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幸せに向かって3
「うん。やっぱり以前より美味しくなったよね」
涼はブラジルを飲みながらそう言った。
「それなら良かった」
「だって、またすごいしごかれたんだろ」
「まぁね。試験があったし」
時間は20時半を過ぎていて、他のお客さんは皆帰っていて、残りは涼だけだ。
「他のお客さんにも美味しくなったって言われない?」
「言われた」
「だろ。ほんと他の店でコーヒー飲めなくなるよ」
「そんなふうに言われたらめちゃくちゃ嬉しい」
味が変わって美味しくなったと言ってくれたのは舞さんだ。舞さんも涼と同じように他で飲めなくなる、と言ってくれた。お客さんにそう言って貰えると頑張って良かったと思える。
涼と話しながら自分用にも淹れた同じブラジルを飲むと、正門さんに覚えておけと言われた味が口に広がる。うん、あの味がきちんと出ている。正門さんにしごかれたおかげで体が時間を覚えたみたいだ。
「で、優馬さんとはどう? お試しで付き合ってるんだろ」
「どうって……いい人だし、一緒にいて楽しいよ」
「手応えある感じか。好きになれそう?」
「どうだろう。そうだといいけど……」
優馬さんは今まで思ってたとおりで優しい。いや、お試しという名がついても付き合い始めてからは余計に優しくなった気がする。そして、涼に言ったとおり優馬さんと一緒にいるのも楽しい。恋人にするのなら最高の人だと思う。でも、俺はそれが恋になるのかはわからない。
「もう大輝のことなんて忘れていいんだからな。あんなやつ」
「あんなやつって……」
「あんなやつでいいんだよ。ドイツで女と腕組んで歩いてたんだろ。最低じゃんか」
最低、か。俺が待っているのを知っていて他の女の人と腕を組んで歩いていたら、最低ってなるよな。
「俺が待っていることを忘れてるんじゃない?」
「湊斗のことを覚えていようと忘れていようと、最低なことに変わりはないよ。高校のときから付き合ってたんだぞ」
俺の存在自体を忘れていたら悲しいなと思う。でも、それって俺がそれだけの存在だったってだけだ。だから俺は大輝を責めることができない。
そう思うと鼻の奥がツンとして泣きそうになって、慌ててコーヒーを飲んで気を紛らわせる。ほのかなコーヒーの香りはするけれど、気持ちが落ち着くまではいかない。気持ちを落ち着けるのにはコーヒーを淹れるのが一番だけど、涼のカップも俺のカップもまだ結構残っているし、この時間でコーヒーのお代わりはさすがにしないから、コーヒーを淹れることはできない。
「俺から見ると優馬さんって押したいんだよな。穏やかだし、イケメンだし。で、優しいんだろ?」
「うん、優しいよ」
「欠点ないじゃん。それで一緒にいて楽しいと思えるなら、きっと好きになれるって。まぁ少しは時間かかるかもしれないけどさ」
欠点……。確かに思いつかない。もう少し一緒にいれば好きになるんだろうか。大輝のことなんて忘れられるんだろうか。まだ大輝のことを考えると泣きそうになるけれど、そんなこともなくなるんだろうか。そうしたらいい。大輝が他の女の人と腕を組んで歩いていた姿なんて思い出したくない。
「次のデートっていつ?」
「来週の火曜日」
「楽しんでこいよ」
「うん」
次はお昼に飲茶をしてから買い物に行く予定だ。そうやって俺の手帳に優馬さんの名前が増えて行く。きっとそうやっていくうちに涼の言うとおり好きになっていくかもしれない。そして大輝のことを思い出しても泣くことはなくなるんだ。そう思った。
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