13 / 21

第13話(陽色)

 出会いは単純、俺の一目惚れだった。  ぼんやりと携帯片手にカフェで時間を潰していた。春さんは、道を挟んで向こう側の歩道で2人の男に絡まれていた。  ナンパだ、可愛い子だもんなあなんて惚けたことを考えそれを眺めていたものの、それが段々とエスカレートしていく様子に思わず立ち上がった。  春さんは真っ青になって泣いていたし、男達はその様子に笑っていた。  俺だって怖かったけれど、勢いのまま、店から出、彼らの前に立ちふさがった。幸いにも背があることがよかったのか、少し低い声で脅せば彼らは走り去って行った。  それが、春さんとの出会い。 ***  春さんは、どうやら押しに弱かったらしい。  今まで、無理強いしたらいけないと思って、強くでることはしなかった。春さんは大人で、きっと恋の駆け引きもたくさんしてきているんだと思う。これまで俺のアプローチはことごとく、かわされてきた。  俺なりに頑張った、もっと一緒に、あわよくば夜まで一緒にいたいなというたぐいの誘いは、そのどれもが、さらりさらりと流されてきた。  けど、今夜は違った。 『朝まで一緒にいたい』  そうズバッと言ったときは、心臓飛び出すかと思ったけど、春さんは頷いてくれた。そして、家に来てくれた。 (ざまあみろ、充。ざまあみろ、充)  俺は隠れて何回も拳を握っては、勝利の余韻に浸っていた。  春さんは、ちゃんと実在していて、そして、俺の可愛い可愛い恋人だ。   「春、さん」  もう離さない。  ぎゅうと、小柄な身体を抱きしめる。抱きしめたつもりだったそこに、春さんのぬくもりはなかった。 「夢オチ?!」  勢いよく起き上がる。パサリと乾いた音を立てて、薄手の掛け布団が落ちた。 (え)  春さんが眠っていた場所を掌で擦る。いない。次いで部屋を見回せば、ローテーブルの上に一枚の紙があることに気がついた。  飛びつくようにしてそれを拾い上げる。   『急に職場から電話があって。先に失礼します。昨日はありがとうございました。春』  筆圧の弱い細い、けれど整った字だった。  書いている内容は素っ気ないけれど、これはまさしく、昨日、春さんが俺の部屋に来てくれた、俺に抱かれた証拠だ。 「はぁー」  脱力。メモを両手に持って、天井に掲げる。顔がにやける。 (夢じゃない。よかった。現実だ)  俺に抱かれてくれた春さんは、それはもう最強に可愛かった。犯罪的だった。俺は何度も胸を打ち抜かれた。  それは、幸せな幸せな夜だった。  その日から、また、春さんからの連絡が途絶えた。  *** 「それはもうお前、ただの夢オチ。ただの妄想だったんだよ」 「そんなことありません! 春さんは実在していて、俺の部屋にも来てくれたんだからな!」 「重症だな、イケメン」  あのメモはクリアケースに入れ保管している。わかっている。気持ち悪い。自分でも気持ち悪い。けど、もはやこれしか縋るものがない。  充はそのアクリルケースを俺から取り上げ、しげしげと眺めた後、鼻で笑った。  ちくしょう。 「だから、お前、遊ばれてんだって。6つ上だろ? お前の言うことを信じれば、相当可愛くて綺麗なお姉さんなんだろ? 一発やらせてあげれば満足するだろうとかそういうことだったんだって」 「春さんはそんな人じゃないんだって!」 「泣くなよ、イケメン。昼時の食堂だぞ」 「ううっ」  アクリルケースを奪い返し、握りしめる。俺、何かしてしまったんだろうか。気持ちよかったのは俺だけだったんだろうか。あのとき、テンション上がりすぎて、余裕なかったし、春さんは俺にすごい気を遣ってくれるから、もしかしたらその延長での出来事だったのかもしれない。 『ぼ、くも、好、き』  いや、いやそんなことは。 「そんな傷心の陽色くんに素敵なお誘いがあります」  ふと気がつけば、正面に座っていたはずの充が隣に移動してきていた。肩に回された手でぐっと引き寄せられる。囁くように言われ、鳥肌が立った。にょきと充の手元に長方形のDVDケースが現れる。薄目で見た感じでもわかる。肌色多めの表紙、これはあれだ、アダルトなDVDだ。 「そんな気分じゃ」 「お前、オメガって知ってる?」  テーブルの上、小刻みに携帯が震えた。1ヶ月ぶりの、春さんからの連絡だった。  いつの間にか、しつこく漂っていた熱気は去り、冷たい空気が足下から忍び寄ってきていた。  

ともだちにシェアしよう!