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第8話

   青ざめる僕の方に手が伸びてくる。咄嗟に目を閉じ身構えるも、予想していた痛みは訪れなかった。  頭の上を2回、暖かい掌が跳ねる。 「春さんは、十分、頑張ってるから」  頭、撫でられたんだ。目の前の陽色くんは、もう怖い顔はしていなくて、いつものように穏やかに微笑んでいた。  『頑張ってる』、褒められた。 「あ」  お礼を言おうとして、それは嗚咽に遮られた。知らず、溢れていた涙が零れ落ちる。  それに慌てたのは、陽色くんの方だった。正面の席から立ち上がり、立ち上がったはいいものの、また座り、自分の鞄の中を探るとハンカチを差し出してくれた。 「ごめん、春さん。強く言いすぎた? 頭触られるの、嫌だった?」  僕は呆然としたまま、陽色くんからハンカチを受け取った。  どうして僕は泣いているんだろう。  そういえば、 「僕、褒められたの、初めて、だ」  ハンカチで目元を抑える。ふわりと良い香りがした。深く息を吸い込む。この香り、好きだな。  続く沈黙に、目線を上げる。 (しまった。褒められたことがないって、つまりは、仕事できない奴だと思われた?)  陽色くんは、テーブルの上で両方の拳を握りしめ唇を引き結んでいた。怒ってるようにも泣き出しそうにも見える。   「どうし」 「春さんが頑張ってるって、俺、知ってる」 「う、うん。ありがとう」 「けど、そんなに頑張らなくていいから、だから、」  オレンジ色の照明のせいだろうか、陽色くんの顔が火照っているように見える。飲み過ぎたんだろうか。  固く握られ震える拳が不安になって、そこに手を伸ばす。身を乗り出し、そっと触れた瞬間、手首を捕られた。  大きな瞳が瞬きをし、それから僕を見上げる。 「だから、もっと会いたい」  いつも、見下ろしてばっかりだったから、この角度からの陽色くんは貴重だ。やっぱりかっこいい、あと、不思議と今は可愛く見える。改めて、僕より年下なんだと知る。 「お願い。夜遅くてもいい、1日でなくていい、少しの時間でもいいから。連絡がない間、春さんが忙しいのはわかってるけど、俺、不安で、不安で」 「ひ、いろ、くん」 「顔を、見せてくれるだけでいいんだ。そうしてくれたら」  金の髪は、触れると意外と固い。明るくてまっすぐで暖かい。 「何もできないけど、たっくさん、春さんのこと褒めてあげられる」  告白をしたのは僕からだった。  陽色くんは優しいから、頷いてくれたのかもしれない。僕が年上だから、利用しやすいと思ったのかもしれない。  けど、もしかしたら陽色くんは、僕のことを少しくらいは好きでいてくれているのかもしれない。そう思ってくれたから、告白を受けてくれたのかもしれない。  陽色くんがしてくれたように、僕も彼の頭を撫でる。  なんだか溜らなく愛おしくなって、衝動的に、そのまま、額に唇を落とした。 「わ、あ、ごめん!」  すぐに我に返って、身体を引く。椅子が大げさな音を立てて床の上をズレた。さすがに、周囲からパラパラと視線を感じる。  僕は顔を赤くし、椅子の位置を整えて座り、俯いた。 「――ねぇ春さん、今日は、時間大丈夫なの?」 「え?」 「俺は明日は講義ないんだ。だから、春さんがよければ、朝まで一緒にいたい」  朝まで、というのは、やっぱりそういうことをしようと言われているのだろうか。  したい、と言っているのだろうか。 「ぼ、く、男、だよ」 「知ってます」 「顔は、女の子みたいかもしれないけど、身体、がっかりさせるかも」 「俺は、前にも言ったけど、春さんのことを、『女の子』として見たことはない。春さんだから、一緒にいたいって、思ってる」  『春さんだから』。  そうだ、陽色くんは前にもそう言ってくれた。  だから、僕は彼のことを好きになったんだ。  告白して、受け止めて貰えて、どうしてだろう、そのことを忘れていた。嫌われたらどうしよう、そればかり考えていた。  顔を上げる。  きっと、陽色くんは今、勇気を出して言ってくれたんだと思う。照明のせいなんかじゃない、お酒のせいなんかじゃない、顔は真っ赤で、けれど、真剣に僕の方を見てくれている。    僕は、いつまで彼をだましているつもりなんだろう。  こんなにも、僕のことを考えてくれる人、きっといない。  話そう。  話して、それで離れていくならそれでいい。その方がいい。陽色くんのためだ。 (僕、自分のことばかり考えていた)  嘘を吐いて、嘘に嘘を重ねて、それでも陽色くんの傍にいようとした。  最低だ。  口を開くと同時に、店内が真っ暗になった。  時計を見て気がつく。  雑誌で評判の店、食事のおいしさはもちろん、サプライズ演出に協力的だと書いてあった。  流れてくる、軽快な音楽とともに、奥の方から火のともったろうそくが現れる。  陽色くんが、また、誰かの誕生日なんだろうか、そういう目で、近づいてくる火を見ている。 「誕生日、おめでとう」 「え」 「この間、うまくできなかったから」  満面に笑みを浮かべたスタッフさんが僕達の傍で止まる。そして、テーブルにホールケーキを置いた。   「お誕生日、おめでとうございまーす!」  大きな声とともに拍手が送られる。僕もそれに倣って手を叩いた。 「春さん、これ、」 「ろうそく、消して」 「あ、うん」  火が消えるとともに、再び店内は明るくなった。  陽色くんは手で口元を覆い、ケーキを見下ろしている。 「俺、こんなのしてもらったの、初めて、か、も」 「すごい、可愛いケーキだね。ゆっくり食べて」 「や、さすがにワンホールは」 「僕も明日、休みだから」 「え」

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