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第7話

  「春さんはブラック企業に勤めてるの?」  随分と思い詰めた顔をしていたから、いよいよ別れを切り出されるのかと緊張していると、陽色くんの口から思いも寄らない言葉が出てきた。  『ブラック企業』、が、どういったものなのか咄嗟に思い浮かばず、返事をするまでに時間がかかった。 「ち、がうよ」  違う。違うだろう。そもそも『企業』なんて立派なものに勤めたことがない。「本当に?」、陽色くんの疑いのまなざしに慌てて首を横に振る。   「けど、いつも疲れてるし」  そう言って、指が、僕の頬に触れた。 「は、え、全然。疲れて、ない、よ」  汗、汗かいてたかも、陽色くんの手が、汚れる。けど、自分からは離れられないまま、固まる。周りの目線が気になる。変に思われてないだろうか。  ちらと周囲を伺うも、店員さんもお客さん達もそれぞれに忙しそうに走り回ったり歩き回ったりと、こちらに注意を向ける様子はない。  居酒屋、万歳。初めて来たけど、万歳。   「それ、無意識なの」 「え」 「手に、すり寄るの」 「わっ」 気がつかなかった。気がつかなかった。気がつかなかった。 勢いよく、身体を背もたれの方に引く。陽色くんは少し頬を膨らませた後、「言わなきゃよかった」と苦笑した。 「ご、ごめんね」 「なんで? 俺は嬉しいけど。もっと触っていたかったくらい」  これが、お酒、お酒の力か。  陽色くんが、いつもより機嫌がいい。いつもよりよく喋ってくれる。いつもより、なんとなく視線が色っぽい。かっこいい。どきどきする。  万歳、居酒屋、万歳。  僕はというとお酒の味も苦手で、何より抑制剤の効果が落ちるそうなので、お酒は飲んでいない。ずっと、ウーロン茶で乾杯をしている。  陽色くんが楽しそうで、僕も嬉しい。  何より、予定よりずっと早くに会えた。それが嬉しい。 「思っていたよりもずっと早く会えたから、よかった」  そう陽色くんが微笑む。同じことを考えてくれてたんだと、興奮する。思わず、声が上擦った。 「し、仕事が、いい感じ、で」  本当のことを言うわけにもいかず嘘を吐く。  いい仕事が見つかったんだ。少し不安だけど、契約金だといって、たくさんお金を貰えた。おかげで、こんなに早く、また、陽色くんに会うことができた。  雑誌で特集がされていたこのお店は、評判通り本当に美味しいし、幸せだ。  不安も怖さも、全部吹き飛ぶ。  やっぱり、陽色くんはすごい。 「無理しないでね、俺じゃ頼りないかもしれないけど、力になるよ」 「ありがとう」  いい1日だな。  今日は朝からずっと陽色くんと一緒だ。発情期の兆しもない。買い物して、ランチして、動物園に付き合ってくれて、夕飯もこうして一緒にいてくれている。  まるで普通の恋人同士みたいだ。   「告白、思い切ってしてよかった」 「どうしたの、突然」 「僕なんかの告白を、陽色くんが受けてくれるなんて思わなかったから。ありがとう」  昔、アルファがまだいた時代に、『運命の番』と呼ばれる存在があったらしい。出会った2人は自然と惹かれ合い、結ばれ、互いに心の底から満たされる。僕はずっとそういう存在を夢見ていた。  今はもうアルファはいない。オメガだけが、こそこそと生きている。だから、ありえない妄想だけど、もし、陽色くんがアルファで、僕の『運命の番』だったら素敵だな、って思う。 「僕と、付き合ってくれてありがとう」 「――本当にどうしたの、春さん」  僕のどこがよかったのかわからない。僕に時間を割いてくれることに何のメリットがあるのかもわからない。 「僕、頑張るか」 「いいよ。それ以上、頑張らなくても」  ふと我に返れば、陽色くんが怖い顔をしてこっちを見ていた。 (あ)  お酒を飲んでいたわけではない。けど、周囲の雰囲気に少し酔っていたみたいだ。 (何を、1人でペラペラと)  

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