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第3話
「春さん、全然食べてないよね?」
「そんなことないよ」
持っていたトングで、網の上の肉を1枚ひっくり返し、自分の皿に移す。箸に持ち替えパクリと口に入れた。味がしない。とにかく咀嚼し胃に送り込む。柔らかい、ことだけはわかった。
「美味しいね。陽色くんは食べてる?」
「頂いてるよ。春さんがどんどんお皿に乗せるから」
「ははは、若者はたくさん食べないと。ご飯は? おかわりいる?」
「俺、そんなに食べる方じゃないよ。もう、太らせてどうする気?」
「どうもしないよ」
次の肉を網の上に乗せる。肉の種類なんかよくわからないから、注文は全部、陽色くんに任せてしまった。変じゃなかったかな。いや、「好きなもの頼んでね」の方が、大人な社会人ぽいような、気がする、は、ず。
映画も観ている最中に、何度か意識が飛んでしまった。なんとかストーリーは追えたけど、きっと気づいている。
(最悪だ)
がっかりしていないかな、呆れていないかな。
「春さん」
「え、あ、なに? っ」
手を、掴まれた。大げさに肩が跳ねる。持ったままのトングの先が震えている。陽色くんの薄い茶色の大きな瞳が僕をじっと見つめている。
心拍数が上がっていく。
陽色くんは、少しだけ首を傾げた。眉が八の字だ。
「どうも、しないの?」
一瞬、思考回路が真っ白になって、それから一気に暴走した。あがりそうになる悲鳴を必死で堪える。ああけど、きっと顔は真っ赤だ。
(か、かわいい。あ、いや、かっこいい。じゃなくて)
慌てて背もたれまで身を引き、首を左右に振る。
「しない! しないから、あ、安心、して」
「ふぅん」
陽色くんは僕から目線を反らし、姿勢を起こした。不満そうにも残念そうにも見える。怒ってる、ようにも見える。
(機嫌、損ねちゃった)
どう答えるのが正解だったんだろう。泣きそうになる。それをぐっと堪えて、鞄の中を探った。
「あの、これ、プレゼント。よかったら貰って、ほしい」
もうそろそろ限界だろう。1日頑張って、頑張りすぎて、きっとあちこちボロが出てるんだ。全部が露わになってしまう前にさよならした方がいい。
陽色くんは、目を瞬かせ、それから、僕の差し出した箱を受け取ってくれた。
「ありがとう」と微笑む姿にホッとする。
「開けてもいい?」
「あ、う、うん。気に入ってもらえるか、わからないけど」
「春さんからならなんでも嬉しいよ」
解かれていく包装に不安を覚えた。俯き、骨張った手の甲を見ながら、必死で自分を鼓舞する。
(大丈夫、大丈夫)
雑誌で人気のブランド調べて、店員さんに、陽色くんの年齢とか容姿を伝えて選んで貰ったんだから大丈夫なはず。大丈夫。
パカと箱の蓋が開けられた。
「え」と聞こえてきた声に顔が上げられない。
「陽色さん、いいの、これ。高かったんじゃ」
無言で頭を振る。
「嬉しい。好きなんだ、ここのブランド。けどなかなか手が出なくて。財布もちょうど変えたいなって思ってたから、ありがとう」
ようやく顔を上げられた。
選んでくれたのは店員さんだけど、陽色くんの姿を思い浮かべたら、確かに似合いそうって思って、それで購入を決めたお財布だった。
柄物はあんまり着ていない、黒とか白とか、カーキ色とか、落ち着いた色味の服が多いようだと伝えたら、勧められた。派手すぎない赤色の柔らかい革の長財布は、穏やかで優しい陽色くんのイメージに合っているし、コーディネートのアクセントにもなる、とのことだ。
「よかった。喜んでくれて」
いつの間にか強ばっていた肩の力が、ようやく抜けた。
「ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております」
トイレに行く振りをしてお会計を済ましておく。気を遣わせたくないし、支払う僕の使う財布の方はもうかなり年季が入っていてくたくたなので見られたくないというのもあった。
(終わった)
外はもう暗い。
名残惜しい気持ちと、笑顔で終わられたことへの安堵とがないまぜになって、どっと疲労感に襲われた。
もうすぐお別れかと思うと、もう寂しい。
けど、続けてすぐに会おうなんて言えない。楽しんでもらうだけのお金がない。
席に戻ると、陽色くんが、口角を上げ、プレゼントを眺めていた。本当に喜んでもらえたようだ。あれにして正解だった。
「陽色くん、明日は学校?」
「あ、おかえり。うん、――けど、午後からだから、午前中はゆっくりできるよ」
「そう、よかった。疲れたでしょ? 今日は付き合ってくれてありがとうね」
「え」
鞄を持ち、立ち上がった僕の前、陽色くんが勢いよく立ち上がった。
「っと」
突然目の前に長身の壁が現れたものだから、思わずのけぞりバランスを崩した僕の腰に陽色くんの手が回る。
「帰るの?」
「え、あ、うん。もう遅いし」
財布の中身も、僕の身体も限界だし。
「今日、誕生日だよ」
「う、うん。知ってる。それなのに、僕と過ごすことを選んでくれてありがとう」
「そうじゃなくて」
突然、店内の灯りが消えた。
店員さんがすぐに側に来てくれ、「今日誕生日のお客様がいらっしゃいますので、少しの間、ご協力下さい」と頭を下げ去って行く。
聞き覚えのある「ハッピバースディツーユー」の歌声とともに、暗い店内にろうそくの火が現れる。ケーキだ。
そこで、ハッとした。
(ケーキ)
というか、こういう演出をお店に頼んでサプライズを仕込んでおけばよかったんだ。今更気がついても遅い。
拍手を送りながら席に座る。再び店内に灯りがついた。
「ごめん、陽色くん。僕、き、気がつかなくて」
「春さん……、」
「ケーキ、食べに行こう! ごめん、僕、美味しいところわからなくて、どこか知ってる?」
「春さん……!」
何故だろう。陽色くんは、その場でがっくりうなだれていた。
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