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第12話
(大変なことをやらかしてしまった)
オメガだって、言えなかった。言えないまま、陽色くんの好意に甘えてしまった。陽色くんに、抱かれてしまった。
上着と携帯を握りしめたまま、とにかく走る。腰は痛いし、なんだか歩きづらいしで、数回躓いたけど、それが情事の後を表わしているようで、自意識過剰なのは重々承知の上で、無性に恥ずかしい。
頬が緩む。
(嬉しかった)
好きな人が、僕を抱いてくれた。それは、全部、僕の嘘のおかげだってわかってる。最低だ。最低なことをしてしまった。
けど、どうしようもなく嬉しい。夢みたいだ。奇跡だ。これから何があろうとも、もう今日の思い出だけで全て乗り越えられそうな気がする。
また、携帯が震えた。慌てて、出ると、この間契約をしたばかりの仕事場からだった。「今向かってます」と応じながら走る。
こんな嬉しいことをしてもらったんだ。その分、頑張って稼いで、陽色くんにたくさんお返しをしたい。
***
「お、くれました」
指示された場所は、きれいなビルの、その一室だった。壁も床も白くて艶々している。あまりの場違いさに、声が上ずる。
「あー、君、待ってたよ! ほら、早く!」
中に入るや否や、僕よりずっと年上の男の人に手首を掴まれた。靴を脱ぐのもままならないまま、奥に連れて行かれる。その容赦のなさと力強さに不安を覚えた。
廊下の突き当たり、扉を開けた先には、大きなテーブルと、その上にパソコン3台乗っていた。それぞれの前に人が座っている。そして、その更に奥には、ベッドが置かれていた。
「え、と、これ、は」
「ほら、脱いで脱いで。はい、これ、誘発剤ね。飲んでベッドに行って」
「え、あの」
今、この男の人、『誘発剤』って言った。
「早くして。君、オメガでしょ」
血の気が引く。
僕は、これまでの仕事でも、オメガだなんて自分から言ったことはない。今回の仕事だって、当然言わなかった。
陽色くんと会いたくて、でも、お金もないし、会えなくて、落ち込んでいた僕に、街中で声をかけてくれたのがこの男の人達だった。
短時間で済むバイトで、その数時間で日給が払える。呼ばれたら必ず来ることっていう注意に頷いただけで、契約金だと結構な額を受け取ることができた。仕事内容は、簡単な事務作業で、座っているだけでいいからと、そう彼らは笑っていた。
首を振りながら後ずさる。
男の人の目つきが変わった。苛立っている。
「ご、めんなさい。でも、あの、聞いてた内容と違う、から」
「金受け取っておいて何ごちゃごちゃ言ってんだ。仕事を選べた立場じゃないだろ、オメガがよ」
「ぼ、く、オメガじゃ、」
「じゃあ、これ飲んで。で、あっちに座ることくらいできるよな?」
「あ、う」
どこで、バレたんだろう。僕がオメガだっていうことを知っているのは、病院と、両親だけのはずだ。両親は、きっと、わざわざ自分達の息子がオメガだなんて言わないはずだ。それが嫌で僕を家から追い出したくらいなんだから。じゃあ、病院から漏れたんだろうか。そんなことあるんだろうか。
「ほら、早く」
「あ、の」
手がどんどん冷たくなっていく。痺れて、うまく動かない。握っていた携帯と上着が床に落ちる。
「シャワーを、お借りできないでしょうか」
男の人は、机についている仲間に目だけで確認すると、僕の腕をとり、シャワー室まで案内してくれた。
促されるまま、服を脱ぎ、しまったと思ったときには、着替えごと男が出て行ってしまった。
(誘発剤を、飲んだら、どうなるんだろう)
震える手で浴室のドアを開け、中に入る。シャワーを頭から被りながら考える。ベッドの前にはビデオカメラがあった。発情した僕の、みっともない姿を、撮るんだろう。そして、見世物にするんだろう。
それがもし、陽色くんの目に触れたらどうしよう。こんなかたちで、終わるのか。
(あんな嘘、いつまでも突き通せるわけがなかったのに)
泡で身体を洗う。数時間前まで、暖かった身体が今では冷たい。
(これが現実)
やっぱり、あの出来事は夢だったんだ。僕の、都合のいい夢。僕だけが幸せな夢。そして、やっぱり夢は覚めるものなんだ。
(罰が当たったかな)
完全に身体が冷え切るまで、僕は水を浴び続けた。
そうしないと、残った暖かさに縋って、泣いてしまいそうだった。
(泣く権利もないのに)
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