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第19話

 怖い。  怖い。  怖い。 「春さん」  いつの間にか、陽色くんが隣に座っていた。  驚いたのに、声も出ない。ただ、口をパクパク開閉させていると、長い腕に抱き寄せられた。金の髪が鼻先を掠める。 「ごめん。ごめんなさい。落ち着いて、ゆっくり息をして。追い詰めたかったわけじゃないんだ」  ああ、陽色くんの体温だ。  掌が、背中を上下にゆっくり擦ってくれている。それに導かれて、促されるがままに、空気を吸って、吐いた。  耳鳴りがする。がんがん、頭が痛い。 「俺は、春さんに怒ってなんかいない。俺は、俺自身に怒ってるんだ。俺がもっと年上で、社会人で、もっと、ずっと大人だったら、春さんも俺を信じて打ち明けてくれたかなって、頼ってくれたかなって」 「そんな、こと、え?」 「春さん、俺、別れないからね。俺の春さんへの気持ちは変わっていないから。だから、お願いだから、別れるなんて言わないで」 「な、なん、で」 「春さんが、好きだからだよ」 「へ?」  よく、わからない。 「春さんが、好きだよ」 「ひ、いろくん。僕は、オ、オメガで。ずっと、嘘をついていて。仕事、なんて、本当は、バイトで食いつないでいただけだし、全然、年上なのに、何の経験もなくて」 「それなのに、無理して、頑張ってくれていたんでしょう。俺が、無理させちゃったんだよね。ごめんなさい」 「え、ち、ちが。僕が、ダメだから」 「春さんはさ、いつもいつも俺のことばっかり考えてくれてるみたいだけどさ。俺だって、同じくらい春さんのこと、想ってるんだよ」  さっきから、陽色くんは何を言ってるんだろう。  どういう意図があるんだろう。  なんで、こんなこと言ってくれるんだろう。 「春さんは、もっと自信を持っていい。もっと、自惚れていい。そうしてくれないなら、俺が、自惚れることにする」 「陽色、くん。僕、あの、何を、つまり、何をしたらいいの? ごめん、わからなくて」 「春さん、俺のこと、好きなんだよね?」  なんて言うのが正解なんだろう。正直に話していいんだろうか。言って、気持ち悪がられないだろうか。これ以上、嫌われないだろうか。  陽色くんの腕が強く僕を抱き寄せる。それに勇気づけられた。 「好き、ずっと、好き。離れても、好き」 「なら、」 「ずっと、一生の思い出。これまで、本当にありが」 「ああもう!」  陽色くんは、僕の身体を離すと、両肩へ手を置き、触れるだけのキスをくれた。 (え)  それから、立ち上がり、僕の手を引く。 「春さんは、もう、黙って、俺についてきたらいいよ。俺、春さんとずっと一緒にいるから。決めたから」 「え、っ、え?」 「信じられないなら、信じなくてももういい。いつかわかってくれたらそれでいい。それまで、っ、今度は俺が頑張るから!」 「で、も、え、んっ」  続く言葉を唇でふさがれる。 「お店出よう。立てる?」 「え、あ、う、うん。ごめん」  こんな人目がある場所で、オメガと抱き合っているなんて陽色くんの知人にでも知られたら、大変だ。恥をかかせてしまう。どこまでも気が回らない自分が嫌になる。そうでなくても、僕は。 (DVD)  そうか、これまで意識してこなかったけど、そういうことなんだ。オメガとして、映像を残されるっていうのは、不特定多数の人に見られるってことなんだ。  手を引かれるがままに、店の外に出る。支払いのことを思い出したのは、しばらくしてからだった。「あ、お金」と声をかけるも、陽色くんは、こちらに目線さえ寄越してくれなかった。  間違った、のだろうか。彼の眉間の皺がますます濃くなった。 「春さん」  勢いよく歩いていた陽色くんが突然足を止めた。  振り向き、僕の身体をまた腕の中に囲う。 「お願いだから、1人で突っ走らないで。俺にも頑張らせて。勝手に、いなくならないで」  初めて聞く、年下らしい弱々しい声に、戸惑う。  視界の中の肩が小刻みに揺れている。もしかしたら泣いてるのかもしれない。  どうにか慰めたくて、僕は陽色くんの背中にそっと手を回した。   (僕といても、いいことなんかないのに)  優しい優しい恋人が、ますます愛おしく感じた。 (悲しいな)

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