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三十、いつも、ありがとうございます。

 櫻花(インホア)がもう一度あの村に行きたいと言うので、仕方なく肖月(シャオユエ)は頷いた。本当は連れて行きたくなかったが、あのまま骸を放置することを櫻花(インホア)は望まなかった。 「あの時、できなかったから、」  と、悲し気に言われてしまったら、誰も駄目だとは言えないだろう。  昨日降った雪で、骸も、それを染めている赤も覆われていて、それでも飛び散った肉片や血飛沫は隠せない。悲痛に歪んだ顔も、まるでこちらを見て怯えているかのようだ。  凝固している骸に触れようとしたその時、ふたつの光の玉が、突如目の前に現れた。それは弾け飛ぶように強烈な光を放つと、人の形を成した。 「俺たちが追ってる奴が関わってるかもしれないっていうのは、今回こそはどうやら本当らしいな!」 「うるさい、黙って」  黒装束を纏った青年と、白装束を纏った少年が、骸を避けるように地面に降り立つ。  姿を取るなり騒ぎ立てる黒装束の青年に、間髪入れずに白装束の少年が牽制する。青年に対して少年は頭ふたつ分は背が低く、その表情も真逆だ。 「誰? この分身(ひと)たち」  地面に膝を付いていた櫻花(インホア)の腕を引いて、自分の後ろに立たせる。    肖月(シャオユエ)は怪訝そうに、目の前に現れた怪しい分身を見据えた。本当は予想は付いていたが、わざとそんな言い方をしてみせる。 「白藍(パイラン)、お久しぶりです。ついでに黑藍(ヘイラン)も」  少年にはいつも通りの櫻花(インホア)だったが、青年に対しては珍しく嫌そうな顔をして頬を膨らませて言う。青年もむっと不機嫌になって、腰に手を当ててふんと鼻を鳴らした。 「なんであんたがここに? 悲惨な姿の骸を眺める趣味でもあるのかよ」 「黑藍(ヘイラン)、黙れって言ったよね?」 「なんでお前に指図されないといけないんだ? 俺がお前になにかしたか? 別になんにもしてないだろう? その前に突っ込むところがあるだろうがっ」  黑藍(ヘイラン)は、櫻花(インホア)を隠すように立つ肖月(シャオユエ)を指差して、言い放つ。 「こいつ、化身だぞ。なんで精霊が地仙と一緒にいるんだよ」 「あんたには関係のないことだよ、」 「こいつ、今、俺の事あんた(・・・)って言ったか!? この俺を誰だと思って、」 「品行が最低最悪の、黒竜様だろ?」 「どうやら死にたいようだな、」  ふたりが睨み合う中、櫻花(インホア)は音もなく横にやって来た白藍(パイラン)に、袖をくいと引かれる。その小さな子供のような仕草に、櫻花(インホア)は花が咲いたように明るい表情を浮かべた。  無表情だが、秀麗で美しい少年を見下ろし、思わず同じ目線まで腰を屈める。肩までの綺麗に切り揃えられた白髪と、瑪瑙色の瞳が特徴的な白藍(パイラン)は、四竜のひとり、白竜である。 「櫻花(インホア)、君がここにいると聞いて、飛んで来た。こんな所にいて平気?」 「はい。昨日は不甲斐なくも倒れてしまったんですが、もう、大丈夫です。肖月(シャオユエ)のお陰で、気持ちが楽になりました」  白藍(パイラン)の眉が一瞬ぴくっと動いたが、櫻花(インホア)が気付くことはない。後ろでは肖月(シャオユエ)が、あの時のことを嫌みを込めて蒸し返していた。それに対して黑藍(ヘイラン)はいつもの如く、俺は悪くないと言い切っている。 「あの化身、まだ君に付きまとってるの? 君、僕たちにはひとりが好きとか言っておいて、結局そこの化身に絆されちゃったの?」  抑揚のない声だが、畳みかけるように問いかけてくる。ええっと、と櫻花(インホア)は言いにくそうに苦笑を浮かべた。 「それは······色々と、その、ありましてですね、ええっと、」 「色々ってなに?」  普段無口なのに、どうして今日に限って······と櫻花(インホア)は返答に困る。まさか、唇を奪われたばかりか、身も心も奪われてしまったとは言えない。 「契約をしまして······私が天仙になる手助けをしてくれるそうです」 「別に、君は手助けなんてなくても、天仙にくらい簡単になれるでしょ?」  数年前に紅藍(ホンラン)蒼藍(ツァンラン)に言われたことを、同じように言われ、櫻花(インホア)は言葉に詰まる。 「······あまりそこは触れないでください」  本当に困った顔をして、謝って来る櫻花(インホア)に、はあと嘆息して白藍(パイラン)が肩を竦める。 (ホントは、紅藍(ホンラン)がペラペラと訊いてないことも勝手に喋ってくれたから、全部、知ってるんだけど)  こっちこそごめんね、と白藍(パイラン)は白装束の袖に右手を入れ、何かを取り出す素振りをした。  屈んでいた櫻花(インホア)は、気付けば跪くように雪の上に座り込み、すみません、ごめんなさい、と何度も頭を下げていた。  その頭が止まった時、白藍(パイラン)櫻花(インホア)の結い上げている髪の毛の、その左側になにかを押し込んだ。 「あげる」  目を細めて、白藍(パイラン)は見下ろすように短く、わざと素っ気ない感じで言い放つ。  櫻花(インホア)の髪の毛に飾られたのは、黄色い花びらを付けた蝋梅(ろうばい)であった。  真冬に花開く、梅に似たその黄色い花は、櫻花(インホア)の髪に飾られてもなお、仄かに甘い香りが漂う。 「いつも、ありがとうございます」  そのやりとりに、肖月(シャオユエ)ばかりでなく、黑藍(ヘイラン)までもがすごい顔でこちらを見てきた。 「はあ? お前、いつもそんなことやってんの!? いや、お前らのそいつに対する過剰な庇護欲は、一体何なんだっ!」 「は? 君のせいで櫻花(インホア)は、なりたくもない天仙にならなきゃいけなくなったんだろう? 行きたくもない天界に行かされる、彼の身にもなりなよ。ホント、馬鹿なの? さっさと土下座して呪い解きなよ」 「それは、こいつがすることで、俺がすることじゃない! それに謝れば赦すって言ってやってんのに、いつまでも意地を張ってるこいつが馬鹿なんだっ」  途端、櫻花(インホア)以外のふたりが、揃って黑藍(ヘイラン)を憐れな眼で見据える。  前に、櫻花(インホア)が言っていたこと。  今の黑藍(ヘイラン)は、ある意味、流転したて(といっても百年以上は経っている)の黒竜で、過去の記憶も無くなっているらしい。  しかも、誰もそれを教えていないので、本人はまったく気付いていないらしい。つまり、その前の自分が他の四竜と同じく、櫻花を庇護していた過去さえ憶えていないのだ。 (なんだか面倒なひとだな····一回死んで流転する前、自分も同じことしてたってこと、誰か教えてあげなよ、俺は嫌だけど) (······それ、櫻花(インホア)から聞いたの? でも言ったら彼、舌噛んで死ぬかもね。なんだかんだで黑藍(ヘイラン)が一番、櫻花(インホア)のこと大事にしてたんだから、)  こそこそと肖月(シャオユエ)白藍(パイラン)が囁き合う。  ふたりの可哀想なものでも見るような表情に、黑藍(ヘイラン)はまるで自分が間違っているかのような気持ちになるが、その手にはのらない! 「あ、あのぉ······? ふたりとも、そのくらいに、」  当の本人はまったく気にしておらず、へらへらと笑って間に入って来る。  そんな櫻花(インホア)の前に肖月(シャオユエ)は立ち塞がり、悪戯っぽい表情を浮かべたと思えば、口元に人差し指を立てて「しー」と音を立てる。 「喚いてる暇があるなら、さっさとこの惨劇を起こした犯人でも捕まえてきなよ」 「言われなくてもそのつもりだ!」 「黑藍(ヘイラン)、うるさい」  三人はそれぞれお互いに牽制しながら、最後にはふんと同時に顔を背ける。  櫻花(インホア)はやれやれと頬を掻き、はあと大きくため息を吐き出すのだった。

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