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四十一、お待たせしました!

 黑藍(ヘイラン)白藍(パイラン)は目の前の脅威に対して攻めあぐねていた。 「くそ! キリがない」  それでもこれほど無駄に消耗しているのは、あの切っても切っても生まれてくる触手のせいだろう。  見た目は確かに触手なのだが、剣で切った時の感触が全くない。つまり、実体がないのだ。実体がないくせに、こちらにはしっかり攻撃が当たる。  お陰でこの周りは見通しがだいぶ良くなった。木々が折れて吹き飛ばされ、空の範囲が最初の頃よりずっと広くなっている。雪が降り積もっていた地面は所々抉れ、黒い土が盛り上がっていた。 「どこかで見たことがあると思ったら、いつかの黒竜じゃないですか? 分身でこの俺に挑んできて、八つ裂きにされた。ああ、そういえば竜は死ぬと流転して新たに生まれ変わるんでしたっけ? 憶えてないなんて、残念です」  背中に垂らしたままの長い黒髪を揺らし、血のように赤い瞳が気だるそうにこちらを眺めている。漆黒の外套を纏った美しい容姿の鬼は、やれやれと肩を竦めた。 「は? 何言ってやがる? 俺が死んだって?馬鹿も休み休み言うんだな、」  黒い刃の切っ先を向けて、黑藍(ヘイラン)は首を傾げて金眼を細める。  一方、白藍(パイラン)は瞳に静かに浮かぶ怒りの色を隠せなかった。 (黑藍(ヘイラン)を殺したのは、やはり災禍の鬼だったんだね。当時、彼が櫻花(インホア)の冤罪を晴らすためと、内緒で追っていた鬼神(おにがみ)。ホント君って馬鹿だよ、黑藍(ヘイラン)。ひとりでこんな怪物と対峙していたなんて)  知らぬ間にひとりで勝手に死んで、生まれてみたらこれ(・・)だ。 「まあいい。あなたたちを殺して、その後で、愛しい花を切り刻むことにします。それで永きに亘る因縁はすべて終わる」 「そんなこと、させるわけないでしょ」  勝機はまったく見えないが、ここは退くわけにはいかない。それはきっと黑藍(ヘイラン)も同じだろう。 「俺たちがそう簡単にやられるわけないだろ!」  自分たちが退けば、間違いなく櫻花(インホア)の許へ奴は行くだろう。それだけは絶対に駄目だ。  最悪、自分たちだけでなく:櫻花(インホアも、奴に殺され喰われるかもしれない。考えれば考えるほど、悪い事しか思い浮かばない思考が情けない。 (けど、正直、分身の姿では本来の力の半分も出せない。どうする······?)  ちらりと横にいる白藍(パイラン)の方に視線を向けるが、普段の涼し気で生意気な顔はそこにはなく、頬に一筋の汗がつたうのが見えた。 「あまり力を使い過ぎれば、この身は本体の方へ戻ってしまう。けど、それでも時間稼ぎくらいはできるでしょ、」 「時間稼ぎ、か。ふん、上等だ」  黑藍(ヘイラン)は、向けていた切っ先を横に振り、そのまま自分の正面に持ってくると、左手の中指と人差し指を黒い刃に這わせた。  白藍(パイラン)も同じように白い刃に指を這わせる。すると、それぞれの刃に光が宿り、辺りを明るく照らした。 「さすが四竜と言うべきか。まだそんな力があるなんて、思ってもみませんでした」  嘘つけ! と黑藍(ヘイラン)は毒づく。  災禍(さいか)の鬼の周りが一層賑やかしく蠢き始め、せっかく見えていた空が赤黒く染まっていくようだった。どんどん広がっていくその触手の塊は、とうとうこの辺り一帯をその不気味な色で覆ってしまう。  その光景は、まるで血の空が広がっているかのようだった。 「気持ち悪いことするな! さっさと元に戻せ、根暗野郎っ」  残った光はふたりの刃に残った光のみ。このままこの塊の中に取り込まれるなど御免だ。しかし、何度か刃を振って触手の塊を攻撃してみたが、すぐに再生してしまう。一瞬だけ見えた青い空も、今はまた赤黒い空に戻ってしまった。  近づけば触手に阻まれ、離れて攻撃しても再生され、なす術がないという危機に、ふたりは少なからず焦る。それほどの力を持つ者が、今まで地上をうろついていたと思うとぞっとする。 (······おかしい。確かに、あの件で鬼神(おにがみ)は天界から姿を消したとされるけど、あの天帝が見逃すはずはない。それに、)  常に地上に自ら降り、人に災いをなすモノを一掃してきた天帝が、こんな危険な存在を何百年も捕らえられないわけがない。  白藍(パイラン)は急にそんなことが頭に浮かび、それからひとり黙り込む。なんだどうした? 腹でも痛くなったのか? と横で黑藍(ヘイラン)が喧しかったが、完全無視を決め込む。 (そもそも、どうしてこの時宜(じぎ)に現れた? わざわざ村人を虐殺して、櫻花(インホア)の前に晒した?)  櫻花(インホア)の残りの寿命はあと僅か。  だがあの白蛇の化身が傍にいれば、功徳(くどく)は間違いなくその前に溜まる。  櫻花(インホア)黑藍(ヘイラン)の件は、噂好きの天界人たちが瞬く間に広め、知らない者はいないだろう。 (つまり、櫻花(インホア)に天界に来られると、困る奴がいるってこと、か)  だんだん話が見えてきた。  白藍(パイラン)は急にくつくつと肩を揺らしながら笑い出す。その様子を見た黑藍(ヘイラン)は、思わず顔を歪める。 「おまっ······気持ち悪っ!」 「うるさい、馬鹿。でもお陰で糸口が見えた」  口の端を歪めて、白藍(パイラン)が皮肉な笑みを浮かべた。ひとりで納得している様子に、黑藍(ヘイラン)は眉を寄せて怪訝そうに見据え、口を尖らせた。  その時だった。  あの空を覆っていたはずの赤黒い触手の塊に異変が起こる。途端、その内側にいた黑藍(ヘイラン)白藍(パイラン)は、その身に冷気を感じ、辺りを見回す。  赤黒い触手が下からどんどん凍っていく様が目に映った。それはみるみる天井まで覆うと、最後にはすべて凍り付いてしまった。  そして、ゆらゆらと天井から花びらのように降ってくる、それのひとつを手の平に乗せ、咲いた薄青の透明な雪の結晶に目を瞠った。 「これは······、雪花(シュエホア)? なんで、」  白藍(パイラン)が呟いている内に、凍り付いた触手の塊にピシピシとひびが入るような音が所々から鳴りだす。それが一斉に鳴り止んだその瞬間、硝子が砕け散るかのように、透き通った音を立てて弾け飛んだ。  その先に広がった青空と、失われていた光が、目の前に飛び込んでくる。 「ふたりとも、お待たせしました!」  砕け散った氷の破片に反射した無数の光の中、意気揚々と現れたその人物は、ふふっと笑って包帯が巻かれた左手を振っている。その右手には、白い柄の先に淡青の紐飾りが付いた半透明な刀身を持つ剣、雪花(シュエホア)が握られていた。 「····················いや、待ってねぇし! っていうかあんた、今一番来ちゃ駄目な奴!」  黑藍(ヘイラン)は固まっていた思考を無理やり起こし、今日一番の突っ込みを入れた。しかし白藍(パイラン)は、それに反して声を上げて笑い出す。 「あはははは! さすがだよ、櫻花(インホア)! 君、本当に、最高っ」  腹を抱えて笑い出した白藍(パイラン)に、黑藍(ヘイラン)は思わずドン引きする。 「··········なにそれ、怖っ」  白藍(パイラン)の大爆笑の意味を黑藍(ヘイラン)が知るのは、もう少し後の事だった。

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