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18話 悪役令息の恋は断罪の後に

 僕は外に出て驚いてしまう。ここは、学園の寮だ。建物の地下にあの牢獄があり、僕はそこに閉じ込められていた。僕はずっと後になって聞いたのだがここは昔生徒の反省室だったとのことだった。今は使われなくなって忘れ去られた牢屋だ。  その牢屋を出て、ギシギシと軋む階段を上がり、寮の古びた物置部屋の床板が上がった。窓に走りより、外を見れば真っ暗だった。寮の中は静まり返っていて、誰もいないように思えた。学園の方には煌々と灯りが灯っていてハッとする。窓を開けると風に乗って小さく音楽まで聞こえてきた。 「ダンスパーティー!」  ルーファスが作ってくれた衣装を思い出すが、それに着替えている暇なんてない。僕は廊下に飛び出し、寮の玄関を出て学園に走った。寮の留守を守る管理人が驚いた顔をしていたが、構っていられなかった。  僕は何度もルーファスに助けられた。欲しい時に欲しい言葉をくれたのは、ルーファスだけだった。  今、ルーファスの元に行かなければ、いつ行くと言うんだ。必死で走っても足の遅い僕では、学園に着くまでに息切れして走る足が止まってしまう。  くそ、今後なにかあった時のために明日からランニングして体力をつけなければならない。勉強ばかりして頭でっかちの人間なんて今はいらないのだ。 「待ってろ、ルーファス!」  よろよろしながら走れば、目の前に白いなにかがふわりと広がった。それが人の形を取り、すらりと剣を抜く。 「あの、ひきょーもんが!」  牢獄を出たことを知ったナイジェルが、追っ手を放ったのだろう。僕はいらないと言ってしまったが、恥も外聞もなく頼ることにした。 「エッケザックス――っ!」 「はいよ――っ!」  軽いノリで出てきたエッケザックスは、僕の手にしっくり馴染む。意識せずに体が動き、白装束の男たちを一刀両断する。 「なにこれ、こっわ! 僕、人殺しになっちゃった!?」 「随分よゆーそーだな! あれは人じゃねーから安心しな。オメーはまだきれーな体だよ!」 「言い方が、卑猥!」 「あっはっはっ! 長く剣なんてやってると、娯楽がほしーんだよ」  何も知らない相手が聞けば呑気な会話をエッケザックスとしながら、僕は剣を振るう。重さも感じずただ自由に体が動き、白装束の男を屠っていく。全て切り捨てたら、破れた白い紙片になってしまった。 「魔術?」 「そーだな。ただ、普通魔術は紙に書かない。あれは変則的な魔術だろーな」 「へー……って、そんなこと話してる暇なかった!」  僕はまた邪魔者が出てくるかもしれないと思い、エッケザックスを持ったまま走り出す。  急げ、急げ、今度は僕がルーファスを守るんだ。講堂の出入口には王城から派遣された警備が立つ。王族である王子が参加するからだ。その警備も驚いたように薄汚い格好で走ってくる僕を見て、中に入るのを止めようとする。 「どけ! この剣はエッケザックス、魂までも滅するぞ!」  そう叫べば、エッケザックスは大盤振る舞いだと言わんばかりに光を放ってくれた。警備についていた騎士たちはその光の眩さに一瞬体が硬直する。それを見逃さず僕はダンスパーティーの会場である講堂へ飛び込んだ。  土で汚れた手も、顔も、服もそのままで、僕はダンスパーティー会場に駆け入る。マナーも何もかも忘れて断罪会場となる講堂のドアを乱暴に開くと、バターン! という大きな音が小さな音楽が鳴っていた会場中に響く。そこには色とりどりのドレスとタキシードを纏った紳士淑女が揃っていた。壇上には王子がいて、その周囲には幼なじみたちが守るように立っている。王子のすぐ近く、その場所はヒロイン(♂)が立つべき場所ではと思われるところに、フードを被った長身の男もいるが誰かわからない。  そして一人ポツンと離れて、ルーファスが立っていた。今まさに断罪式が始まろうとしている瞬間だ。  僕は、すうっと大きく息を吸い込む。 「ちょっと待ったぁ――!」  荒い息を吐きながら、僕はルーファスに近づいていく。間に合ったのか間に合わなかったのかわからないが、ルーファスを一人でなんていさせられない。 「ルーファス、お待たせ!」  呆然と僕を見ていたルーファスに、にやっと笑ってやれば、弾かれたように腕を伸ばされた。強い力でぎゅうっと抱きしめられる。 「無事で良かった……」 「わ、ルーファス、ダメだよ。僕、汚いんだ」  ずっとお風呂に入ってなかったし、牢獄にあった硬いベッドは腐っていて変な匂いがしたから、地べたに寝転がっていたのだ。  綺麗なところを探すのが大変なくらい、僕は汚れている。タキシードを着て、美しく着飾っているルーファスに触れることすら躊躇うような汚さだ。 「サッシャは汚くない。いつも、いつだって誰より綺麗だ」 「ルーファス……それ、好きな子に言いなよ。僕に言ってもさ、僕が勘違いするだけだから、無駄になるよ」  ルーファスは優しいから僕が汚れて酷い匂いをさせていても、綺麗だと言ってくれる。でも勘違いしそうになるから、やめて欲しかった。 「……サッシャに言ったら無駄にならないが?」 「だからさー、さっきも言ったけど、そーゆーことは好きな子に言うの。僕だってそれくらいは知ってるんだぞ!」  察しの悪いルーファスに、僕は教えるように続ければ信じられない言葉が返ってきた。恋を自覚したばかりの僕に優しくすると、勘違いしそうになってそれを止めるのも一苦労なのだ。 「だから、好きな子に言ってる」 「……え?」 「好きな子に言ってる」  ルーファスはじっと僕を見つめて、「好きな子」と言った。突然、エッケザックスの言葉が蘇る。 『あいつはオメーに恋してる』  ボッと音がするほど顔が赤くなるのを感じる。 「あ、あわわ、す、好きな子?」  僕が? と言うように首を傾げれば、ルーファスは微笑みながら頷いてくれた。 「サッシャが好きだ」 「!」  僕がルーファスの好きな子だった。脳内では大騒ぎだ。  これは夢じゃないかと、ぎゅっと手を握れば手のひらにエッケザックスの柄を感じる。その存在を忘れていたが、もう自分が持っている必要はないだろう。 「あ、エッケザックスが僕んとこに来たんだけど。返すね」  握っていた剣をそのまま返そうとするが、ルーファスは困ったような表情を浮かべて受け取らない。 「ルーファスの剣でしょ?」 「違う。今はサッシャが保有者だ」 「えー、僕剣とか出来ないし、危ないからルーファスに持ってて欲しいんだけど」  なんとか受け取って貰おうとしていると、ぞくっとするような感覚が襲ってくる。同時に白装束の男たちが一気に現れ、ダンスパーティー会場は悲鳴に包まれる。 「衛兵っ! なにをしている、捕縛しろ!」  壇上から王子が指示を出し、中に衛兵が入ってくる。ルーファスは僕を背後に押しやると、襲いかかってきた男たちを長い足で蹴り飛ばす。正装をしている今、ルーファスは武器を持っていないのだ。 「ルーファス、これ使って!」  持っていたエッケザックスを差し出せば、今度は受け取ってくれた。再度向かってくる白装束の男たちを一瞬で斬り伏せる。 「かっこいい……っ!」  やっぱりルーファスはかっこいいし、ものすごく強い。エッケザックスが似合うのはルーファスの方だと改めて思う。 「ルーファス、もしかしてもう断罪された?」 「いや、まだだ」 「そっか、良かった!」  ナイジェルはどこにいるのだろうと探すが、近くにはいないようだ。あの長身だから、簡単に見つかると思っていたが、人が多すぎてわからない。  白装束の男たちはルーファスが切り伏せた者は白い紙片になり、衛兵が向かった方はひらりひらりと逃げ回っている。狙いはルーファスと言わんばかりだ。  ルーファスはその全てを切り伏せて、エッケザックスを僕に返す。 「えーっと、それはルーファスにあげるよ」  受け取りたくなくてそう言えば、ルーファスはまた困った顔をする。 「サッシャの願いは叶えてやりたいが、光の妖精が決めたことを覆すことは出来ない」 「誰にも?」 「誰にも」 「もー、エッケザックス、我が儘だよ!」  エッケザックスから笑い声が伝わってくるような気がした。人の多いここでは言葉を出すことがないのは、人に知られたくないのかもしれない。 「じゃあ、預かるけど、僕本当に剣なんて使えないから、使う時はルーファスね」 「ああ。サッシャを守るためだけに使う」  するり……とエッケザックスが僕の中に入っていく。胸の辺りで光が弾けて消えてしまった。 「見てください、あの光景を。この国の国宝、エッケザックスにすら捨てられた悪役令息ルーファス・キンケイドをこのままにしてはいけません」  朗々と響く声が僕のルーファスを貶していることがわかった。壇上にいるフードの男、あいつは敵だ。 「あなたの婚約者でありながら、非道な行いを繰り返す悪役令息にその立場は不相応だ。この国に留学させていただいている生徒からもその噂は聞き及んでおります。身分の違う者同士での交流を目的とした昼食会で下民はあなたに近づくなと脅したり」  はい、僕が教えた悪役令息の例ですね! とっても上手にルーファスは出来ていました。 「使い込んだハンカチを不浄と呼んだり」  ええ、それはネズミの死骸であって、僕のハンカチをそう呼んだわけでは。ああ、でもちゃんと周囲には悪役令息として映っていたんだと思うと感無量だ。  ルーファスと僕の努力は実っている。 「平民といえどこの学園の生徒の一人である彼を講堂の階段から突き落とすなど、貴族令息としても婚約者としても相応しくありません」 「僕を落としたのは、さっき出た白い装束の男たちと同じものだけど」 「サッシャ、本当か?」  ルーファスが聞いてきて、僕はしっかり頷く。 「うん。あの時は言えなかったけど、はっきり見えたよ。真っ白な紙みたいに平べったいものが僕を突き落としたんだ。ルーファスは落ちた僕を助けてくれただけなんだ。それにこの話は僕が捕まってた時に、真犯人のナイジェルが話していたことだから間違いないよ」  僕がはっきり告げれば、壇上のフードの男は笑いながら答えた。 「ナイジェル? 彼は我が国からこちらに留学している優秀な生徒のはず。ああそうか、きみはそこにいる彼にそう言うように脅されているんだね。大丈夫、私がちゃんと助けてあげるから、そこで黙って見ていなさい」  フードを取った男が顔を見せると、ハッとする。全く似ていないが、その笑い方は見覚えがあった。 「ナイジェル……! 僕を階段から突き落としたのはこいつだよ。僕は今までこいつに捕まってて、そこから逃げてきたんだ。その時に自分からそう言ったんだから間違いない!」 「サッシャ君、その話は本当かい? この方はナライジェラード・ヴィンセント・マーシャル殿下、この国に留学している生徒のためにはるばる来られた、隣国の第一王子殿下だ。留学生からも話を聞き、今日のダンスパーティーに参加されている」 「ローラント第三王子殿下、僕を寮の地下にある牢獄に閉じ込めて出れないようにしたのは間違いなくナイジェルです」 「我が国の優秀な生徒に罪を着せるのか? 脅されているとはいえ、それは見過ごせないな」  ナライジェラードがそう言うと、遠巻きに見ていた生徒たちも騒ぎ出す。 「うるせ――――っ! 落とされた僕が言うんだから、間違いねーよ! それに他の奴らはその現場を見てもねーくせに、つべこべ言うんじゃねー! それにな、ルーファスはこの僕が育てた僕の悪役令息だ。こんな断罪なんて無効だ――っ!」  僕の怒鳴り声に驚いたのは、講堂はしん……と静まり返る。 「ルーファスを悪役令息にしたのはこの僕だ! 僕が頼んで演技をして貰った。それまでのルーファスはみんなが知ってる通り、公平で優秀で、非の打ち所がない貴族令息だったはずだ。優しいルーファスは僕の願いを聞いただけだ。全部、僕の所為だ。全部、僕が悪い!」 「サッシャ君、言っちゃった……」 「あーあ、ルーファスに罪を着せて知らんぷりも出来たのに、不器用な子だなあ」 「それより、サッシャ君を攫ったのは隣国の人間だと。それについて、釈明をいただきたい」  タルベットが逃げ道を塞ぐように前に出ると、ナライジェラードはゆっくりと壇上を下り、僕の近くにやってくる。 「ローラントとルーファスの婚約は破棄した方がきみに都合が良かったんじゃないの?」  足元に紙片が落ちるとナライジェラードはそう話しかけてきた。 「ああ、大丈夫。半径一メートル以内しか話し声は聞こえないからね。内緒話をするにはぴったりの魔術だろう?」  王子と幼なじみたちも壇上を降りて、ルーファスを守るように優位に立つ。 「あんた本当に魔術師?」  先に準備しておかないと使えない紙片で使う魔術はどこか歪に思えた。まるで魔術を使えない人間のために作り出されたようだ。 「魔術師ではないかな。僕は魔力がないからね。でもこうやって紙片を使えばなんとかなる」 「ふーん。それで王子とルーファスの婚約だけど、別にいいよそのままで。ルーファスの名前に傷がつくくらいなら、このまんまでもいい。僕はこれ以上ルーファスを傷つけたくない」  悪役令息なんて噂が広まり、どれだけルーファスに迷惑をかけただろう。これ以上ルーファスの名前に傷なんてつけたくない。それに好きだと言ってもらえた。それだけで僕は満足だ。  恋が、できたのだから。 「あんたさ、王子が好きなら、そう言うだけで良かったんだ。僕も同じ、恋がしたかったなら、実際に出会って誰かを好きになれば良かったんだ。絶対に両思いになれるゲームの中の王子じゃなくて、現実の相手を自分で見つけるべきだった」 「婚約者のいる相手に好きだと告げるなんて、そんな不誠実なことが出来るとでも? 出来損ないとはいえ、俺は隣国の王族だ」 「出来損ないだろうが、王族だろうが、好きになった相手に好きって言うくらい、神様は許してくれるよ。変な魔術使って人の気持ち操ったり、ライバルを攫うよりよっぽど平和だし、ロマンティックだろ」 「ロマンティック?」 「うん。だってさあ、誰かに好きって言ってもらえるのものすごく嬉しいよ。僕初めて言われた。嬉しくてたまらない。幸せでたまらない。少し、ほんのすこーし欲が出て、この人のこと全部欲しいなって思うけど、そんなの好きって言われた嬉しさで押さえつけて我慢する。僕を好きって言ってくれたルーファスが一番幸せになってほしい。そこに僕がいなくても、幸せに生きて欲しい」  僕はいつだって不幸せだと思っていた。病弱で学校も通えず、家族も友だちもいない。それでも少しの間だけでも生きていられたのは、病院の先生や看護師さんたちがいてくれたからだ。仕事だったとしても家庭教師の先生も親身になってくれた。  生まれ変わった今、健康な体を手に入れて、学校にも通える。  恋だって出来た。好きな人に好きだと言ってもらえる幸運なんてそう滅多にないはずだ。  これが幸せというものだろう。ルーファスが他の人を好きになっても、他の人と結婚したとしても、この今の幸せを僕は決して忘れない。 「じゃあ、好きだと伝えても返して貰えない時はどうすればいい?」  奪うしかないのではないかと、その眼差しは言っていたけれど、僕は首を横に振る。 「それはとても辛いし、悲しいことだ。でも、想いを返して貰えることなんて滅多にない奇跡みたいなものだから、返されない思いはたくさんあると思う。でもさ、だからって好きな人を脅すの? 好きになれって? そんなの、好きになって貰えるわけないじゃん」  国力の違う隣国とニーラサでは、戦争になればあっという間に我が国は蹂躙されて終わるだろう。魔術を駆使して戦う隣国に対抗する術はこの国にはない。  学術に特化して港があるから交易の要となる国だけれど、大国から見れば小さな小国だ。 「わたしはナライジェラード殿下の求婚を受け、ルーファスとの婚約を解消する」 「え? な、なんで……」 「わたしの結婚は国の為なんだよ。そこに愛は必要ない。わたしはルーファスとの婚約は解消したい。あなたからの求婚は議会や貴族たちを黙らせるのにちょうどいいんです。あなたもそれがわかっているから、わたしに教えているのでしょう? この場を、この断罪劇を納めるにはそうするしかないとわたしが思いつくように」 「それは……」 「でもわたしはあなたを好きにはならない。この結婚に愛は必要ないから。ああ、ただ一つだけ。浮気して他に子供が出来たらすぐに教えてください。その方を迎え入れる準備をいたしますから」 「王子、なんでそんなこと……っ」 「ごめんね、サッシャ君。きみの……、きみの新しい身分はタルベットかリースかアンドリューの弟になる」 「は?」  新しい身分と言われてわけがわからない。 「えっと、それは……」 「ルーファスと結婚するためには、最低限貴族位が必要なんだ。どこかに養子に入って貰わないといけない。今、その先を選定しているんだ」 「えっと?」 「恋した相手と結ばれる二人を、わたしに見せてくれないか?」 「え、いや、え? む、結ばれる?」  僕はそんなこと考えていなかった。ただ、この学園にいる間は、ルーファスと共に過ごせればそれで十分だったのだ。なんでそれが養子先の話になるのだろう。 「きみにはこの先、少し不自由にさせるかもしれない。それでもきっとルーファスが守ってくれる。さっきみたいに、きみがルーファスを守っていくのかもしれない。そんな二人が見たいとわたしは思ってるんだ」 「えーっと、僕たち結婚することになるの?」  ルーファスを見上げれば、プロポーズはもう少し先にする予定だと囁かれた。 「するんだ。僕、結婚、しちゃうんだ」  おめでとさん! となんだかエッケザックスが言ってるな気がした。そして僕が僕の生まれを知るのはもう少し先になる。 「でも、その前に!」 「おや、俺に何か用か? 幸せの絶頂じゃないのか」 「そうだね。僕はとーっても幸せだ。でも、一つだけやり残したことがある。歯ぁ、食いしばれっ!」  僕は渾身の力で、ナライジェラードの腹に拳を叩きつけた。ヘナチョコパンチだけど、僕だってやる時はやる。 「……っ! 歯を食いしばれと言われたら、顔に来ると思うだろう、普通」 「なら、次は腹筋に力を入れておけ」  腹を押さえていたナライジェラードの顔を、ルーファスの拳が殴りつける。  吹っ飛んでいく体が床をバウンドして止まった。 「あ、王子……外交問題とかにならない?」 「自分で転んだことにしよう。見ていたのはわたしたちだけだ」  落ちている紙片を拾えば、シュッと視界は開けたようになる。 「衛兵、隣国の第一王子殿下が|自《・》|身《・》で転ばれた。部屋に運ぶように」 「はっ」  どう見ても殴られた跡のある顔を見ないようにしながら、衛兵がナライジェラードを運んで行った。  こうして断罪式は無事終わり、ルーファスと王子の婚約は解消され、新たに隣国の王子との婚約が結ばれたのだった。  ダンスパーティーはお開きになり、僕はルーファスに抱え上げられて寮の部屋に運ばれた。本当はキンケイド公爵家の本邸へ連れて行かれそうになったが、手が痛いと言えばすぐさま行き先を変更されてここに医師が呼ばれて手当をされた。 「指先が……」  包帯が巻かれた僕の指先を手に取ったルーファスが、悲しげに呟く。医師が来るまでにお風呂に入れたのでさっぱりした気分だ。なぜか僕の部屋ではなく、ルーファスの部屋に連れて行かれたし、体も髪もルーファスに洗われたが指も痛いし疲れすぎていて任せてしまった。  ソファーに腰掛けている僕の膝に手を置いてくれたルーファスは、小さな小瓶を出してくる。数日間捕えられてボロボロになった肌に優しく塗り込んでくれる。 「あのさ、ルーファス」  ちゃんと話をしないと、と思って名前を呼ぶが、別のことで逸らされる。 「腹が減ったか? ろくに食べてないと医師が言っていたから粥を作って貰っている」  テーブルに置かれたクローシュを取ると、その中にはとろりと煮込まれたパン粥が入っている。食器とスプーンを手に取ったルーファスはそれを掬って食べさせてくれた。  温かくて美味しくて僕はパクパク食べてしまう。そしてルーファスにアーンとされていることを失念していた。最後の一口を口にして満足したあと、お茶を貰って飲んでいると唐突に気づいてしまう。 「違う! こんなことしてる場合じゃなかった!」 「サッシャがやることは、安静にして眠ることだ」  それ以外は許さないとばかりに、ルーファスは僕を抱えあげて隣の寝室に連れて行かれる。 「え、む、結ばれるってやつ、もうやるの?」  もう少し待って欲しい。まだ情報が足りない。お尻の穴を使うことくらいは知っているが、僕は前世自慰もしたことがなかった。実は今もない。  どうすればいいのかわからないし、夜は勉強に忙しくてそんな気にならなかったからだ。 「ま、待って、ルーファス、僕は……」  ちゃんと調べてから物事には取り組みたいタイプなんだ。 「待たない。サッシャは休むべきだ」 「は?」 「ちゃんと休むまでここにいる」 「あー、そっちか~~、また僕勘違いしてた~~!」 「勘違いでもない。サッシャが健康になったら、俺がどれだけサッシャを好きなのか、愛しているのか教えたい」 「うぐっ」  色気たっぷりにそう囁かれて、ドキドキする。でも、真綿に包まれるようにベッドに降ろされ、シーツを引き上げられたら、安心してしまった。額にキスされて、目を閉じたら意識がすうっと落ちていく。もっと話したいことがいっぱいあったのに、全然話せなかった。  もっといっぱい、僕の気持ちをルーファスに伝えて、悪役令息なんてものにしてごめんと謝って、この胸から溢れるほどの好きを言葉にしたかった。  それなのに、僕は睡魔に襲われて、ろくに口が回らない。 「ル……、き」 「うん。サッシャ、俺も好きだ」  唇にもキスを貰ったら、僕は大満足して眠りに落ちた。後のことは、全部起きてから考えよう。大丈夫、僕はヒロイン(♂)だからね。絶対ルーファスを幸せにしてみせる。 「むにゃ……」  もう一度好きだと言いたかったが限界だったようだ。僕は温かいベッドの中で眠りに落ちていた。  ルーファスは眠るサッシャを見つめながら、小さくその名を呼ぶ。 「エッケザックス」  自分の中にはいない存在を呼んでも、普通は出てこない。光の妖精はエッケザックスの保有者にしか見えないからだ。けれどルーファスはその名を呼ぶ。 「……オメー、ほんとーにおもしれーやつになったなあ。前はオレが出せって言っても全然出さなかったくせに」  サッシャの中からするりと出てきた光の妖精、エッケザックスは面白そうにくすくす笑っている。けれどルーファスは氷のように冷たい眼差しを向けて口を開く。 「エセ魔術師の言っていたことは本当か?」 「エセ? あー? 階段から落としたってやつ? そーなんじゃねーの。サッシャは頭はいいかもしれねーが、単純で嘘なんてろくにつけねーだろ」 「殺す」 「……あー、まあいいじゃねーの。でも、半殺しくらいで許してやれば? これからあいつは好きな相手に政略結婚されて、恋なんてしない! って宣言されたんだ。慈悲を見せてやろうぜ」 「慈悲? あいつには必要ない」  階段から落ちた傷がやっと癒えたばかりだったのに、またサッシャの体には傷が出来ていた。聞けば牢の下の土を掘って逃げるつもりだったらしい。固い土を指で掘った所為で、サッシャの爪は割れ、指先は血まみれだった。  とても痛かったでしょうと医師が言っているのを聞いて、サッシャを閉じ込めたあいつを殺してしまおうと決めた。 「でもよう、サッシャはかなりのお人よしで、片思いの末にこんなことを仕出かしたあいつに同情的だったぜ。もし誰かに殺されたら泣くくらいはするんじゃないのか?」  確かに寮の先輩であり、図書館を教えてくれたナイジェルにサッシャは懐いているように思えた。殺してしまった方が後腐れがないが、サッシャが悲しむことはしたくない。 「半殺しか」 「そーそー。しばらく足腰立たないようにしてやれば、溜飲も下がるってもんだ。おまけでオレも協力してやろうか?」 「いらない」 「あーっはっはっは! ほんとーにオメーは面白くなったな。よっし、あいつは王城にいるらしいから、そっちに送ってやる。そんでもって、あいつの持ってる魔術の紙片も片っ端しから破ってやるからなー。存分に暴れてやれ!」  ルーファスの体は光に包まれ、その場から消えた。その後、王城でボロボロになった隣国の第一王子がいたとかなんとか、噂になっていた。  

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