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第17話(陽色)
『オメガ』という存在については知っていた。彼らは男であっても女であっても、子供を身体に宿すができ、また、発情期と呼ばれる期間があって、その間は理性をなくし、性行為――いや、生殖行為を行うらしい。また、彼らには、『アルファ』と呼ばれる対となる存在がいて、『番』という強い縁を結ぶそうだ。
そんな、都市伝説。
「お前、オメガって知ってる?」
テーブルの影で、充が手にもつDVDケースには、『オメガさんの見ちゃ嫌』というタイトルが安っぽいフォントで書かれていた。
表紙は、裸の男だった。
よく知る、俺の、恋人。
(春さん)
白い肌を真っ赤に染めて、眉を八の字にし、大きな目から涙を零している。赤く開かれた口からは唾液が漏れ、そこから、漫画調の白い吹き出しが伸び、『見ちゃ嫌』と綴られている。
「オメガなんて、嘘だろと思ったんだけどさ、どうやらこれ、本物みたいなんだよね。薬盛られての発情期、マジすごいから。男の身体してるんだけどさ、これもはや、ほんと雌。ただの女より抜けるから。お前も――」
「それ」
充の手からDVDを受け取る。指が、まるで自分のものではないようだ。冷たい。頭と、身体がついていかない。ばらばらだ。
「何作品、出てるの」
「今のところ、シリーズ3までかな。基本は1人きりの公開オナニーなんだけど、それがそそるんだよね。理性と本能の間で揺れる様とかさ、泣き顔とかさ、妙に嗜虐心をくすぐられて。俺、そっちの気はないはずなんだけど」
「ふぅん」
ケースから中身を取り出し、両端を持って力を加えた。
パキと軽い音がして、DVDは真っ二つになった。
充の悲鳴が、聞こえたような気がした。
春さんが、もし本当にオメガだとしたら。
女性のような容姿、どこか自信なさげな卑屈な態度、会えない期間が長いのは、発情期を迎えていたから?
今、連絡が途絶えているのは、こういうことをしているから? 俺に支払いをさせなかったのは、いつも忙しそうにしていたのは、こういう仕事をしていて金銭的にゆとりがあったから? 春さんは、こういうことを生業にしていて、俺は、春さんに遊ばれて、からかわれいただけで。
汗が、知らずパッケージの上で跳ねた。
我に返り、首を横に振る。
(違う。違う。違うだろ)
春さんは、そんな人じゃない。
あの夜の、あの慣れない様子は、それでも必死に応えてくれたあの姿は、嘘じゃなかった。誕生日だって、一生懸命祝ってくれていた。
見たくない。見たくないけれど、改めてパッケージへ目線を落とす。
(ああ、くそ)
この泣き顔の、どこが演技だ。
(バカ、俺のバカ。落ち着け、落ち着け)
携帯は、変わらず通じなかった。充電が切れているのか、電源を切っているのかわからない。
(落ち着け、考えろ)
(考えろ)
***
「あ、の」
春さんは、目線を彷徨わせ、どうしてか笑おうとして、失敗して俯いた。握った手は、小さく震えている。
「ご、めんなさい。ごめん。あの、けど、僕は、あの、陽色くんと過ごした夜が初めてだから。あの、信じて、もらえないかもしれないけど。だから、あの、病気、とか、多分、持ってない、し。あ、違、あの、オメガ、なのに、全然、ぼ、僕、経験なくて、拙くて、ご、ごめんなさい。あの、僕、僕ね、あ、の、勝手なんだけど」
春さんの、どもり癖。焦ってる、緊張している証拠だ。
思わず、顔をしかめる。
「き、嫌わないで。ちゃんと、別れるから。ごめんなさい。嫌わないで」
ああもう。
長く、ため息を吐く。
(落ち着け、落ち着け)
目を閉じ、深呼吸を繰り返す。そして、覚悟を決めて口を開いた。
「本当に勝手だね」
華奢な手を、強く握る。
(春さんは、押しに弱い……!)
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