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まだ見ぬ地へ6
「でも、なんで海外へ?」
「秋にコーヒーマイスターっていう試験のレベルアップのために試験を受けようと思っているのと、この間久しぶりに正門さんの淹れるコーヒーを飲んでガツンとやられたので」
「そうか。試験っていうのは大変だね。でも、そうか。海外を含めて色々なお店でコーヒーを飲むのも勉強になるものね。僕が洋服見て回るのと一緒だ」
「そうですね。ずっと自分の淹れたコーヒーしか飲んでないと味がいつまでたっても変わらないので。俺としては正門さんのコーヒーに負けないものを淹れたいと思うので」
「湊斗くんなら大丈夫だよ。好きだからっていう贔屓抜きで、ほんとに正門さんの次に美味しいと思っているから」
「ありがとうございます」
正門さんに”美味い”と言って貰えるようなコーヒーを淹れられるようになってコーヒー鑑定士の試験に受かりたい。日本の頂上に行きたいんだ。
コーヒー鑑定士の合格率はわずか4%で、試験内容としては商品設計、生豆鑑定、品質管理の3項目となる。美味しいコーヒーというのが試験内容にあるわけではないけれど、生豆鑑定ができれば味の雑味を少なくすることができる。だから不味いコーヒーを淹れる方が難しい。でも俺はまだコーヒー鑑定士の試験を受ける資格がない。コーヒー鑑定士の試験を受けるにはコーヒーインストラクター1級保持者でないと受けられないのだ。しかし、俺はまだ2級。だからまずは1級に受からなくてはいけない。とりあえず来年春のコーヒーインストラクター1級の試験を受けようと思っている。俺が指針とする正門さんレベルに到達するにはまだまだ道は遠い。
「ドイツ、行くんだね」
ポツリと優馬さんが言った。それに俺は、はいと答えた。優馬さんの言葉がなにを含んでいるのかはわかる。大輝のことだ。
「ドイツの彼が住んでいるところへは行くの?」
「いいえ。というか、どこに住んでいるのか知りませんから」
俺がそう答えると優馬さんは目を見開いた。俺が言った答えは予想していなかったのだろう。連絡を取っていないにしてもどこに住んでいるのかくらいは知っていると思ったのだろう。
大輝がドイツへ行くとき、俺は敢えてどこへ行くのか訊かなかった。どこの街に行くのか知っていたら大輝に内緒で会いに行けてしまう。だから大輝は俺に言わなかったし、俺も訊かなかったのだ。
「じゃあ遠くから姿を見るっていうこともできないね」
「ええ。それでいいんです」
今回行くのはドイツのデュッセルドルフだ。ドイツというとミュンヘンやベルリンを思い浮かべるが、デュッセルドルフもそこそこ聞く地名だ。邦人は5,000人いると言うから多いと思う。そこに大輝がいる確率はどれくらいなんだろう。ドイツの人口は約8,400万人。デュッセルドルフの人口が63万人。そこに日本人も5,000人いる。日本人は多いとは思う。でも、そんな中で大輝に会うなんてことはないだろう。もし会ったとしたならそれはすごいことだと思う。
「でも、会いたいでしょう」
「それは会いたいです。でも、会わないと決めた彼の気持ちを尊重したいんです」
「そっか」
きっと優馬さんには理解できないだろう。涼でさえ理解できないと言っていた。でも、誰かに理解して貰いたいとは思わない。俺はただ大輝の言うことにただ従うだけだ。そしていつか迎えに来てくれると信じて待つだけだ。だから今回ドイツへ行くことになったけれど、そこで会おうとは思わない。大輝がドイツで頑張っているように俺は俺で頑張る。ただそれだけだ。それでも、大輝と同じ空の下に行けると思うと嬉しい気持ちがするのは仕方がないことだろうと思う。早くドイツの空の下に行きたい。
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