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第2話
いつもは朝早く起きて牛や馬の世話をして、両親の農作業の手伝いをしている。仕事が終われば、村の半分を見渡すことができる丘に登り、そこにある小屋で空想に浸りながら物語を書くのが唯一の娯楽だ。いつか自分の書いた物語をいろいろな人に読んでもらえたらいいのにと願っている。
リコッタ村は平和で、少数の村人からなっている。普段は自分たちが作った農作物や牛から絞ったミルクなどを、街まで売りに行き生計を立てていた。季節は穏やかな春と日差しの強い夏、爽やかな風が吹く秋に厳しい冬という四季に分かれている。今は春と夏の間の季節で、気まぐれな天気によって突然の雷雨に見舞われることが多かった。
ステラは母親の持ってきたスープを口に運びながら、生きていてよかったと思う。そして妙な違和感が拭いきれなくて手を止めた。
(ステラって……僕の名前だよね。アナトリア王国もリコッタ村も、考えたのは……僕だ)
自分で考えた物語で出てくる国と村なのではないか? とそんな感覚だった。
(いや、この記憶は違う。僕がステラになる前の……記憶だ。この国も村も世界全部……考えたのは僕だった)
そのことに気がついて息が止まった。一体どうなっているのかと眉間に皺ができる。手に持っていたスプーンを器に戻し、それをサイドテーブルに置いた。
ステラは前世でハナクラタクミという男性で、今のステラと同じように小説を書くのが好きな、日々妄想に耽っているような人間だった。それが今は、自分が書いた小説の中で生きているなんてどういうことなのか。
(転生? 生まれ変わり? それにしたって……こんなことあるの?)
ステラは自分が前世で書いた物語を懸命に思い出していた。確かこんな話だ。
アナトリア王国の人々は平和に過ごしていた。しかし近年、離島に生息するドラゴンがセイルベース大陸にやってきては人を襲い、作物を荒らす事案が頻発し始めた。アナトリア王国のルシェフ騎士団は、国民を守るために街や村の警邏をし、ドラゴンと遭遇したときは追い払うか撃退している。
(そうだ、ドラゴンがリコッタ村を襲って、僕以外みんな……死んでしまうんじゃなかったか? そうだよ、確かそうだった。どうしよう、父さんも母さんも村のみんなも……死んじゃう! なんとかしなくちゃ!)
物語の初めから終わりまでがすべてはっきり思い出せたわけではない。断片的にポンポンと頭の中に映像が浮かんでくる。外に出て景色を見れば、もしかしたらもっと記憶が鮮明になるかもしれない。
そう思ったステラはベッドから出て立ち上がった。しかし想像以上に雷の衝撃ダメージが大きかったようで足元がふらつく。
「すぐに走ったりは……できそうにないな」
そう呟きながら部屋の扉を開けて廊下に出る。両親の姿は家になかった。ステラが目を覚ましてちゃんと自分自身や両親のことを覚えていて、会話ができることに安堵したのか、ステラにスープを作ったあと野良仕事へと出ていったのだろう。
雷に打たれてから丸二日寝ていたステラは、外の強い日差しに目を眩ませた。時間は昼過ぎ頃だろう。太陽がほぼ真上にある。ステラは村の中で特に人が集まる共同井戸のある場所へ足を向けた。そこにはいつも誰かしらがいるはずだ。
村の中を歩きながら、見慣れた風景なのにこれまで見てきた感じと違うことに、不思議な感覚を覚えていた。
共同井戸が見えてくると、そこには三人の女性がなにかを覗き込みながらキャッキャと声を上げて話している。ステラはその三人に近づいていく。すると一人がステラに気づいて振り返った。
「あら、ステラじゃない。もう平気なの? 雷に打たれたって聞いたわよ」
赤い髪の女性が聞いてくる。
「うん。もう大丈夫。ちなみに、雷に打たれてはいないよ。当たっていたらきっと僕は生きていない」
「そうよね。ステラはかわいい顔をしているし、それに傷がついたら大変よ」
かわいい、と言われてじんわりと頬が熱くなる。確かにステラは肌は色白で、村の男性の中では一番貧弱な見た目だろう。茶髪の癖毛で瞳も同じ薄茶だ。子供っぽい顔は好きじゃないし、その体型に見合った体力も気に入らない。かわいいと言われて恥ずかしくて頬が熱くなるのだ。しかし母親に言わせれば、この村のどの男性よりも美しく透明感があって、無骨さがないのが素敵なのだという。
「あんまりかわいいって言わないでよ。僕こう見えてもう二十五歳なんだから」
「あら、私よりも三つ上だったわね。すっかり忘れていたわ」
クスクスと女性は笑う。しかし他の二人はステラのことよりもう一人の彼女が持っているチラシに興味津々である。
「ねえ、さっきからなにを夢中で見ているの?」
ステラが聞くと、パッと顔を上げた一人の女性が、手に持っている紙をこちらに向けて見せてきた。中央には横を向いた女性の絵が描いてあり、その下には『絵画公開』と書かれてある。文字よりも気になったのは、手書きであろうその絵だった。
「それ……」
ステラは見せてくれた紙を指さして、口を開けたまま固まった。そこに描かれてある絵を知っている。大好きな人が描いたものだからだ。それがなぜこんな紙に描かれてあるのかわからない。
(これは、この絵は知ってる。やさしいタッチの繊細な線……)
ステラは全身に電流が走ったような感覚に身震いをする。まるで人形みたいに固まったステラを、彼女たちが不思議そうな顔で見つめていた。
「ステラ、あなたこの方を知らないなんてことないでしょう? だって、この一帯を収める領主様よ? 公爵で二つ名は流星の騎士!」
「流星の、騎士……」
「やだ、ステラったら」
なにも知らないのね、と言いたげな顔で彼女が話し始めた。流星の騎士という二つ名で、この辺りすべてを管理する領主、ラウール・バルヒエットが描いたものだということだ。
ラウールはルシェフ騎士団に所属し、さらには芸術にも長けていて、文武両道な上に容姿端麗ときているらしい。ラウールの説明をしてくれる彼女たちの瞳はキラキラ輝いていて、まるで恋でもしているかのようだ。
「そんなラウール様は、今回もご自分でお描きになられた絵を、私たちに見せてくださるのよ! 普段は入れない邸にお招きくださるなんて、心が広いにもほどがあるわ」
両手を胸の前で組み合わせ、瞳はうっとりさせ、その視線はどこを見ているのか虚ろな感じである。他の二人の女性も同じように口々にラウールがどれほど素敵なのかをステラに説いてくる。
「そ、そう、なんだ……」
あまりにものすごい勢いだったので、ステラは一歩二歩と後ろに下がる。そういえばこの地域の領主はラウール・バルヒエットだったことを思い出した。普段は会うこともないし、日常生活でそうそう耳にはしない名前だ。ルシェフ騎士団の活躍なら、街に出かけたときにたまに聞くくらいだ。実際、ステラはラウールには会ったことがない。
「で、領主様の邸へ行けばこの絵が見られて、ラウール様に会える、のかな?」
「会えるかどうかはわからないけれど、でも素敵な絵が見られることは確かね。去年も今と同じ時期に邸を開け放たれて、私たちをお招きくださったのよ。本当に寛大で素敵な方よね」
「ねえ、この日のために新しいドレスを新調すべき?」
「やだ、リベッタってば! そんなの当たり前でしょう?」
彼女たちの興奮は止まるところを知らないようだ。しかしステラもラウール邸に行くことになるだろう。
「確かめなくちゃ……」
ステラがこの絵を知っている理由を、ラウール邸に行き本人に聞かなければならない。記憶の中でとても大切な誰かと重なり、胸の中がざわついた。こんな経験は初めてである。
「この紙、他にもある?」
「ええ、あそこの掲示板にいくつも貼ってあるわ」
「そう、ありがとう」
彼女たちに礼を言ったステラは、掲示板のある方へと歩いていく。そこには彼女たちが見ていたのと同じ紙がいくつも貼ってあった。きっとステラが雷に打たれて眠っていた二日の間に、ここへ貼られたものなのだろう。それを一枚だけ手に取って、描かれてある絵を見つめた。
「ラウール・バルヒエット……」
名前を呟いたステラは、胸の辺りのシャツをギュッと掴んで、ざわめく心を必死に抑えるのだった。
その日、自宅の菜園で採れた野菜を収めるためにユングの街に来ていた。ユングの街はステラの住んでいるリコッタ村とは全く違う。家々は密集して建てられてあるし、石畳の道が途切れることなく続いている。その上を馬が馬車を引き軽快に蹄の音を立てながら駆け抜けていく。
街を歩く人々もステラの格好とは全く違う。足元がすっぽりと隠れるくらいの裾の長いドレスは赤や青、鮮やかな緑などで、髪を綺麗に結い上げた女性はみな小綺麗である。それは男性も同じだ。
そんな街中を物々しい装備で馬を乗りこなすルシェフ騎士団の一行が通っていく。どこかの村か街を警邏して帰ってきたのだろう。ステラは一団を見て緊張を走らせた。それはいつかリコッタ村も襲われることをステラは知っているからだ。
(どうすればリコッタ村のみんなを助けられるだろう。やっぱり、一人では無理だろうな。でもラウール様がもしも思っている人と同じなら……)
今日はラウール邸の一部が一般公開され、展示された絵画を見ることができる。ステラの目的は絵画もあったが、それを描いた本人に会うことだ。会って確かめたいことがある。ステラに会ってくれるかはわからないが、頼んでみようと思う。
ラウール邸に向かって歩いていると、背後から馬の甲高い嘶きが聞こえた。普通ではない鳴き声だったので振り返ると、馬車を引っ張った馬が興奮して我を見失い、こちらに向かって猛スピードで突っ込んでくるのが見えた。
「暴れ馬!?」
危ないから逃げなくてはと思ったとき、女の子が道の反対側に向かって飛び出した。このままでは馬に跳ねられてしまう。女の子は馬に気づいていないようで、真っ直ぐ向かい側へ走っていた。しかし馬の嘶きに気づいて、驚いた女の子は最悪なことにその場に立ち止まってしまう。瞬間的なことなのに、すべてスローモーションのように見えた。
「危ない!」
ステラは反射的に走り出し、女の子を自分の腕に抱きかかえるように庇った。もしステラに立派な筋肉と強靱な体があれば、女の子を抱えて脇に飛べただろう。でもそんな力はない。ただこの子を馬の衝撃から守るしかできないのだ。
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