空で読みながらあることを決めていた。  授業が全て終わると、教室に残っている生徒はそんなにいない。みんな部活動や、友人らと放課後は過ごすのだろう。ほんの少しそれを羨ましいと思いながら、僕は鞄を持って目的の場所へ急ぐのが今までだった。 「まあ、ガードナー君は勤勉ですのね」 「勉学に励むのが特待生だが、それでも無理はいかんぞ無理は」 「僕は勉強が好きですし、本を読むことも好きなんです」  この世界の娯楽は少ない。前世ではインターネットの世界に入ればいくらでも時間を潰せたが、この世界では娯楽といえば本を読んだり観劇するくらいだ。買い物なんてお金のない僕には縁のないものだし、タダで借りれる図書館ほど今の僕にぴったりな娯楽はない。 「図書館とは静かにしなければならない場所だし、どうも苦手で……」 「好みの恋愛小説本ならわたくしいくつか所持しておりましてよ。ガードナー君はどのような書物をお読みになりますの?」 「主に経済について、でしょうか。各地の特産品や主要穀物の生産量の推移や、天候、貿易など多岐に渡りますね」  僕は王城での文官を狙っている。今は孤児だけど、この学園を卒業してちゃんとした職につき、いつか自力で生活するのが目標だ。その為には知識をこれでもかと詰め込まなければならない。その間に恋も出来たら良かったのだろうが、そっちは諦め始めていた。 「まあ、本当にガードナー君は……」  言葉が途中で止まったクラスメートたちは、虚ろな目をして黙ってしまった。 「あの……?」  どうかしたのかと聞く前に、クラスメートたちは全員図書館から出て行ってしまった。一体なんだったんだ? 急に用でも思い出したのだろうか。でもまあいい。僕は書籍を探して図書館を彷徨きまわる。司書に聞けばすぐに置いてある場所はわかるのだろうが、こうやって歩きながら探していると思いがけない出会いがあるから、僕はひとりで本を探す。顔を上げて壁一面にある本の背表紙を一つ一つ眺める。気になるタイトルがあれば手に取って、中を開いた。前世でも本屋に行ったことはない。全て家庭教師か父親の部下が来たときに頼むか、携帯端末を渡された時からは通販を使っていた。  今考えれば前世の僕は、金銭的には恵まれていたのだろうと思う。 「ひとりぼっちだったけどね……」 「独り言?」  急に声をかけられて僕は飛び上がるほど驚く。バクバクと煩い音を立てる心臓を手に持った本で押さえて、僕は振り返る。 「ナイジェル様、脅かさないでください」 「やあ、サッシャ」  僕の苦言は綺麗に無視したナイジェルは、優雅な動きです僕の隣に立つ。背が高くこの国にはいない肌色をしたナイジェルはにこやかな微笑みを浮かべているが、目が全く笑っていないように思えた。いつもはだらしない上級生としか思わないのに、ぞくっとした感覚が背後から忍び寄ってくる。 「どうかした?」 「いえ、ナイジェル様は今日ちゃんと学園に来られたと思っていただけです」 「ああ、きみがいっつも口煩く言うからね」  僕がなにも言わなくてもきちんと登校すれば良いのにと思いながら、そんなに口煩く言っていただろうかと反省する。この学園で平和に過ごす為には人畜無害な人物を演じなければならない。自重しなきゃと思っていると、それに気づいたようにナイジェルは小さく笑った。 「冗談だよ。サッシャにはいつも感謝してる。口煩く言われなきゃ俺は部屋に閉じこもって出てこないよ」 「はあ……あの、何かご用があったのでは?」  図書館なのであまり大っぴらに会話をしていると司書に怒られてしまう。ここは奥まった場所だからそれほど目立たないが、先ほどまでクラスメートと一緒にいた入り口あたりでは司書の目が怖かった。  周囲を見渡しても人影はないが、図書館に来ている人の邪魔はしたくない。 「うーん、用ね。そうだね、ねえ、サッシャは王子狙い?」  いきなり核心をついた問いかけに僕は思考が停止して、何も答えられない。  すっと顔を近づけてくるナイジェルに、思わずびくんと体が反応した。 「無言ってことは正解かあ。でも、それならなんで王子の婚約者であるルーファス・キンケイドと一緒にいるの? あれ、ライバルでしょ。婚約者なんだし」 「それ、は……」 「まあ、あんな無表情で面白みもない婚約者なら第三王子も可哀想だし、自分の方が相応しいって思うか」 「そんなことない! ルーファスはすごく格好良いし、優しくて頼り甲斐があるし。無表情なんてとんでもない! いつだって拗ねたり心配したり笑ってくれたり、いっぱい表情を持ってる。あんたが知らないだけだ!」  カッとして叫んでしまった。大声が聞こえたら怒った司書がやってくるかもしれない。僕は慌てて口を手で押さえ、どうしようと震えてしまう。 「へえ」  ナイジェルの声に、孤児の分際で言い過ぎてしまったことに気づく。 「あの、……いえ、申し訳ありません。ナイジェル様」  隣国からの特待生と聞いているが、ナイジェルの所作は平民のそれじゃない。気品に満ちているし、隠しきれない高貴さがある。 「いいよ。そうか、サッシャは王子だけじゃなくて、ルーファス・キンケイドも狙ってるの。へえ、面白いね。まあ、あの二人は婚約者同士だからどちらかを落とせば良いって考えかな?」 「ちが……っ」  違うと言う前にナイジェルは僕の目線に合わせて薄く笑う。 「違わないよ。婚約破棄なんてことになれば、きみは両方手に入れられるってことか。顔に似合わずえぐいこと考えるねえ」  ナイジェルの言葉が刃となって僕の胸を切り裂いているようだった。体の震えが止まらず、ガタガタと揺れてしまう。僕はそんなこと考えていなかった。でも少し考えればわかるはずだった。  悪役令息なんて噂が立てば、これまでルーファスが積み上げてきた輝かしい経歴に傷を残すことになる。 「どちらを選ぶのか早めに決めた方が良いのでは? 移り気な恋なんてどちらも手に入らないのが世の常だよ」  どちらを選ぶなんて言うまでもない。でも僕はそれをルーファスにだけは言えない。王子と恋すると言っておきながら、ルーファスを好きになってしまったなんて、口が裂けたって言えない。ルーファスは僕が王子と恋するために、自分の評判を落とすようなこともやってくれた。 「よーく考えて、ね?」  僕は何も言い返せなかった。恋すると言っていたのは王子だが、僕が惹かれたのは、恋をしたいと、恋してしまったのは誰なのかナイジェルに見透かされた気がした。 「さて、俺の借りたい本は見つけたから帰るね。サッシャも早く寮に帰った方がいいよ。暗くなると、危ないからね」  サッシャが抱きしめている本を抜き取ると、ナイジェルは去って行く。僕は振り返って見送ることも出来ず、じっと図書館の床を見つめる。 「はっ……」  息を吐き出し手のひらをギュッと握りしめる。力なく図書館に備えてあるテーブルの椅子に座り込む。  まだ震えの止まらない手のひらを見て、両手を白くなるほど組んで絡めた。  今日のことでようやく自覚した、僕はルーファスの迷惑になることしかしていない。恋なんて僕にはする資格がなかったのだ。 *** 「サッシャ」  名前を呼ばれてびくりと反応する。僕はそろそろと振り返りその相手がルーファスだったことに安堵する。 「ルーファス……じゃなかった、キンケイド侯爵令息様」  その名で呼べばルーファスがほんの少しだけ嫌そうな顔をするのも見慣れた。でもここはまだ学園内だし、誰が見ているかわからないから仕方ない。寮の部屋の中だけは自由に話すことが出来た。 「どうかしたのか?」 「何がでしょうか?」  ルーファスは本当に鋭い。その青い空色の瞳は何も見逃さない。けれど僕はなんのこと? というように、首を傾げる。 「顔色か悪い。やはり無理して登校したのが良くなかったかもしれないな」  頬に手を伸ばしたルーファスはそう言って、また眉間に皺を寄せる。美貌には大した影響はないけれど、それでもルーファスにそんな顔をさせたくない。 「ルーファスこそ、眉間に皺が出来てるよ」  背の高いルーファスの顔に届くように背伸びすれば、体を曲げて顔を近づけてくれた。  行動がイケメン過ぎる! 僕は内心嬉しいやらムッとするやら忙しかった。だってこの行動は僕じゃなくても誰にでもしてあげることだ。ルーファスはとても優しいから。 「あのさ、ルーファス」 「ん?」 「いつもこんな行動してたら、絶対誤解されるからね! 僕は大丈夫だけど、他の人にしたら一発で相手はルーファスに恋するから気をつけた方が良いよ!」  僕は親切にもアドバイスしてあげた。だってこんな風に優しさを安売りしてたら、あっという間にルーファスの周りは恋する乙女だらけだ。ルーファスが浮気をしたり二股をかけたりするような人間じゃないとわかっているけれど、人の心は縛れない。よくよく言い聞かせておけば、そんな不幸な出来事が未然に防ぐことが出来るかもしれない。 「サッシャ、心配は無用だ」 「そおー?」 「誤解するような相手はいないし、誤解して欲しい相手は誤解してくれない」 「はー? なにそれ」  誤解して欲しい相手と、ルーファスは言った。ということは、ルーファスには恋する相手がいるということだ。もしかして、と希望が膨らんだが、それならルーファスが僕の悪役令息計画に乗るはずがない。  その好きな人の為にルーファスは僕の悪役令息計画に協力してくれたのだ。穏便に婚約者を降りることができれば、その人の手を取れるから。その事実に僕は自分でも驚くほど落ち込んでしまう。 「ルーファス、もう悪役令息なんてやらなくて良いよ!」 「え?」 「僕、恋なんてしたくなくなった! だからもう必要ない!」 「だが、サッシャ……」 「いらないったら、いらないの!」  ルーファスが好きな人と並んで歩いている姿なんて見たくない。王子との婚約が解消されない限りルーファスの恋は進まないだろう。  自分の都合でルーファスを振り回すことに吐き気がする。 「本当にいらないから!」  僕は逃げるようにルーファスを置いてそこから走り出す。  ルーファスが恋した相手とはいったい誰だろう。僕はルーファスみたいに喜んで協力なんて出来そうもない。あんなに僕を大切にしてくれたルーファスを、僕は裏切ってしまったような気持ちになる。 「僕は全然ヒロイン(♂)じゃないよ……」  ヒロイン(♂)とは天真爛漫できゃるるんで、優しくて人の為に、努力を惜しまない。そんなヒロイン(♂)なのに、全然違う。僕は自分のことばっかりだ。  落ち込んだ僕は、また食事を抜き、ルーファスに部屋まで夕食を持ってこられ、明日は休みだと脅されるのだった。

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