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九、間に合ってます。
弁財天は白蛇の話を聞き終えた途端、目をきらきらと輝かせて、両手を胸の前でしっかり組むと、「なんてこと!」と感激の声を上げた。その反応に、白蛇は思わず後退 る。
「あの花神 に助けられたなんて、あなたは本当に運が良いわね、肖月 !」
『え? 花神 ? 地仙って黒竜様が言ってましたよ?』
「え? ああ····まあ、色々あって····私の口からは話せないのだけれど、とにかく! あの子に助けてもらったなら、これは運命の縁 ね」
『運命の、縁 ?』
白蛇、肖月 は小さな頭を傾げる。
「それで、あなたはどうしたい? あの子の呪いを解きたい?」
『はい。恩を返したいです。呪いも解きたい。でもどうやって?』
黒竜の呪いを解くなんて、そもそもできるのだろうか。
弁財天は肖月 を膝の上に乗せ、よしよしと小さな頭を撫でた。
「本人が謝らないって言っているんだったら、方法はただひとつ。天仙になって天界へ行き、天帝に解いてもらうしかないわね。あの子は天帝のお気に入りでもあるから、頼まなくても解いてくれるわ」
『そんな簡単に天仙になんてなれるんですか?』
「もちろん、簡単なはずないわ。十年でどうにかできるなら、とっくに皆が天仙になっているわよ」
じゃあどうしたら? と肖月 はしゅんと小さい頭を下げる。
「あなたの幸運とあの子の強運が合わさったら、なんとかなるかもしれないわね」
弁財天はふふっと笑って、膝に乗せていた肖月 を、自分の顔の近くまで掬い上げるように掲げる。
「あなたを精霊にしてあげる。もう少し時間はかかるでしょうけど、あなたの働きならあと数年あればなんとかなるわ。そうしたら化身になって、あの子に逢いに行けばいい」
化身とは、神や精霊などの神格化された生物が人の形を取ること。白蛇は元々神の使いとして人々の間に伝わっているので、十分資格があった。それに加えて今までの働きもある。
弁財天は面白半分、真面目半分でこの提案をしているのが肖月 には解っていたが、その提案は願ったり叶ったりだった。
『俺、精霊になります』
あれから三年後、宣言通り、肖月 は弁財天の推薦もあり、神の使いである白蛇から精霊に昇格した。
******
さらに二年後、地上を彷徨い、あのひとの噂を頼りに転々と渡り歩く日々。季節は冬。ある町の市井 で、あの人だかりに遭遇する。
「おふたりとも、どうか落ち着いてください」
そののんびりとした穏やかな声音に、全身が震えた。その声は、間違いなく、あの時の声だった。
騒がしいさまざまな雑音の中、その声だけははっきりと聞こえる。ずっと捜していたあのひとが、今、すぐそこにいるのだ!
垣根のようになっている人だかりの中、すぐにでもその姿を拝みたかったが、今ではないと肖月 は考える。今あのひとの前に出て行ったとしても、きっと自分が誰で、なんであるかも解らないだろう。
そもそも、自分の事など憶えてすらいないかもしれない。
うん、と顎に手を当てて肖月 は考え込む。ならば、聞こえてきた場所で待っていよう。何か予期せぬことが起こった時に、手助けした方が自然だ。必要にならないかもしれないが、なにかあっては大変だし、話を聞いている限り、危険な賭けのようだ。
肖月 は誰にも気付かれないまま、その場から音もなく姿を消した。
後の事は知っての通り。
危機はほとんどないと思っていたが、運良く 櫻花 は木の上から見事に荷台の上に落ち、刃の切っ先を向けられる。
事態が落ち着いた後、自分を捜しに来るだろうという確信があった肖月 は、あの森の中で待っていたのだった。
「うぅ······いいですか? 初対面のひとになんの断りもなく、く、く、口付けをするなんて····私だから良かったものの····いや、良くないですが、町の娘さんだったら訴えられてますよ? 犯罪ですよ?」
羞恥心からか、櫻花 は顔を両手で覆ったまま、正座をして俯いた状態で呟いていた。地面に正座をしているため、降り積もった雪で下になっている衣が濡れている。
「町の娘さんには間違ってもしないと誓うよ、」
肩を震わせながら笑いをなんとかこらえて、肖月 は言った。
「それに、あなたも"はい"って答えて同意してくれたでしょ?」
「····私、疑問符付けましたよね?」
やっと顔を上げてくれた櫻花 に、肖月 は思わずくすくすと笑い出す。からかわれたと思ったのか、櫻花 は頬を膨らませた。
「もういいです。わ、私も油断してましたし、あれは、事故だったと思って忘れます!」
「忘れないで? 大事な事だよ。俺にとっても、あなたにとっても」
「······は? え? どういう、」
急に顔を覗き込まれた櫻花 は、あの時のことを思い出してしまったのか、みるみる顔が赤くなっていく。そんなことはお構いなしに、肖月 は続ける。
「あなたは憶えていないかもしれないけど、五年前、あなたに助けられた白蛇。それ俺なんだ」
「え? ····ええっ!? でも、君はどう見ても、」
櫻花 は驚いて声を上げ、肖月 はその隙に腕を掴んで、正座したままだった櫻花 をそっと立たせた。急に立ち上がったせいでよろめいた身体を支え、ふっと口元を緩める。
「うん、あなたを助けるために、精霊になった。俺のせいでかけられた呪いを解く。あなたを守る。そのために、あなたをずっと捜していた。さっきのは契約。あなたは俺の新しい主。俺のことは肖月 って呼んで?」
契約? あの口付けが?
けれども、自分にはそんなことをしてもらう資格もなければ、必要もない。丁重に断るための良い言葉を紡ごうとしたが、混乱していた櫻花 は、
「ま、······間に合ってます」
と、まるで野菜の押し売りでも断るかのような言い回しで、お断りを入れてしまう。
乾いた風の音が、ふたりの間をひゅうぅと通り抜けていく。
至って真面目な顔でそう答えた櫻花 に、肖月 は何か言うでもなく、ただ静かに微笑むのだった。
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