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四十、君に出逢いました。
(そんな、はず······そんな、わけ、)
近づいて門の中へ足を踏み入れた瞬間、あの桃の木が目に入った。堂の横に立っていたあの老木。
違う種類の花が咲くその桃の木の花びらが、櫻花 を迎えるように一斉に風で舞い上がった。
ほのかな紅色が白い花びらに混じったもの、濃い桃色、淡い桃色、様々な色味の花びらが目の前にひらひらと舞っている。
よく見渡してみれば、堂は朽ちて傾いてしまっていたが、百花が彩る庭はまったく枯れてはおらず、むしろあの頃よりも美しく思えた。
櫻花 は、何かを探すようにきょろきょろと首を右に左に向けながら、庭を歩き回る。
そして、ひとつの影をみつけた。
その後ろ姿は、幼い少女のもの。肩で綺麗に揃えられた黒髪に咲く、白い山茶花 の花。
しゃがんでなにかをしていた幼女は、櫻花 の気配に気付き、ゆっくりと首をこちらに向けた。
大きな薄茶色の瞳を見開き、それから目を細める。そこには薄っすらと涙が浮かんだ双眸と、可愛らしい笑みがあった。その幼女は、間違いなく、あの時、無残に殺された茶梅 だった。
呆然と立ち尽くす主に、茶梅 は駆け寄り、礼をすることすら忘れてその腰に抱きついた。
「櫻花 様、御無事だったんですね······良かった、」
「本当に······あなたなんです? 花の亡霊じゃないですよね?」
はい、と大きく頷き、茶梅 は見上げてくる。
「しかし、どうして? あの時、あなたは······」
身体は触手に貫かれ、首が飛んだはず。何度も夢の中で繰り返されるあの光景が、鮮明に頭の中を過った。
青い顔をしている櫻花 を不憫に思い、茶梅 はその手を包み込むように握りしめた。
「はい、確かに死にましたね。しかし、魂魄までは奪われなかったのです」
花の精は人の姿はしていても精霊であり、その身は花から形成されたモノ。核となるのは長い年月をかけて育てられた魂魄。
その核まで砕かれてしまえば、二度と同じ存在として生まれることは叶わない。
しかし魂魄さえ無事であれば、時間はかかるが元の姿に戻ることは可能だった。足元に咲く、山茶花 の白や薄桃色の花が揺れる。
「······あの時、死を覚悟した時、一か八か花楓 の心に話しかけたんです。それが届いたのか、ただ運が良かったのか、私は最近やっとこの姿に戻ることができたのです」
「そうでしたか······しかし、あの子は未だ行方知れずと聞きます。天界はあの子を災禍 の鬼などと名付けているとか」
櫻花 はほとんど下界にいたが、噂くらいは耳にしていた。災禍 の鬼に出遭った不運な者は、誰であろうと切り刻まれ、喰われてしまうと。
故に誰も行方を知る者はおらず、彼が通った跡には血の海だけが残っているとか。
「私が目覚めた時、この庭はすでにこの状態でした。この数百年、誰かが手入れをしてくれていたとしか思えません」
茶梅 の小さな手に力が入る。
「鷹藍 たちは、ここには立ち入れないと言っていました。他に、こんな場所に足を向けてくれる者なんて······、」
途中まで言いかけて、櫻花 は琥珀の瞳を細める。
「あなたは、ここにいてください」
「櫻花 様?」
解かれた指に残ったあたたかさが消えないように、茶梅 は自分の衣を握りしめる。見上げた先にある表情を見て、ただ頷いた。
******
その帰り道、あの場面に遭遇した。
百年以上前、一度死して生まれ変わった黑藍 は、自分の事などすっかり忘れてしまっていて、近づこうともしなかった。
彼が命を落とした理由は誰も知らない。
長である鷹藍 でさえ、突然消えた彼の気配に驚いたという。
それまではずっと仲良くしていたし、友として何度も暗闇の中にいた櫻花 を励まし、助けてくれた。流転するとそれまでの記憶も消え、性格も変わってしまうという。しかし、それでも櫻花 にとって知己である鷹藍 の配下は、友同然。
そんな友が白蛇を踏み潰そうとしていたら、止めるに決まっている。
押し問答を繰り返した結果、なぜか呪われてしまうが、友の罪は免れた。それに、小さきものの命も救われた。
余命が十年になり、法力も半減したが、櫻花 にとっては特に嘆くことでもなかった。
しかし、ひとつだけ心残りがある。
紅藍 や蒼藍 には適当に誤魔化したが、その心残りのために死ぬわけにはいかなくなった。
願わくば、十年の間に出逢えたらいい。
一年、また一年と時だけが過ぎ去っていく。
「そんな中、君に出逢いました」
長い話が終わり、櫻花 は肖月 に視線を向ける。跪いたまま、手を握り締めて、飽きもせずにじっと青銀色の双眸が自分を見上げていた。
「ありがとう、話してくれて」
全て知った後、この村を襲った惨状を思い出すと、また違った意図が見えてくる。
「これがその災禍 の鬼の仕業だとして、どうして今頃になってあなたの前に現れたのか」
「私もずっと彼を捜していましたが、まったく情報を得られていないんです。だから、不思議で、」
困ったように首を傾げて、櫻花 は呟く。
「なにか、理由があるのかもしれません。噂とは、人が流すもの。それは天界も例外ではありません。情報が操作されている可能性も、」
ふたりは視線を合わせて、同時に頷く。黑藍 たちがここを去ってからそれなりに時間が経っていた。とにかく、合流するのが得策だろう。
櫻花 は、白藍 にもらった黄色い花の付いた蝋梅 を手に取り、祈る気持ちで村人たちへの手向けとしてそっと白い地面に添えると、目を閉じてその両手を胸の前で合わせる。
「もしもの時のために、私に策があります」
顔を上げた櫻花 は、胸に手を当て自信満々の表情でゆっくりと頷く。
肖月 はその策とやらがなんであっても、従う以外の選択肢を持ち合わせていないので、「わかった」と返事を返すのだった。
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